いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

愛ならばある。見捨てられることはない。

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幸せになると幸せじゃなくなる。満ち足りてしまうと、もう、生きていなくていいという感覚になる。幸せとは、届かなくてもいいから、何かに手を伸ばしている状態なのではないだろうか。冒険家は、宝物を手にしたから幸せなのではなく、宝物を目指しているから幸せなのではないだろうか。宝物を手にして何もしてない状態は、生きていない。幸せになることは、死ぬことと同じ。恋と冒険は、似ている。

 

おおまかなスケジュール

12月1日(水)岡山

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

恋と冒険。

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愛媛県松山市でお会いしたT様が車で内子町まで運んでくれた。ブログに書けない話をたくさん聞いたが、T様は過去に飛田で娼婦をやっていた。赤線という言葉を初めて知ったが、半ば公認で売春が行われていた地域がある。ソープランドは本番NGだが、赤線は本番しかない。且つ、ソープよりも料金が安い。昔からNOと言うことを苦手としていたT様は、本番しかないことに駆け引きのなさを感じて、生活のためというよりは自分のために飛び込んだ。二年間勤めたある日、あ、このままだと私は死ななければならなくなるけど死にたくはないと思って、仕事を辞めた。

 

T様おすすめの焼肉屋で晩飯をご馳走になった。様々なことを話したがさみしさがテーマに出た。T様は言った。私の語彙ではさみしさとしか言えない感覚が自分の中にずっとある。さみしさの原因は人恋しさにあると思っていたが、人に会うほどさみしさは増える。言語が違う世界に一人だけ放り出された感覚に近い。坂爪さんにはさみしさはありますか。と。私にもある。だが、器用に説明することができない。昨日、晴れた日の早朝に街中を歩きながら「ああ、さみしいなあ」と感じた瞬間のさみしさは、透明なさみしさだった。さみしいのだが、さみしさが綺麗なものとして感じられた。克服する対象ではなく、空から降る雪の結晶のように感じた。

 

愛媛県内子町でN様と合流し、T様と別れた。時系列は前後するが、お世話になったT様に何かお礼をさせてくださいと伝えたら、T様は「お礼は結構です。リクエストとしては、その分をこどもが喜ぶことに使ってください」と言われた。よし。わかった。ちょうど会いたかった少年がいたのだという旨をT様に伝えると、想像していた以上にT様は喜んでくれた。「会いに行くって、めちゃめちゃ意味のあることですね!生きているって、いいですね!なぜか私が思わず喜びました!」と。会いに行くこと。ものを運ぶこと。思いを届けること。それは意味のある行為だ。

 

愛ならばある。見捨てられることはない。

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愛媛県内子町でお会いしたN様は過去にお父様を自殺で亡くしている。悲しい出来事だが、いまでもN様の中で輝いた記憶として残っている父の姿がある。それは、海に潜っていた時の父と、山を登っていた時の父だ。獲物を仕留めて喜ぶ父、山の歩き方を教えてくれる父は、自分の好きなことをやっているという喜びに包まれていた。その姿を見せてくれたことが一番の贈り物だった。N様はそういうことを話してくれて、私は、父性とはどういうものなのだろうかということを感じていた。

 

努力という言葉がある。努力をした人間は偉く、努力をしていない人間は怠けているとする尺度がある。しかし、自分の好きなことをやっている人間が「海に潜る努力をした」とか「山菜を獲る努力をした」とは言わない。自分がやりたいと思うことを、ただ、やっただけだ。努力なんてない。側から見たら努力をしている風に見えるのかもしれないが、ただ、やりたいと思うことをやっただけだ。努力という言葉には、本当はやりたくないことを頑張ってやったというニュアンスがある。だから、当然そこには「これだけ苦労をした自分を認めて欲しい」という色合いが帯びる。だが、海に潜る父の姿が、山に登る父の姿が、N様に伝えたことは努力の大事さではないと思う。それは、生きていることの喜びだ。好きなことをやる喜びだ。

 

自分探しという言葉がある。私は、ずっとこの言葉を嫌悪していた。自分なんかずっとここにあるのだから、探す必要なんてないじゃないか。ただ、自分が感じることを真っ直ぐに受け止めればそれでいいのだと思っていた。だが、自分を探すという行為ほど、尊いものはないのではないだろうか。訳知り顔で答えを語るより、私は、大事なものを必死で探している人間が好きだ。周囲から「そんなことをしても意味がない」と嘲笑されても、探すことをやめられない人間が好きだ。届かないかもしれなくても、それでも手を伸ばし続けている人間が好きだ。苦しみの中を生きる時、私たちは、少しでも早くこの苦しみから自由になりたいと願う。光を願う。だが、遠く離れて見た時、闇の中を生きる姿そのものが、光だったことがわかる。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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