いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

武器を捨てろ。

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西鉄薬院駅前のドトールにいる。昨夜は鳥栖の山中にある温泉にご案内いただき、月が綺麗だったために「その辺に捨ててください」とお願いをして能動的に路上に投げ出される形でハンモックで寝た。沖縄に比べると断然肌寒く色々悶えたが、最近は「家の中は快適なんだけどなんか苛立つ」と感じる。今日は福岡で食事に呼ばれ、明日は熊本に呼ばれた。今夜は何処で眠るのだろう。朝を迎えると「よし、どうにか夜を乗り越えたぞ」と思う。朝を迎えただけで、それなりの達成感を得る。

 

おおまかなスケジュール

9月24日(金)熊本

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

心が失くしたものを嘆く時、魂は手に入れたものを歓んでいる。

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久米島では二日連続災難に見舞われた。イーフビーチの駐車場で車の鍵を失くしたのだ。私は滅多にものを失くさないから「あれ」と思って色々探した。大事なことは落ち着くことだ。私は知っている。探し物は「ある!ある!ある!」と思って探せば見つかるということを。借り物の車だから鍵をなくしたら大変だ。スペアキーもないと聞いている。駐車場を探し、ビーチを探したが見つからない。水着のポケットに入れたまま私は泳いだのか。だとしたらこの広大な海の中を探さなければならない。よし。探そう。そう思って「ある!ある!ある!」と思って海を探した。砂漠で針を探すようなものだ。二時間弱探したが見つからず、平泳ぎが上達した。

 

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車の持ち主に連絡すると「あの車は長期レンタルで借りている車だから営業所に電話をしてみます」とレスが来た。よし。それならスペアキーがあるはずだ。結果的に営業所のポストに鍵を入れておくから勝手に持って行ってくださいという流れになった。沖縄のゆるさに救われた。幸運にも営業所は徒歩圏内だ。炎天下を歩いた。汗をダラダラ流しながら「口にすると本当に実現するから気をつけよう」と思った。前回の記事で旅の恥はかき捨てみたいなことを書いた。ハプニングこそが最高の思い出になるという考えは変わらないが、神様は我々の期待に即座に応える。

 

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久米島から那覇に向かうフェリーの中で、アラブの春を特集したテレビ番組が放映されていた。今から十年前、北アフリカチュニジアで野菜や果物を売っていた若者が警察官に屋台を没収され、絶望感から焼身自殺を図った。その事件を発端に独裁政権に対する民衆の不満が爆発をして暴動が起きた。平和を強く求める人ほど戦犯扱いをされ、投獄をされたり亡命を余儀なくされる。トルコに亡命したエジプト人男性のインタビューが流れた。彼は、映像の中で「私に罪があったとすれば、夢を持ったことだ」と語った。彼らにとって夢を持つことは自分を殺されるリスクに晒すことと同義だ。男性は続けた。エジプトには妻と娘がいる。さみしい。会いたいよ。娘たちは私を誇りに思ってくれるだろうか。それとも、私を恨むだろうか。父親は誇りのために命を落としたのだ。私が命を失った時は、そう思って欲しい。

 

武器を捨てろ。

海に浮かぶと意識が今に集中し、自分には何一つ過不足はないような感覚になる。青空を見上げながら、同時に「俺は満ちているし、俺は満ちていない」とも思う。欠落や空洞と呼ぶには大袈裟なこの穴は、金でも物でも名誉でも決して埋まることはない精神的な部分だ。私たちは心をハートの形で表す。ハートは通常赤い色で描かれるが、自分はハート型の空洞を抱えている気がする。普段はからっぽなこのハート型の空洞を、時折、何かが満たす瞬間に触れる。その瞬間に感じるものが、歓喜であったり哀切であったり感動であったりする。空洞が、震える心の器になる。

 

飢餓や内戦に苦しむ人々の底知れない恐怖心に触れると、私たちはなんて恵まれた状況にいるのだろうかと自分を恥じる。だが、恥じると同時に「未だに内戦は続いている」とも感じる。物質的には豊かになっても、自殺者や鬱病患者の数がゼロになることはない。途上国における戦死者の数より、日本の自殺者の数の方が多い現実がある。神谷美恵子の著作『生きがいについて』の冒頭は、このような言葉からはじまる。平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが、世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。ああ今日もまた一日を生きて行かなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出て来ないひとたちである。・・・たとえば治りにくい病気にかかっているひと、最愛の者をうしなったひと、自分のすべてを賭けた仕事や理想に挫折したひと、罪をおかした自分をもてあましているひと、ひとり人生の裏通りを歩いているようなひとなど。

 

自分はたまたま様々な人々の話を聞く機会に恵まれ、たまたま様々な場所に足を運ぶ機会に恵まれている。だが、恵みは受け取るだけでは不十分であり、持て余してしまう。自分という存在もまた罪と恵の混合体だ。自分の経験を何に活かすか。自分の経験を何に昇華するか。自分が生きている意味を神に問うてしまう時もあるが、逆だ。私が、神から問われているのだ。那覇空港を発つ直前、ズラリと並ぶ戦闘機を目にした。そこには自衛隊と書かれてあり、大きな日の丸が描かれていた。それを見た瞬間「武器を捨てろ」という言葉が脳裏をよぎった。武器を増やすことが強さではない。武器を捨てた時、生身の肉体に宿るものが勇気なのだと思った。

 

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「雨あがり」

 

雨が赤い屋根に降る

それを見た僕たちは ただ ただ

 

雨は僕の代わりに泣いているのか

流れて行く時間だけ ただ ただ

 

どこから来て どこに帰る

このままじゃ置いて行かれるから

本当はもっと動きたいのに 

「どうして?」 動けない

 

雨が木々の葉を揺らす

立ち止まる僕たちは ただ ただ

 

もしかしたら僕はずっと寂しくて

それを見た神様が ただ ただ

 

ここではないどこかから

ここではないどこかに続く

 

「元気ですか?」「調子はどう?」

「またいつでも、遊びにおいでよ」

 

ここから来て ここに帰る

一人でも 何をしていても

ずっとここにあったものと

これからも  これまでも

 

雨があがりやがて空は晴れてくる

終わらない僕たちは ただ ただ ただ

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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