天才とは、システムのエラーである。
台湾を経由して、いま、三軒茶屋のデニーズからこの記事を更新している。帰りの飛行機の中で読んだレイ・カーツワイル『シンギュラリティは近い』という本が面白く、その後、東京で合流した友達とSF的な未来の話をした。私は古典に触れるのが好きで、時代が変化しても変わることのない『普遍的』なサムシングに関心があったものの、いま、普遍的とされてきた前提そのものがまるごと変わろうとしている時期が迫っているのかもしれない。
今回は、対話形式でお送りいたします。
人間が死ななくなる。
坂爪「飛行機の中で『シンギュラリティは近い』っていう(非常に乱暴にまとめると)未来予測的な本を読んでいたんだけど、これが半端なくて、科学技術とかの発達によって近い将来『現在の生物学的年齢から本人が希望する年齢へと若返られるようになる』ようになるらしいの」
男友達「まじか!」
坂爪「少なくとも、現在の10倍は人類は長生きできるようになって、150歳になっても30歳の状態を保つことも可能で、あと、臓器の大部分は不要にすることができるようになるから『トイレに行かなくてもいい身体』とか『何も食べなくても死なない身体(どれだけ食べても太らない身体)』とかにすることもできるらしいの」
男友達「まじか!」
坂爪「だからね、いままで前提とされてきた「人生は短い。いつか必ず終わりの瞬間が来るのだから、いまを大切に生きよう」的なものも(必ずしも)そうではなくなってしまうようになるから、生きようと思えばいつまでも生きられてしまう世の中になってしまうときに、なんていうか『これまで常識とされてきたあらゆるものが揺らぐ』的な気がして、いろいろなことがわからなくなってしまって、なんだかワクワクしてしまいました!」
完全没入型のヴァーチャルリアリティ。
坂爪「あとね、巷で話題の『五感全てを組み込んだ完全没入型のヴァーチャルリアリティ』も出てくる(仮想現実が現実の水準に追いつく)から、たとえば、高い金を出してまで海外に行かなくてもメガネ的なサムシングが進化したものを装着すれば、即座に欧州でも南米でも(多分)月面の上にでも行けてしまうし、リアル社会ではまったくモテなくて彼女ができない男のひとも、バーチャルの世界ではSEXだろうが何だろうがいつでもできるようになるとかならないとか」
男友達「半端ないね」
坂爪「あとね、いままでは、たとえば俺が英語を習得したとしても、英語を話せるようになるのは俺ひとりだけの話だったけど、人類の脳味噌がスマホみたいに進化(リンク)しちゃえば、この世の中の誰かひとりでも何か新しいことができるようになれば『人類全体がそれをできるようになる』というかなんというか」
男友達「半端ないね」
坂爪「スマホにアプリをダウンロードするみたいに、英語を話したければ英語アプリを自分にインストールしたり、日本国憲法をマスターしたければ日本国憲法アプリを自分にインストールすればいいみたいな感じで、なんていうんだろう、何かこう『頑張る』という言葉そのものが死語になりそうな予感がしたよ」
男友達「スポーツの世界でも、いま、パラリンピックに義足で出場している選手の方が健常者よりも早く走るとかいう話を聞いたこともあるし、肉体改造も『どこまでが肉体改造なのか?』とか、いろいろと訳がわからなくなることがあるよ」
「わたし」とは誰なのか。
坂爪「でね、たとえば俺はツイッターをやっているけれど、過去の投稿の傾向とかを機械に読み込ませれば、俺が死んだ後も『坂爪圭吾が投稿しそうなこと』を自分の代わりに投稿してくれるようにもなるし、俺の脳味噌を何かしらの方法で保存をしておけば、俺が死んだ後も『坂爪圭吾そっくりのロボットと一緒に遊んだり、一緒に仕事をすることもできる』ようになるらしいの」
女友達「すごいね」
坂爪「こうなってくるとさ、いよいよ『自分とは何か?生きるとは、どういうことなのか?』みたいな気持ちになります」
女友達「私は、美大に通っていたんだけどね」
坂爪「うん」
女友達「受験の時とかは、ひたすら『上手に絵を描く!』ということだけに集中していればよかったんだけど、大学にはいると『自分を出しなさい!』みたいな風になって、嫌でも自分と向き合わなくちゃいけない時間を過ごすことになるから、それで病むひととかもすごいたくさんいたんだ」
男友達「ただでさえ病みやすい年齢だというのに!」
女友達「自分とは何かとか、考え始めると鬱になるよね」
坂爪「鬱になるときは、なるね!」
いろいろなことがわからなくなる。
