いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

俺たちには、ハッピーエンドの才能がある。

 

わたしには芸能人の友達がふたりいて、ふたりとも自殺をしてしまった。日常的には彼らのことを忘れているが、数週間に一度「死者が訪れる」周期がある。そうなるともう大変で、わたしはさびしさや孤独や苦しみに打ちひしがれ、ここにいることができなくなる。苦しい時はどうしても喜びや温もりを求めてしまう。しかし、苦しみを誤魔化したり打ち消そうとするほど「苦しみを噛み締めて生きろ。苦しみの奥にある光を掴め」と言われている気がして、耐える。苦しみに飲まれてしまうと、大変だ。昨日、この大変さを言語化することができた。俺もそっちに行きたいよ。そういう弱音みたいなものが、さびしさとなって体から噴き出していたのだ。

 

おおまかなスケジュール

5月27
(金)熱海

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

いい人にならないで、かっこいい人になってください。

上を向いて歩こうなどの作詞家でも知られる永六輔さんは、妻を早く失った。妻を深く愛していた永さんは喪失感に打ちひしがれたが、それでも生きていかなければいけない。旅を愛する永さんは、旅先から妻に手紙を書き続けた。決して読まれることのない手紙を、投函されることのない手紙を延々と書き続けた。このエピソードを聞いた時、わたしは強い感動を覚えた。そうか。言葉は、死んだ人にも贈ることができるのだ。そう思い、昨夜、折り紙に彼らの名前を書きメッセージを添えて鶴を折った。書きながら心が浄化された。死にたいが生きたいに変わり、死んでいるが生きているに変わった。共に生きるというワードが頭をよぎり、俺はお前を忘れないぜと思った。まるで、思い出すためにさびしくなっているような気がした。

 

生きることと生きたいと思うことは別物だ。現代社会は物質的にも福祉的にも恵まれ、餓死をすることも路上で野垂れ死ぬこともほぼほぼない。助けてくれと叫べば受け入れ先は無限にあるし、選ばなければ仕事もある。だが、生きていけることと生きたいと思うことは別物だ。恵まれているにも関わらず、まったく恵まれていない心の渇望がある。それが自殺を引き起こしたり精神病を引き起こしたり買い物依存やアルコール依存を引き起こしたり、戦争や暴力や犯罪を引き起こしたりする。飢えて痩せ細り力を失った心は「自分は生きるに値しない」とか「死んだ方がマシだ」などと言った言葉で、自分の無力さを証明しようとする。しかし、心は魂に勝てない。魂は、常に「そんなことはないぜ」と囁いている。だから、わたしたちは映画を見たり音楽を聴いたり小説を読む。そして、圧倒的なイエスに包まれた時、喜びの涙を流す。自分は生きていてもいいのだと、こんな自分でももしかしたらなにかを成し遂げることができるのかもしれないと、命が肯定される喜びを覚える。

 

人間は商品じゃない。作品だ。売り物ではなく贈り物だ。不要な人間はいない。神は不必要な人間を作るほど愚かではない。使い捨てにされるべき命は一つもない。物質的に恵まれるほど、精神的なものに対する視聴率は下がる。だから、私たちは必死になって外見を取り繕うとするが、心は空洞を抱えたまま。誰も命を見ない。誰も命を見てくれない。そして心は冷えて行く。飢えを満たすことができるのは金でもなければ物でもない。愛だ。愛と光だけが、心の飢えを満たす。金があれば生きていくことができる。物があれば生きていくことができる。しかし、生きていけることと生きたいと思うことは別物だ。魂は、愛と光を求めている。これぐらいできないと人間として恥ずかしいとか、これぐらいできないと自分には愛される値打ちがないとか、そういった条件を吹き飛ばす。愛と光は「お前はお前で最高だ」と囁く。細かいことは気にするな、いい人になんてなろうとするなよ、いい人になろうとするんじゃなくてかっこいい人になれよ、好かれようとしないでも大丈夫、俺はお前を知っているぜ、お前は最高にかっこいい人間だってことを知っているぜ。

 

