いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

これをやればうまくいくということではなく、これをやったらダメになるかもしれないと思うことをやろう。

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四条烏丸ドトールにいる。昨日、自分を表現することに半端ではない恐怖心があると話す方にお会いした。その方が「どうせ誰も自分のことなんて気にしていないからどんどん出せばいいんですよね」と自分で言ったが、ノンノンノン、逆だよ。世界はあなたが本当の思いを出してくれることを待っているんだよ。それだけが世界を動かすんだよ。隠れて生きたらダメだよ。一人で生きたらダメだよと思った。

 

おおまかなスケジュール

4月2(土)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

一人は楽だが退屈だ。

一人は楽だ。誰にも気を使わないでいいし、好きなことを延々とやっていられる。だが、好きなことの内容がYOUTUBEであったりゲームであったりするのはどうなのだろう。本当に好きならそれでいい。だが、頭の片隅にこのままでは自分がダメになるという思いがあるのなら、いますぐにやめて飛び出した方がいい。そうじゃないと永遠に飛び出せない人間になってしまう。腐る。魂が腐る。既に半分腐っている。残りの半分を死守するのだ。人生に退屈をするのは挑まないからだ。自分を出すのが怖いと言うが、自分を出さないで死ぬことの方がずっと怖いはずだ。自分を出さないで隠れて生きているから、生きているのに死んでいる気分になるのだ。

 

人と会うと疲れるのは本当のことを話していないからだ。普通とか世間体とか一般常識に自分をあてはめて「ここではこういう風に立ち振る舞うのが無難」とか言って、安全な道ばかりを選ぶから魂が腐るのだ。危険な道を選ぶことだ。危険な道を選ぶことで精神は蘇る。こんなことを言っちゃダメだよなと思うことを言う。こんなことを言っちゃ相手に失礼だよなと思うことを言う。失礼だと思うことが一番失礼だと思い直して、フェアに相手に真っ向勝負でぶつかって行く。本当の思いを口にする瞬間は怖い。声が震える。体が震える。動悸がする。涙が出ることもあるだろう。だが、それがいいのだ。それでこそ本当の会話だ。普通なんて得体の知れないものに自分を寄せて生きるのではなく、自分を出す。震えながら出す。泣きながら出す。怖さを克服してから出すのではなく怖いまま出す。そこに突破口がある。

 

日本でカラオケが流行る理由が少しわかった。自分の歌を歌う人間が少ないのだ。自分の歌を歌い始めたら他人の歌を歌っている場合ではなくなる。他人の歌を歌う時の基準は「うまいか、へたか」それだけだ。だから精一杯練習をして他人から評価されることに重きが置かれる。だが、私はかつて歌がうまいというだけの理由で感動をした覚えがない。うまいだけでは退屈だ。その人がその人である所以を感じるからこそ感動をするのだ。うまくやる必要はない。うまくやろうとするほど自分から遠く遠く離れていく。自分の歌を歌うことだ。自分の歌を歌う限り、基準は常に自分にある。他人からの評価や数字を気にするだけの人生は虚しい。視聴者に媚びて広告で稼ぐような生き方は不潔だ。へたでもいいから自分の歌を歌うことだ。

 

これをやればうまくいくということではなく、これをやったらダメになるかもしれないと思うことをやろう。

坂爪さんは毎日色々な人に会っていて凄いですねと言われるが微妙だ。毎日色々な人に会っているのはみんな同じだ。ドトールの店員は私とは比較にならないレベルで毎日大勢の人々に会っている。問題は質だ。なんとなく会っていたらそりゃあなんとなくで終わる。肉薄するのだ。相手のコアに最短距離で突き進むことだ。サービス業の店員のほとんどは機械みたいな人間というよりはもはや機械が人間のフリをしていると思わされるくらい心が死んでいるが、相手のコアに肉薄するのだ。婚活や出会い系アプリを使っている人々は「今日会った人はハズレでした」みたいなことを平気で言う。この態度に問題がある。誰かをハズレ認定してその場しのぎのやりとりを繰り返していると、自分の一部をハズレ認定することになる。毎日が虚しくなるのは自分が他者を裁くからだ。他者を裁くほど、自分自身を裁いている。

 

街を歩くと「買わなきゃ損!」みたいな広告を多数目にする。たとえ安く買えたとしても金を払っている時点で損だろと思うのだが、企業はいかに商品を買ってもらうかに命を燃やしているから当然のことだ。お客様のためとか偽りながら結局は自社利益のために宣伝を打つことは通常のことで、これが個人にも適応されているのが今だ。表面的には相手のためとか言っておきながら、結局は自分を守るために生きている。世間的に言われている優しさの9割はただの保身だから、本当の優しさを目にする機会は圧倒的に少ない。私はそこに憤りを覚える。全部嘘じゃねえか、と。全部嘘じゃねえかと叫ぶその姿が、逆説的だが時折誰かの胸を打ったりする。本当の思いを叫ぶとき、それに触れた誰かの本当の思いを呼び覚ますことがある。

 

愛想笑いや社交辞令、自分を取り繕っていい人の演技を続けるなど、嘘を吐き続けていたら自分を嫌いにならない方がおかしい。体が震えても涙が出ても本当の思いを口にすることだ。無難な道を選ぶのではなく、危険な道を選ぶことだ。これをやればうまくいくということではなく、これをやったらダメになるかもしれないと思うことをやろう。危険に賭ける。危険に突っ込む。死に直面した瞬間に湧き上がる直情こそが生の実感になる。怒りこそ愛だろ。誰かのためとか言いながら自分を押し殺して生きている人間が真に誰かを愛せるとは思えない。中途半端な優しさを乗り越えて本当の思いを生きた人間こそが、本当の優しさを差し出せるのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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