いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

あなたはあなたを生きなさい。

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四条烏丸ドトールにいる。連日の移動で心身共にガタが来た。自分を浄化したいと思って山を登ったが、泣き言めいた思いが消えなかった。会いたいと言って連絡をくださる方々はたくさんいるが、一体俺はどこから元気を貰えばいいのだろう。そういうことを感じてしまった。ブログには書けないヘビーな出来事が連続した。心に穴が開いた時、その穴からしか見ることのできない風景が、展開をして行く。

 

おおまかなスケジュール

12月3日(金)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

祈りは分断されたプロセスを統合する。

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人間関係が横の繋がりなら、天地との関係は縦の繋がりだと思う。横の繋がりを求めると苦しくなるが、絶対に断ち切られることのない縦の繋がりを思い出せた時、再び歩き出す力を得る。世間に馴染めない自分が顔を出した時、消えたいと思う自分がそこにいる。自分はいない方がいいという確信、誰も自分を必要としていない確信みたいなものが湧き上がり、精神的にどん詰まる。そういう自分をギリギリのところで解放してくれたものは祈りだと思う。無意識的にだが、祈ることで私は力を得た。祈ることで、心を込めることで分断されたものが繋がり直す感覚がある。

 

今から十年以上前、東京の赤坂で知人たちとカフェを運営していた。昼の店長はNで、夜の店長を私が勤めた。経営関係者は私を除き全員クリスチャンだった。店の名前はエクレシアカフェと言った。ラテン語で教会を意味する。ある日、昼の店長Nがこんなことを言った。カフェの仕事は確かに地味で毎日同じことの繰り返しだけど、今、自分の目の前にいるお客さんは自分しか接することのできない大切な相手なのだということを強く思った。適当に扱うこともできるし、精一杯心を込めて接することもできる。適当に扱った時は自分自身を適当に扱っている気がするし、精一杯心を込めて接することができた時は自分自身を丁寧に扱えている気がする。仕事とは、何をするかというよりも「どういう気持ちを込めたか」が大事なのだと思うようになった、と。これを聞いた時、ああ、これこそが祈りなのだと思った。

 

分断が進むと、自分なんていなくてもいいのだと簡単に思えるようになる。世の中が便利になるほど、当たり前だが分断は進む。いちいち畑で野菜を育てなくてもスーパーで簡単に手に入るから、手間暇をかける苦労も喜びも経由する必要がない。ただ、あまりにも世の中がインスタントになると「自分は取り替え可能な存在なんだ」「自分が自分である必要は極めて薄いものだ」ということを感じやすくなり、自分がかけがえのない存在であるとは感じられなくなる。大袈裟な表現になるが、多分、私たちはプロセスを奪われている。生きている実感を感じるプロセスを奪われ、成果物だけを与えられた時に感じるものは嬉しさよりも虚しさだ。自分が種から育てた作物には愛着が湧く。だが、スーパーに並んだ商品に愛着を覚えることは難しい。私たちは本来大地の上に実るべきものだったはずだが、いまはベルトコンベアに乗せられて自分の出生地も忘れて陳列されている商品になった。祈りが消費に抵抗する。商品を作品にする。「人間は商品じゃない。作品だ」と叫んでいる。

 

あなたはあなたを生きなさい。

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昨日お会いした方からこんなことを聞かれた。元旦那が余命僅かの癌になり、可能な範囲で力になりたいとは思うが、本音を言えばどこまで手を貸すべきなのかがわからない。力になりたいと思う部分と、嫌だ、面倒だと思う部分があって、いつもの自分なら「嫌ならやらなければいいじゃん」と一刀両断できそうなものだが、相手が元旦那ということもあって踏ん切りがつかない。自分が冷酷な人間に感じることもある。坂爪さんは行く先々でもっとここにいてくれと言われることもあると思うのですが、どうやって思いを振り切っている(断ち切っている)のですか、と。


私は「血の涙を流しながら置いて行く」みたいなことを思った。理想的な人間像は人によって異なる。自分を犠牲にしてでも他者に尽くすことが愛だと思う人もいれば、一時的には相手を見捨てる形になったとしても、それでも自分の命を燃やす姿を見せることを通じて生の熱量を伝えることが愛だと思う人もいる。愛とは何か。責任とは何か。私はまだ答えを知らない。だが、責任を感じるからと言う理由だけで誰かの世話をすると、相手を少しずつ嫌いになる。小さな責任の輪を飛び出して大きな責任の輪を歩き出す時、嫌悪感は消え、同胞感のようなものが宿る。置いて行った手前、自分も血を流すのが礼儀だと思う。自分を生きるのが礼儀だと思う。

 

自分のガッツが湧いてくる瞬間がある。これまでは自分が咲くことが大事だと思っていた。だが、違った。咲きたいんじゃない。咲かせたいんだ。傲慢な思いだが自分を使って花を咲かせることができた時生まれてきた甲斐があったという充足感を得る。仕方がないと諦めるのではなく、咲く。咲かせて行く。生きる力を叩きつける。死ぬ前に、死ぬ前に、死ぬ前に、生きてくれ。倒れてもいい。勝たなくてもいい。ただ、負けるな。嘘に負けるな。醜さに負けるな。孤独に負けるな。劣等感に負けるな。敗北感に負けるな。無力感に負けるな。無価値感に負けるな。暑苦しい祈りを込めながら、生命のハンマーを叩きつける。生きることも死ぬことも咲くことと同義だ。仕方ないと諦めるのではなく、咲く。咲かせる力は、人間の意思だ。

 

はじめまして。
神奈川県に住む42歳、○○と申します。

いつも頼りにしている、厳しいことも、寄り添ってくれることもしてくれる知り合いのお姉さんに、坂爪さんのブログ好きなんだと教えられて、読み始めました。


昨日、一昨日とリストカット、ODをしたりとかなりボロボロな状態で。
思考をとめたくて、自分自身が嫌でたまらなく、そして旦那が憎くて仕方なく…


旦那との不仲、そんな中長男の高校受験、長女の発達障害グレーゾーンとスクールカウンセラーの方とのお話があったり。
3年ほど前から鬱、拒食症、円形脱毛、不眠などそんな現状です。


そのお姉さんに
本気でやりたいことだけ、やればいい
やりたくないことは、やらなくていい
子供のためではなく、自分のためにやりたいことを考えてごらん
と言われました。


そして、坂爪さんのブログを教えてもらい、読んでいる中に


あなたはあなたを生きなさい。茨の道でも、石を投げられても、身ぐるみを全部剥ぎ取られても、無様でも、孤独でも、涙が出ても、あなたはあなたを生きなさい。たとえ、そのことで死んでしまうことになったとしても、一度も生きることのなかった人生よりは、ずっといい。誰かになろうとするのではなく、あなたはあなたを生きなさい。あなたの喜怒哀楽を生きなさい。あなたは、あなたを、生きなさい。


ここの文章がすごく心にドンときました。


もっとブログをよんで、本も読んでみたいと思ってます。


ブログ楽しみにしています。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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