いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

どんどんはじめて、どんどんやめよう。

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神戸のドトールにいる。祈る時、私たちは頭(こうべ)を垂れる。これは、自分の首を切り落とされたとしても構わないから祈りを聞いてくださいと願う、静謐にして苛烈な意味合いが込められている。自分の命と引き換えにしても尚、祈りたいと思うこと。自分のためだけの祈りは聞かれないと言う。首を切り落とされたら元も子もないからだ。自分の命と引き換えにしてさえ尚、祈りたいことは何だろうか。

 

おおまかなスケジュール

3月16(水)神戸
3月17(木)福岡
3月18(金)熊本

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

天下無敵の無一文。

昨日まで実家の新潟にいたが、自分が元気な理由がわかった。母親が元気なのだ。母親は山形のど田舎で生まれた。百姓の娘として生まれた母は幼少期食い扶持を減らすために身売りされかけた。田植えの時期は当然学校を休む。大正時代の人々と似通った生活をしてきたのだが、その暮らしが母親を鍛えた。雪国の人々はブラックジョークを好む。笑わないとやっていけないというのが本音だろうが、何かあるたびに「貧乏人ほどよく笑う」と言って母親は笑った。母親は飛行機に一度しか乗ったことがない。北海道で生活保護を受けていた母親の兄が問題を引き起こし、身元引受人として呼ばれた時に乗った切りだ。先日、生まれて初めて母親はサイゼリアに行った。安価なイタリアレストランだが、母親は「なんだこれは!」と連呼をしながら、エスカルゴなどを感激しながら食べていた。母親の一人称は「俺」だ。

 

そういう母親を見て育ったからだと思う。何かあっても「大正時代に比べればマシ」とか「戦時中はみんな芋食ってた」とか、そう思うことで活力を得る。俺に金がなかろうが世の中は(少なくとも物質的には)豊かになっているから大丈夫だ。そんなことを思いながら野宿をしたり延々と歩いたり噴水で髪の毛を洗ったりしている。金持ちになりたいとかいい家に暮らしたいとか、思わない訳ではない。しかし、私はスラム街で見たこどもの瞳の輝きを忘れることができない。彼らは物質的には貧しい。だが、瞳は我々の数倍輝いている。実家の父や母の姿に、スラム街のこどもに共通する輝きを感じることがある。彼らは実に素朴だが、彼らと過ごすと和む。情報社会にさらされ続けた擦り傷が修復されていく安堵感を覚えるのだ。この感覚は、野良猫を目にした時と似ている。私は、野良の人間から生まれたのだ。

 

新潟でお会いした女性が「私の旦那は結婚した当初は貯金がないばかりか借金がありました。しかし、彼には全然ジメジメしたところがなくって『俺は、天下無敵の無一文だ!』とか偉そうに言う人だったから、そういうところが好きになって結婚をした」と話してくれた。天下無敵の無一文。なんという開き直り。なんという居直り。最高だなあ(俺も使おう)と感銘を受けた。一般的には低く見られる立場に胸を張る。金があるから胸を張るのは普通だ。だが、金がないのに胸を張っている人間を見ると「なんでそんなに堂々としていられるのですか!?」と周囲が驚愕する。理由は単純。世間的な価値基準ではない、その人独自の価値観があるからだ。世間的な評価を軸にすると簡単にブレる。だが、自分の信条を持った人間は簡単にはブレない。孫悟空もキリストも仏陀も、言ってしまえば無職だ。だが、彼らは最強の無職だ。孫悟空は「オラ、ワクワクしてきたぞ」などと言いながら、面白い方へ面白い方へと突っ込んで行く。これは極めて理にかなっている。神様は、我々人間に「苦しめ」だなんて言っていない。神は、ただただ「楽しめ」と言っている。

 

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どんどんはじめて、どんどんやめよう。

今日明日の寝床はないけれど突っ込む。明後日までに熊本駅に着く必要がある。なぜか。10年前の3月18日に息子を自死で亡くされた女性がいるからだ。その方から「息子の遺影の前で坂爪さんの歌を歌って欲しい」と連絡をいただいた。これはもう絶対にやるっきゃないと即決した。やるしかないではない。やるっきゃないである。息子さんも生前ギターで作曲活動をしており、私の歌う姿が息子さんと被って見えたとその方は言った。当日は、息子さんが愛用していたギターを借りて歌う予定だ。何を歌おう。私は当然、息子さんとお会いしたことはない。だが、歌うことで繋がれる気がする。音楽と、言葉と、花束は、死んだ人にも贈ることができる。