死ぬことよりも怖いこと、それは諦めることだ。

映画「ラブ・アゲイン」「世界にひとつのプレイブック」「ラ・ラ・ランド」を立て続けに見て思った。外国人はよく踊る。男はスーツ、女はドレスを着て、社交の場で頻繁に踊る。明日世界が終わるとしても踊る。日本人の場合、明日死ぬとしたら好きな人と抱き合いたいとか一緒に食事をしたいだとか、静的なものを望むだろう。だが、彼らはセックスや食事と同じレベルで踊る。とにかく踊る。初対面同士でも踊る。世界の終わりが来ても踊る。それを見て「これは俺も踊った方がいいのではないか」と思った。スーツをビシッ!と決め、着飾った女性と手を取り踊る。恥ずかしがる女性を半ば強制的に着飾り、メイクを施し、舞台の上に連れ出す。人前で肌を露出する。技量は関係ない。踊りたいように踊り、動きたいように動く。

 

死ぬ前にメッセージを残せるとしたら、簡単な言葉で表現することができる。夢を諦めるな。自分を信じろ。人と比べるな。何があっても自分の好きを手放すな。死んでもいい。死んでもいいから、夢を諦めるな。石に齧り付いてでも生きてやれ。死ぬことよりも怖いこと、それは諦めることだ。いい人になんてならなくていいから、かっこいい人になってください。この世ランドは金の問題がついてまわるが、ちゃんとしようなんて思わないでください。夢を諦めた人間が「普通の世界」にあなたをひきずり下ろそうとするけれど、見るべき光を忘れるな。いい映画やいい音楽、いい漫画がわたしたちに伝えているメッセージは猛烈に簡単な言葉で表現することができる。それは「やれ」だ。それは「やっちまえ」と言っている。細かいことは気にするな。大丈夫。全部うまくいく。だからやれ。だから行け。やりたいと思うことがあるならば、それを後回しにしている場合ではない。やりたくないことをやって生きるより、やりたいことをやって死になさい。大丈夫。人間は案外死なないから。諦めるから死ぬんだよ。諦めなければ、君は永遠に生き続けるだろう。

 

俺たちには、ハッピーエンドの才能がある。愛の才能がある。青春の才能がある。その才能を信じるのだ。俺は死ぬまで言うぞ。お前は最高だ。年齢は関係ない。夢を諦めるな。人と比べるな。自分を信じろ。絶対に大丈夫だ。死んでもいいからやっちまえ。潔く。晴々しく。お前には才能がある。夢を見る才能が。青春の才能が。お前にはハッピーエンドの才能がある。だから、俺たちは映画や音楽や漫画に感動をするのだ。いい人になんてならないでいいから、かっこいい人になってください。死んだ友がリヴァー・フェニックスなら、俺がホアキン・フェニックスになる。5月29日(日)に熱海で日曜礼拝を開催する。テーマは恋と革命だ。これがわたしの唯一の収入源なので、金を置くためだけに来てください。そして語り合いましょう。映画のような人生を、音楽のような人生を、漫画のような人生を、共に。

 

第三回日曜礼拝逢初庵「恋と革命」

日時・5月29日(日)10時-12時
場所・逢初庵
住所・静岡県熱海市伊豆山302
JR熱海駅より徒歩20分。バスを利用する場合、熱海駅改札を出て左手にあるバスターミナルの四番乗り場から乗り「岸谷」バス停で下車。バス停から徒歩5分程度で逢初庵に到着いたします。
参加費・ドネーション(逢初庵の維持費になります)
ドネーションは任意であり、強制ではありません。
参加方法・LINE or メールで、坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。

タイムテーブル

10時00分 熱海駅改札前待ち合わせ(改札は一つだけになります)
10時30分 逢初庵到着。企画趣旨の説明。前半戦スタート。
11時00分 休憩
11時15分 後半戦スタート。戦とか書くと物騒だけど普通に進みます。
11時45分 締めの挨拶
12時00分 終了(終了以降は、ご自由にお過ごしください)

遠方からお越しの方など、宿泊をすることも可能です。宿泊費・食費などは一切かかりません。必要な場合はご相談ください。目指せ、森のイスキア。

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

ご不明な点は、お気軽にお尋ねください。

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

LINE ID ibaya