いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

愛の中にはみんないて、好きの中には君しかいない。

f:id:ibaya:20211219072057j:plain

 

四条烏丸ドトールにいる、今年はたくさんの人が死んでしまって、戦時中なんじゃないかなってくらいバタバタ人が死んでしまって、先月一緒に食事をした人がこの世からいなくなっていたり、死んでしまったことをニュースで知ったり、だけどそんなことはなかなか人に話せないから、本や、音楽や、自然に触れることで慰めてもらっている。私たちが、最後に残すことのできる贈り物が、命なのだと思う。

 

おおまかなスケジュール

12月23日(木)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

「願う」と「叶う」。

精神病棟に入院中のA様から「会いたい」と連絡をもらった。8時から18時の間なら、二時間の外出が許されている。指定された駅に向かったが、A様がいない。電話で到着したことを告げると、A様は「僕も駅前にいます」とのこと。それなのになぜ合流できないのか困惑していたが、指定された駅の名前が間違っていた。結局、実際に会うことは叶わなかったが、電話で少しだけ会話をした。A様は「こんな見ず知らずの人間のために、わざわざ来てくれてありがとうございます」と言った。初対面さえ交わせなかったが、A様を、見ず知らずの他人とは思わなかった。

 

その後、H様に呼ばれ大阪に移動した。H様とは「願う」と「叶う」の話をした。叶わないからといって、願うことまでやめてしまってはいけない。願うと、叶うは、別々のものだ。心から何かを願うことができた時、叶う、叶わないを問わず、その瞬間は美しく、尊い。願った通りの出来事が実現することだけが、喜びではない。願いが叶わなかったからこそ、受け取ることのできる体験がある。感じることのできる感情がある。広げることのできる世界がある。叶わないからといって、願うことまでやめてしまってはいけない。わがままと思われるような願いでもいい。わがままを口にできたことが素晴らしいのであって、それが叶うかどうかは別の問題だ。叶わない方がいいわがままもある。ただ、叶わないからといって、願うことまでやめてしまってはいけない。希望を語ることを、諦めてしまってはいけない。

 

大阪に向かう新幹線の中で、一通のメールを受け取った。そこには、以下のようなことが書かれてあった。クリスマスを目前に控え、街は賑やかだが、本来のクリスマスは何を意味するのだろう。陽気に浮かれてプレゼント交換をすることだけが、クリスマスではない気がする。神聖な何か、崇高な何かを求める心の渇きがある。賑わいの中に虚しさがあり、静けさの中に賑やかさがある。最初から最後までそこにあるもの、しかし、多くの人々がその横を素通りしていくもの、それが祈りだと思う。真に人の心を動かすものは、祈りだけだと思う。祈りのないものに、人の心は反応をしない。祈っているか、どうか。どれだけ祈れるかどうかなのだと思う。

 

圭吾、はろー!!!!あの、もし、お御堂に行く機会があったなら、お祈りをしてくれませんか。

こないだ、圭吾と3人で会った、○○○さんが死にそうなんです。昨日、電話がかかってきて、病名はわからないけど、きっと、末期ガンなんだと思います。苦しんでいて、呻いていました。悲しくてずっと泣いていて、今も、一人でいると涙が止まらなくて、ちょうど圭吾と祈りの話をしたあとだったからいろいろと心に思うこともあって。

○○○さんは、圭吾に会えたことをほんとに喜んでました。あんなにヒリヒリした思いをして生きているひとに、久しぶりにあったといっていました。圭吾は心が美しくて、真面目で、本当にあえて嬉しかったと伝えてほしいと言われました。

○○○さんは、わたしにとって、とても大切なひとです。苦しむくらいなら、楽になってほしいと思いながら、それでももう一度、会いたいなと思っていたりもします。だから正直、なにをお祈りすればいいのかわからなくなっていたりもするのだけど、圭吾に伝えたかったしお願いしたかったので、メールしました。

 

note.com

 

愛の中にはみんないて、好きの中には君しかいない。

冬至を越え、あと数日も経てば新しい一年がはじまる。ひとつ、ひとつ、終わらせていく。はじめることが贈り物なら、終わらせることも贈り物だ。終わりの中にはじまりがあり、はじまりの中に終わりがある。手を離すことと、手を離さないことは、正反対のことのようで、実際は表裏一体なのかもしれない。マザーテレサは、愛の反対は無関心と言った。私は、所有から解放するものが愛だと思った。熊本在住の方から一通のメールが届いた。そこには、このような言葉が書かれてあった。

