いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

自分が愛するものを見つけること。自分が愛するものをシェアしていくこと。

2014年4月7日に29歳になった。

今は4月7日月曜日の25時。新潟市青山にあるココスというファミレスからこの記事を書いている。さっきまでは友人たちとわいわい話しながらそれぞれの作業をしていたが、今はひとりでこの記事を書いている。私は29歳の抱負を残したいと思っているが、何かさみしさも覚えている。

隣ではギャルっぽい女子が二人で低い声で話している。何かを笑っている。乾いた笑い声が店内にこだましていて、私は今日という日に29歳になって、想像を越えて多くの人達から祝いの言葉をかけてもらった。一年前には出会ってさえいなかった人もたくさんいる。私は過去に精神と肉体を一気に壊して人間関係が大きく瓦解したことがあるので、昔からの付き合いがある人は少ない。

今から10年前、19歳の私が悩んでいたことなど今の私から見ればとても小さなことに見える。そして、19歳の私は29歳の大人を見てこう思っていただろう。こうはなりたくない、と。何かを知ったつもりになっているような大人にだけはなりたくなかった。幼い私が抱く感情の視線は鋭かった。当時の私は今の私を見て、どのようなことを思うだろうか。この程度かと笑うだろうか。悪くはないと笑うだろうか。ファミレスの店内にギャル風の女性の低い笑い声がこだましている。

最近は、生きていることや死ぬということについて頻繁に考える。その過程の中を今の私達は生きていて、人は必ず死ぬ。自分にとって本当に大切なことはなんだろうか。何が人生の豊かさを決めるのだろうか。自分は果たしてどういう人間になりたいと望み、どのような人間にはなりたくないと思うのだろうか。人は必ず死ぬ。どのような生き方をしていたとしても行き着く先はみんな同じだ。

自分にも生まれてきた甲斐があったのだと信じたい。私の20代の大半を占める問題はこれだった。私は常に生きているということを実感していたいと望み、その欠乏感をどうやって埋めればいいのかと悶々としていた。常に焦っていた。自己肯定感の低い青年時代を送っていたので、何か特別なことをしなければ誰もが自分のことなど見てはくれないだろうと思っていた。29歳を迎えるにあたって、この問題に対する自分なりの今の答えを導き出したいと思う。あと1年で30歳になる。年齢なんて人生に関係ないかもしれないが、節目にはなる。何かを獲得していたいとは思うが、今のところ大した何かを獲得できているとは思えない。試されているのかもしれないと思うし、これでいいのだとも感じている。

今、私はさみしさを感じている。この感情は一時的なものだ。明日の朝になれば消えているだろう。明日になれば私は新しい一日を迎え、今まさに抱いているこの感情は過去のものになって葬り去られて行く。今の私は今だけのもので、明日のものでもなければ昨日のものでもない。同じように、この世に存在するすべてのものは今だけのものであり、この瞬間は常に最初で最後のものになる。

「今だけだ、よく見ていろよ」

私は29歳になった。自分が生きているということが何かの役に立てばいいと思っている。何か意義のあることがしたい、自分にも生まれてきた甲斐があったのだと信じたい。では、どうすれば?このひとつの大きなクエスチョンマークを前に、ずっとあくせくしてきたのが今までだったように思う。自分なりの今の答えは「利他的であること」という一言に尽きる。自分が愛するものを見つけること、そしてその愛するものをシェアしていくこと、それしかないんじゃないのかと思っている。

人間には二種類いる。明るいエネルギーを発している人と、暗いエネルギーを発している人だ。人も虫も同じだ。明るいところにモノは集まる。自ら望んで負のオーラを全身に浴びたいと思う人は少ない。誰だって前向きなエネルギーに触れていたいと思うものだし、それは自己啓発的な薄っぺらい表面的な当たり障りのない無難な言葉の羅列ではなく、血の通っている温もりを持ったエネルギーに触れたいと思っている。そういうものに私はなりたいと思うし、そのエネルギーは目で見ることはできない。

光になれるだろうか。

私は今、新潟市内のファミレスからこの記事を書いている。隣のギャル風の女性2人は、今も乾いた声で笑っている。何かを嘲笑しているようで、冷たく刺しつけるような響きを持ってこだましている。スマホを開けばTwitterFacebookで大勢の人たちの投稿が表示される。明るそうな人もいれば、暗そうな人もいる。前向きな情報を発信する人もいれば、後ろ向きな発言をする人もいるし、そのどちらでもない人もたくさんいる。この世に存在する多くの人々が何かを思いながら生きていて、私達は自分の気持ちを誰かにわかってもらいたいと願ったりする。もちろんそうでない人もいる。

自分が愛するものを見つけること。自分が愛するものをシェアしていくこと。私にとって前向きなエネルギーというものは、使えば減るという類のものではない。優しさは使っても減らない。優しさを受け取った人は他の人に優しくするかもしれない。優しさは増幅する。悲しみも増幅する。気持ちが常に伝わるとは限らない。伝わった感情はよろこびへと変わり、伝わらなかった感情はさみしさを生む。

一度の失敗ですべてが終わったわけではない。希望を維持することは難しいけれど、絶望を維持することは簡単だ。簡単なことに価値はない。希望を抱き続けることは難しいけれど、だからこそ価値のある営みになる。自分を支える。自分にも生まれてきた甲斐があったのだと信じたい、こう願う私の弱さは希望にもなり、あきらめきれなかった感情は今でも私を支えている。強くなりたい。優しくありたい。

あきらめてはいけない。

抱負らしい抱負も抱けずに、ファミレスでひとりさみしさのようなものを感じていて、明日になればまた私は元気になって明るく日々を過ごして行くのだろうと感じている。ギャル風の二人の笑い声が響いている。自分が愛するものを見つけること。自分が愛するものをシェアしていくこと。この瞬間は今だけのもので、昨日のものでもなければ明日のものでもない今だけのものだ。

人生は続く。

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya
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