いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

サンクチュアリに行こう。

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久米島在住の方からおつかいを頼まれ、そのブツを運びに明日久米島に行く。沖縄にいると資本主義ってなんなのだろうと考えさせられる。超有名アイドルがテレビ撮影などのロケで使われた場所には大量の観光客が雪崩れ込み、自然はぶっ壊されて海は金持ちの私有地となり地域住民は観光客の素行の悪さに困らされたりしている。アイドルに悪気はないと思うが、アイドルが足を運んだ場所から破壊される。

 

おおまかなスケジュール

9月20日(月久米島

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

大事なもの。

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金銭的な事情から事前に宿を決めないまま移動している。居場所がない心許なさは大きいが、居場所が与えられた時の喜びも大きい。飢えれば飢えるほど次の食事は美味しくなり、疲れれば疲れるほど次の布団は嬉しくなる。自分の中から幼稚さが消えないために、目の前に海が広がるロケーションにテントを張って暮らしていると「俺は金持ちより豊かなんじゃないだろうか」などと一々思う。金持ちには豪邸があるが俺には東屋がある。金持ちには冷蔵庫があるが俺にはファミマがある。ファミマが俺の食糧庫だ。しかも、食べ残した食材を処理しなきゃとか考えなくてもいいのだぞ、どうだ参ったか、わっはっはなどと一人思いながら野ざらしでいる。

 

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ざらしで生きていると神経が過敏になる。家には当たり前だが壁がある。だが、天地には壁がない。近くを通行人が通ったりすると、最初は「はっ!」とか思って一々身構える。しかし、徐々に身構えなくなる自分になる。半径30メートル以内に誰か来た段階ではじめて身構えるようになるのだが、この感覚が家の生活で培われることはない。自然は友達であると同時に脅威でもある。仲間と外敵は紙一重だ。私にペットはいないが、野良猫や昆虫たちをペットだと思えば無数のペットに囲まれている。しかも世話をする必要がない。愛でたいだけ愛でて、あとはどうぞご自由にという感覚は身軽だ。だが、仲間意識を感じた動物や虫に食料を奪われたりしょんべんをひっかけられたり寝床を襲われたりもする。それなりに疲労もするがトータルで楽しい。生身のお付き合いはトータルで楽しい。だが、学校や職場などで発生する気の遣い合い戦争みたいなお付き合いは、トータルでぐったりする。

 

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過去に二年間家なし生活をして得た最大の教訓は「家はあった方がいい」だった。家の維持や管理は大変だが、寝たい時に寝る場所があることの安心感は大きい。たまに女性が長い期間一人旅をしている姿を見たりするが、彼女たちは一様に枯れ果てている。家はあった方がいいのだが、家にずっといると「家だけが家」という視野狭窄に陥る。世界は広いのに自分が知っている範囲だけが世界になってしまうことは退屈だ。自分なんてものは壊してなんぼだが、壊しすぎると本当に壊れる。毎度のことながら「どっちもなんだよな」と思う。両極を体験しながら、自分が感じる大丈夫の幅を広げていく。外敵を恐れていては、仲間との出会いも取りこぼす。

 

サンクチュアリに行こう。

巷ではご機嫌でいましょうとか自分を愛しましょうとか執着を捨てましょうとか、そういった言葉が散々言われている。言いたいことはわかるがそれだけでは半分だと思う。確かに不機嫌でいるよりはご機嫌でいた方が気分はいい。悲しいよりは楽しい時間の方が誰だって嬉しいだろう。だが、本当は悲しいのに悲しみを打ち消して楽しむ方向に無理やり舵を取ると、大事なものを取りこぼす。それが「心」だ。色々な人々の色々な心の欠片があちらこちらに落ちている。落ちたものは落とされたまま回収されることがない。回収する時間がないくらい誰もが忙しくなってしまい、テレビやネットに生きるエネルギーを吸い取られてしまっている。誰かの人生に感動する時間は増えるが、自分の人生に感動する時間はどんどん奪われている。

 

人間の本質は誰かとの比較では語れない。だが、油断をしていると私たちは比較の罠に嵌り、何もできない自分には生きている価値もないという思考の罠に嵌る。比較の罠から抜け出す方法は大量にあるが、一つは孤独になることだと思う。孤独になればなるほど、自分の存在が明確になる。孤独の別名は美しさだ。孤独を身に纏う人は美しい。これは私の偏見だが、みんなでわいわい集まって楽しそうに過ごしている人ほど本当は一人になるのが怖いのではないだろうかと思う。一人になることが怖いから、孤独を見ないで済む場所に自分を置いているだけに見える。私は、孤独を持たない人と繋がる方法を知らない。孤独がなければ惹かれることもない。

 

運転手役を務めて沖縄本島を一周した。道中、願いと祈りの違いは何かという話題が出た。同行させていただいた方が「願いは自分のためにすることで、祈りは自分以外のためにすることだと思う」と言った。確かに、願いという言葉にはどこか自己本意的な響きや、人為的な響きを感じる。だが、祈りには人智を超えた何かがある。私は私の人生を生きているつもりだが、自分を超えた何か、人智を超えた何かに触れたくて生きている節がある。だからこそ、面倒臭いことやちょっと嫌だなと思う方向に自分を無理やり投げ出すことがある。それなりに大変な出来事もあったが、こうした生き方をしていなければ絶対に出会えなかった人物もいる。沖縄の最北に岬がある。夕焼けが石碑を赤く染めた。グラストンベリーみたいだと思った。

 

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サンクチュアリ

 

虹の彼方に 今 思い出したんだ 掘り出した原初のハーモニー

進化していく時代の流れに 生き埋めにされたみたいだ 取り戻すのさパールライト

 

カモン そんな所突っ立ってないで

カモン 日の当たる場所に行こうぜ

 

20世紀の終わりに始まり 今 騒ぎ出したんだ 突き出した原初のハーモニー

曝け出した弱さは強さに変わり 飛び出したんだ 越えていくのさパールライト

 

カモン 飾りなら全部捨て去って

カモン 風が吹き抜ける場所まで 行こう

 

どこにも居場所なんてなかった 僕ら サンクチュアリ

サンクチュアリへ 行こう 行こう 行こう

 

敵はいない 全員 味方さ 僕ら サンクチュアリ

サンクチュアリへ 行こう 

 

虹の彼方に 時を漕ぎ出したんだ 鳴り出した原初のハーモニー

進化していく時代の流れに 逆流巻き起こしたんだ 響き出すのさパールライト

 

カモン 憧ればっかり見てないで

カモン 花開き枯れてく向こうへ 行こう

 

忘れ去られたことなどなかった 僕ら サンクチュアリへ 

サンクチュアリへ 行こう 行こう 行こう

 

奇跡なんか待たずに行こうぜ 僕ら サンクチュアリ

サンクチュアリへ 行こう 

 

カモン 壊されるものなんてないぜ

カモン 絶滅危惧種の 愛を 叫べ

 

どこにも居場所なんてなかった 僕ら サンクチュアリへ 

サンクチュアリへ 行こう 行こう 行こう

 

敵はいない 全員味方さ 僕ら サンクチュアリ

サンクチュアリへ 行こう 

 

忘れ去られたことなどなかった サンクチュアリへ 行こう 

奇跡なんか待たずに 行こうぜ サンクチュアリへ 行こう 

 

虹の彼方に 今 思い出したんだ 掘り出した原初のハーモニー

進化していく時代の流れに 生き埋めにされたみたいだ 取り戻すのさ パールライト

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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