 

坂爪さんお久しぶりです!9月に坂爪さんと会って「わたし離婚したいんだ」と気付いて、なんだかんだと時が過ぎ、ようやく、別のお家が決まりまして離婚届も書きまして、というところです☺️♥️

色々考えたりする日々の中で、坂爪さんの言葉が頭をよぎることが何度もありました。「離婚はいきおい!」とか、他にも色々。

何年もこわくて見ないふりをしていた離婚を、今はわーいイェーイ♪というかんじで出来るのがとてもうれしいです。

あと今度友達と一緒にライブします。「生活の柄」もやります。

毎日寒いですね。坂爪さんがあたたかいところで眠れますように!

また坂爪さんに会いたい!と思ったらご連絡します。

ありがとうございました!

 

もう一通、大分在住の方からメールを貰った。

 

お久しぶりです。お元気ですか?

 

突然ですけど、坂爪さんにどうしても伝えたくなってご連絡しました。
返信は不要ですので、お時間のあるときに読んでいただけると嬉しいです。

 

数ヵ月前からホスピスで働き始めました。
末期ガンの方しか入院できない病院で、ほとんどの方が数日~数ヵ月で亡くなります。
そのような方々と家族が、一秒でも長く穏やかに過ごせるような援助をしています。

 

ホスピスでは死がとても身近にあるので、その対極にある生が浮き上がって見え、私はずっと生きてたんだな、としみじみ感じるようになりました。
五感があって、体がどこも痛くなくて、夜ぐっすり眠れて、朝すっきり目が覚めて排泄できて、好きなものを食べて好きなところに行ける。苦しいとか寂しいとか悲しいとかの感情を味わえる。
あぁ、私はいま生きてるな、と心の底から実感できるようになりました。

 

生きるってどういうことか、
年を取って、病気になって、死ぬとはどういうことか。
人生で大切なことは全て、患者さんから教えてもらいました。

 

長くなってすみません💦

坂爪さんにまたお会いしたいので、お近くにいらしたときに連絡をさせてください。
寒い日が続きますが、体調にはお気をつけて。
お会いできる日を楽しみにしています。

 

出会いが多いということは、その分、別れが多いということだ。別れが嫌だからと言って出会いを避けてしまうことは、生きることそのものを避けることと同じだ。イギリスの小説家・サッカレーの言葉に「愛してその人を得ることは最上である。愛してその人を失うことは、その次によい。」というものがある。喪失という悲しみの真っ只中にいる時、悲しみの中にいてさえなお、自分は幸せ者だったのだと思う。死んだのではなく、生きたのだ。終わったのではなく、はじまったのだ。なくなったのではなく、あり続けるのだ。永遠にあり続ける。すべての美しいものは、悲しみを内包している。悲しみの中で、私たちは途絶えることのない幸せを知る。人間が最後に残すことのできる贈り物、そして最上の贈り物が、命なのだと思う。

 

note読みました。

 

1カ月前、恵比寿で一輪の真っ白な小薔薇を頂きました。そして次の日、薔薇は、驚く程ピンクの大輪の薔薇になっていて、坂爪さんからだけでなく、薔薇からも沢山、メッセージをもらって、感動した時が蘇り、また泣けてきました。

 

私は一生、あの薔薇を忘れないと思います。
本当に一輪の花の威力はすごいこと、坂爪さんから教えて頂きました。

 

以前、夫の祖母が入っていたホームで、一人のおばあちゃんが、あなたきれいね。と言ってくれて、私は嬉しくなって調子に乗り、おばあちゃんの手を両手で握って、ありがとうございます!って言ったんです。そしたら、そのおばあちゃんは、嬉しい、、ってそれだけで涙を流してくれて、、私も思わずもらい泣きしたことも、ふと思い出しました。

 

私は特に人に与えるものなんて、何もないな、ってずっと思っていたけれど、私にも掌があるな、って、noteを読んでいて思いました。

 

本当にいつもありがとうございます!
本当に坂爪さんに幸あれ!!

 

夜分に失礼致しました。

 

f:id:ibaya:20211219072056j:plain

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

f:id:ibaya:20211220083337j:plain

LINE ID ibaya