いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

肉体は消えても、精神は残る。

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明治神宮を毎日歩いている。夕方は空気が濁るが、早朝はまだ誰にも汚されていない空気を味わえる。東京が再び大空襲に襲われて焼け野が原になった時、再建されるものはどれくらいあるだろうか。東京タワーも、表参道ヒルズも、再建されない気がする。だが、明治神宮はどのような形であるにせよ再建されるだろう。焼け野が原になったとしても、何度でも再建されるもの。そこに精神があるのだと思う。

 

間。

ホームレス支援をする団体の話を聞いた。彼らは言う。ホームレスの人々には希望がない。彼らの心に火を灯すことが大事。ひとりにさせないこと。何が必要なのかだけではなく、誰が必要なのか。それを考えることが大事だ。私たちは30年間この問題に取り組み続け、三千人を超える人々を社会復帰させ、数十万件を超える相談に乗ってきた。と。これを聞いた時、正直「なんでお前らは常に上から目線なんだよ」と思った。自分たちは常に助ける側で、相手は常に助けられる側。ホームレス経験者である私に言わせてもらうと、お前らのそういう善人ぶった態度が嫌で嫌でたまらないから、俺はホームレスになることを選んだんだよ、と言いたくなった。

 

支援という言葉の裏側には、多数派による少数派への差別がある。自閉症患者はコミュニケーション障害があるとされる。だが、アメリカ人と日本人がコミュニケーションに失敗した際、相手を指差して「コミュニケーションに障害がある」とは言わない。コミュニケーションとは、両者の『間』に立ち現れるものだ。言語や文化の違いがコミュニケーションを難しくさせることはあるが、それは言語(文化)の障壁があるだけで、人間の障害ではない。不登校の生徒が、なぜ学校に行きたくないのかを知ろうとする人間は少ない。それよりも、どうすれば彼らを矯正できるかを考える。矯正。恐ろしい言葉だ。型にはまらなかった精神は矯正の対象になる。

 

ある人が母親の形見でもある大切なワンピースを着ていた。それを見た善人が「そんな古い服なんて着ていないで、新しい服を買ってあげる」と言いながら彼女の古いワンピースをゴミ箱に捨て、デパートで買ってきた新品の服を笑顔でプレゼントした。しかし、彼女は新しい服を受け取ろうとしない。そんなことよりも、母の形見を失ったことが悲しく、涙を流している。その涙を見て善人は言う。あなたはあまりにも心が冷え切るような環境で長い時間を過ごしたから、誰かから何かを受け取るということが素直にできないんだね。でも、大丈夫。安心して。怖がる必要はないのよ。あなたは幸せになっていい人間なのよ。と。幸せを奪ったのは自分であることに無自覚なまま、善人たちは彼女にあたたかい『支援』の手を差し伸べる。

 

肉体は消えても、精神は残る。

自分に仕事と呼べるものがあるとしたら、それは「何者でもないままそこにあること」だと最近思う。現在の私に社会的な肩書きはない。エアポケットというのだろうか、そういうものになりたいと思う。自分が何者でもないからこそ、一緒にいる人も何者でもなくいることができる。もしも私が「作家です」とか「ミュージシャンです」などと名乗ったら、相手は、肩書きを通じて私を見るだろう。肩書きを通じて見る限り、そこに社会が発生する。しかし、私が何者でもなくそこにあり続ける限り社会は発生しない。反社会的組織が一時期話題になったが、私は反社ではない。強いて言えば無社だ。無社会状態に置かれた時、本来のその人自身が現れる。

 

人工知能を作っている人の話を聞いた。知能とは、物凄く乱暴にまとめると「一つになりたいと思う部分と、一緒にされたくないと思う部分が混在しているもの」だと言う。人間は仏教で言うところの解脱を目指して生きるが、人工知能には逆に煩悩を植え付ける必要がある。煩悩がなければ人工知能は動き出してくれない。人工知能に搭載することが最も難しい観念は「欲望」で、機械は指示通りに動くことはできるが、自ら欲望をすることが極めて難しい。と、そんな話を聞いた。煩悩を植え付けないと動き出してくれないから困るという悩みはあらゆる商業主義者たちが抱えている問題と似ている。彼らは煩悩を大衆に植え付け、それを進化だと謳う。

 

何者でもないままそこにあることは、簡単に見えて難しく、難しく見えて簡単だ。流れに身を委ねると言う表現がある。委ねると言う言葉には、どこか他人任せなイメージがあるが、何者にも染まらず流れ続けるためにはしなやかでたおやかな意志が必要になる。自分は生きているのではなく生かされていると思わざるを得ない体験を重ねると、自力のひ弱さを思い知る。自力で辿り着ける場所には限界がある。人間の思惑なんてたかが知れている。自分は自分の力で生きている。そういった勘違いは思い上がりを生み、傲慢な人間を生む。この世には、二種類の人間がいる。死ぬまでが人生だと思っている人間と、死んでからが人生だと思っている人間だ。肉体は消えても精神は残る。精神が残り続ける限り、何度でも肉体は再建される。

 

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「LIVE TOGETHER」

 

ここから僕らが飛び去る時 弾けた体が風に乗って

ここから僕らが飛び去る時 流れた涙が星になった

 

身ぐるみ全部剥ぎ取られ 掃き溜めの中捨てられても

冷え切った牢獄にぶち込まれ 暗闇の中打ち震えても

 

僕たちは 歌うことをやめないだろう

 

見えるか あの 空の向こう 輝く

僕たちが消えても 愛ならこのまま

誰一人置いて行かない LIVE TOGETHER

 

ここから僕らが飛び去る時 汚れた夜空に夢が散って

ここから僕らが飛び去る時 最後の祈りが種になった

 

指先を粉々に砕かれて 何一つもう 掴めなくても 

絶望に憧れを潰されて 何一つもう 見えなくても

 

僕たちは 歌うことをやめないだろう

 

聞こえるか まだ 海の向こう 囁く

僕たちが消えても 愛ならこのまま

誰一人置いていかない LIVE TOGETHER

 

見えるか あの 空の向こう 輝く

僕たちが消えても 愛ならこのまま

誰一人置いていかない LIVE TOGETHER

 

晴れ渡る 紺碧 舞い踊る 花弁

繰り返す 波音 闇に光る 星空

 

誰一人置いていかない LIVE TOGETHER

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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