みんなから好かれる必要はない。
毎朝5時頃に起きて、白湯を飲み、半身浴をしながら1時間弱の読書をした後に、朝焼けに染まる海面を眺めながら伊豆山神社の837段ある石段を歩く。これが、基本的な1日のはじめ方になってきた。昨日は、白金高輪にあるアイソレーションタンクと、自由が丘で施術を行っているヒプノセラピーなるものに招待していただき、久し振りに東京に足を運んだ。
アイソレーションタンクとは、究極のリラクゼーションとも言われていて、宇宙との一体感を感じることもできる非常に素晴らしい装置であると聞いていた。体験料金は60分1万円と高額だが、私は、結果的に5分程度タンクに浸かった後に「もういいや」と思って、退出してしまった。誤解されると困るが、アイソレーションタンクがダメだと言いたい訳ではない。単純に、私が飽き性なだけだ。
ヒプノセラピー(ある種の催眠療法、潜在意識や前世の記憶などを引き出す)を受けるきっかけになったのは、以前、スペインのマヨルカ島で起きた奇跡に由来する。当時、私はスペインの首都マドリードで所持金が限りなくゼロに近づくという臨死体験をしていた。それを救ってくれたのが、この、K姉妹である。そして、K姉妹のお姉様が、稀代のヒプノセラピストなのである。
久し振りの再会に感動した。
芋のケーキが美味しかった。
本を贈る、恩を送る。
前に、横浜から届いた「SNOW FLAKES」をブログ記事で紹介したら、大分県に在住の大学三年生の女の子から「冬が特別好きというわけでも、ましてや雪に詳しいというわけでもないのですが、なんだかどうしても『SNOW FLAKES』をこの手に取りたい!!という強い衝動に駆られ、連絡をしようと思いました」というメールが届いた。これは縁だ、と思ったので彼女の元に郵送をすると、数日後「届きました!」という言葉と共に、上記の画像が送られてきた。
多分、恩は返すものではなくて「次のひとにまわしていくもの」だと思う。それを相手に返すものだと考えてしまうから(または相手に返すことを強要されるから)受け取り辛くなるのだろう。恩や愛情の本質は投げっぱなしジャーマンであり、大切なのは『受け取る力(レシーブ力)』だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 6
何かを通じて、何かしらの縁が発生することは、単純に嬉しい。2016年の年始からはじめることになった、循環型図書館のわたり文庫や、循環型飲食店のわたり食堂など、もしもこのようなシステムに僅かでも「いいじゃん!」と思ってくれるひとがいたら、それを私たちに(例えば手土産や対価のような形で)返済する必要はないので、次のひとに回していってもらえたらと思っています。
そして、今回の読者プレゼント(?)は、奇跡の一冊「大山倍達、世界制覇の道」です。細かい説明は面倒臭いので割愛しますが、これはもう、最高です。東京の阿部さんに読んでもらいたいです。「この本が読みたい!」という方は、ブログ末尾にある連絡先から、何かしらの形でご連絡ください。すべてのメールに返信をすることはできませんが、厳選なる抽選の上、当選された方には改めてこちらからご連絡をさせていただきます(そのため、最初の段階では住所などを記載する必要はありません)
※※※ こちらの本は、大分県にわたりました ※※※
同時に、我が家に「みんなの財布」なるものを設置した。この財布は、玄関の入り口にこれみよがしに掲げられていて、この財布の中には、坂爪圭吾の基本的な所持金のすべてがはいっている。誰が使ってもいいし、食料品や日用品などで足りないものがあれば、ここにある金を使えばいい。また、何かしら金に困っているひとがいたら、ここから(別に大金ははいっていないけれど)こっそり持っていけばいい。許可はいらない。自由に、好き勝手に使ってもらえたらと思っている。
寄せてはかえす、波のなかで。
「みんな」とは幻想で、ここにいるのは「たくさんのひとり」だと思う。みんなを楽しませたいとか、みんなから好かれたいとかではなく、たったひとりを愛することに成功した時、同時に「みんな(たくさんのひとり)」も愛し得るものになるのだと思う。 pic.twitter.com/R8K0StFWwo
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016, 1月 9
今日は、これからフリーミール(誰もが0円で食事やお菓子や飲み物を楽しむことができる)の『わたり食堂』が開催される。多分、大勢のひとがこの場所に集まる。私は、自分の家をオープンなものにしている。しかし、自分自身がオープンな人間なのかというと、多分、違う。どちらかと言えば、ひとりでいることが好きな人間だし、人混みは苦手で、誰とでもうまくやれるようなタイプの人間でもない。
すべてのひとが、私のことを好きになる訳ではない。時には「がっかりしました」と言われることもあるし、露骨に悪態を吐かれることもある。寄せてはかえす波のようだ。様々なひとが集まってきては、やがて、離れていく。多分、これが自然の摂理なのだと思う。しかし、こうした活動をしていなければ『絶対に出逢うことがなかった素晴らしい人々』の存在があることも、確かなことだ。
たったひとりの存在に救われることがある。「この人に出逢えただけで、今日は、心の底から素晴らしいと思える一日になった」と感じることが、生きているとある。寄せてはかえす波のなかで、確かなものを見つけること。不特定多数の大勢ではなく、このひと、この『たったひとりのあなた』と出逢うために、私は自分の活動や存在をオープンなものにして、そして、このような活動を(頻繁に愚痴や弱音やある種の血反吐を吐きながら)続けているのかもしれない。
自分の中で決めたルールのひとつに「誰かを救おうとしない」というものがある。正義感は「価値観の押し付け(暴力)」になる。私は他人に何かを強制したり、自分と同じであることを期待したいとは思わない。「自分のため」にやることが、結果的に「誰かのため」になれば幸運だと思っている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016, 1月 8
人生は続く。
静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
MAIL keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://goo.gl/s6F9wE