坂爪「ブルーハーツの情熱の薔薇っていう曲の中に『見てきたものや / 聞いたこと / いままで覚えた全部 / デタラメだったら面白い / そんな気持ちわかるでしょう』っていう歌詞があるんだけど、まさにこの気分といいますか、俺はもう、何がなんだかいろいろなことがわからなくなってしまいました!」
男友達「これは、わからなくなるね」
坂爪「人間は、いかに生きるべきか」
女友達「謎だね」
坂爪「ただ、俺はこの『わからねえぞ!感』がすごい好きみたいで、なんだかうれしくなってしまう自分がいるし、極論『人生は、何でもありなんだなあ』みたいな気持ちにもなってくるから、わからないって素敵だな、わからないって楽しいな、っていう気持ちになります」
『シンギュラリティは近い』
今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、レイ・カーツワイル『シンギュラリティは近い』です。上記でご紹介した通り、いろいろな意味で面白い一冊です。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡をさせていただきます。
※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※
【参考HP】わたり食堂・わたり文庫
天才とは、システムのエラーである。
スイスの画家であるパウル・クレーの言葉に「天才とは、システムのエラーである」というものがある。私は、この『エラー』という言葉が大好きで、生きとし生けるものは、皆、何かしらのエラーを抱えながら生きているのではないだろうかと睨んでいる。誰もが『一見すると普通に生きている』ように見える中で、実は、そのひとオリジナルの『エラー』をこっそり抱えているものだと睨んでいる。
⚪︎⚪︎すべきとか、⚪︎⚪︎しなければいけないという言い方や考え方は、できることなら控えていきたい。誰かが決めた模範的な優等生の姿よりも、「⚪︎⚪︎したくなる」とか「⚪︎⚪︎してしまっていた」という姿の中に、その人だけに宿る自然や、その人だけに宿る魅力はあるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月22日
ものすごい清楚な感じの女の子が両親の目を盗んでロックンロールを愛聴していた事実を知ると、たとえば、私はとっても嬉しくなる。普段はスーツでビシッと決めている真面目で誠実そうな男性も、ストレスが溜まった時は、自宅のココアを粉のままで踊り食う『粉喰い』をしていたのだという事実を知ると、私は、これまたとっても嬉しくなる。皆、何かしらギリギリの状態になりながら【自分なりの方法で必死に自分を保ちながら】生きているのだというその事実に、不思議な癒しを感じてしまう。
恐れなければ、心を閉ざしてしまわなければ、人生は素晴らしいものになるんだ。 pic.twitter.com/rEsaeOzUwg
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月23日
私は、いよいよ、いろいろなことがわからなくなった。自分は何者なのか、これからどのような志を胸に抱き、そして、どのような態度でいまという瞬間を生きるべきなのか、など、私は、何も知らない。わかることと言えば、世界はこの瞬間も確実に変化をしているのだということと、こうでなければいけないということなんて、実は、ひとつもないのだということ程度だ。感じることと言えば、沈む夕日を見たときに「夕日が綺麗だ」と感じる自分はまさにここにいるのだということと、そして、自分の中にある『(完璧性ではない)エラー』の部分こそ、抱き締めていきたいのだということだ。
何もしたくない時には、何かをしたくなる時まで、ただ、何もしないでいればいいのだと思う。何かをしなければいけないという罪悪感に駆られている時間は辛いけれど、その時期を超えた先には、前よりも透明で、前よりも強い、そして、前よりも揺るぎのなくなっている自分がいるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月22日
人生は続く。
静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
MAIL keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://goo.gl/s6F9wE