 

様々な人々と会う中で、なんとなく自分の役割が見えて来た。人間、生きているとどうしても人間関係が固定化される。日常的に話すのは職場の人間か家庭の人間だけなんてことはザラだ。それを悪いとは言わないが、固定化は死に近い。そんな時に、旅する異物(俺)が役に立つ。良くも悪くも外側の世界に触れることで、画一的な日々に風穴が空き、新しいアイデアや活力を得る。先日、お会いした方から「人と会ってばかりだと疲れませんか」と問われた。自分を偽っていたら疲れるだろうなと思った。だが、本来、誰かと出会うことは素晴らしいことのはずだ。それなのになぜ「疲れる」とか「傷つく」とかマイナスの可能性を優先して制限をかけるのかわからない。おそらく、誰かと会う時に「こうするべき」というべき論が支配をしてしまっていて、自由に振る舞うことに抵抗を感じている人が大勢いるのだろう。そんなものは蹴飛ばしてしまえ。自分を取り繕って好かれるよりも、自分を出して嫌われる方がずっといい。嫌われないように生きるのではなく、潔く、嫌われてしまおうじゃないか。それでも尚、自分を出しても好かれたのなら万々歳だ。

 

新潟空港まで父親とドライブをした。父親が「魚釣りに行く時一時停止を無視して突撃したらパトカーに追われた。あんた、踏切は一時停止しなきゃダメだよと言われたから『この時間は電車も走ってないからいいでしょ』って言ったんだけどそういうことじゃないんだよと怒られた。その日は一日中おもっしぇくなかった」と笑いながら話した。父親のこういう話を聞くのはたまらなくいいものだなと思った。よく、愛情を示す時に家を買ったり花を買ったり宝石を買ったり『モノ』を贈ろうとしてしまうことがあるが、一番の贈り物は一緒に過ごした楽しい時間なのかもしれないと思った。モノは確かに素晴らしい。しかし、一番の宝物は「自分はしっかりと見てもらえている」という実感ではないだろうか。モノでは埋まらない心の隙間がある。現代人は視聴率不足だ。自分の代わりなんていくらでもいる、自分は必要のない人間なんだと思っている人々がたくさんいる。そこに視聴率を注ぎたい。ともすると「どうすれば自分を見てもらえるか」「どうすれば愛されるか」「どうすればモテるか」ばかりが取り沙汰される世の中だが、自分ではなく相手をしっかり見ることの方が何億倍も大切だと思う。見られることよりも、見ることに意識が切り替わることで、人は自由を手に入れる。愛される人とは、愛する人のことだ。

 

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「黄金のままでいられるか」

空に浮かぶ月が海に 白にも似た道を作り
揺れた波が描く色が 俺の両目を照らした

奴等の言うことは全部 正解でも本当じゃない
なんでもありの体現者 誤解される君は 綺麗

綺麗な物たちは全部 哀しみを隠し持っていて
優しい者たちは全部 ナイフを隠し持っていて

歯車を弾き出された 錬金術師たちが昨日
見上げた星が瞬いた 夜の歌を 響かせて

黄金のままでいられるか なんでもないような顔で
黄金のままでいられるか いまにも泣きそうな顔で

曇り空の更に上に 青い空が広がってる
金色(ゴールド)の光が差して 彼女の罪も許される

冷えたアスファルトの下に 燃えるマグマを感じてる
金色(ゴールド)に憧れたまま 憧れたまま死ぬのさ

黄金のままでいられるか 誰にも 見つけられない
黄金のままでいられるか 君を見つけられないから

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて 
誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて

俺のような君に会って 君のような俺に会って
一つだけやっと分かった 不幸な人間はいない

傷口から零れ出した 賛美歌と血が流れる
唯一無二の体現者 誤解される君は 綺麗

世界の何処かにはきっと 自分みたいなやつがいて
いまにも泣きそうな顔で 出会えること待っている

世界の何処かにはきっと お前みたいなやつがいて
いまにも泣きそうな顔で 出会えること待っている

黄金のままでいられるか なんでもないような顔で
黄金のままでいられるか いまにも泣きそうな顔で

黄金のままでいられるか 誰にも 見つけられない
黄金のままでいられるか 君を 見つけに行くから

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて
誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて 

君は 綺麗 君は 綺麗 君は 綺麗 君は 綺麗

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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