いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

居場所はない。隙間があるだけ。

f:id:ibaya:20210719112151j:plain

 

10歳の頃、悪夢を見て母親に泣きついたことがある。自分の不手際によって、通っていた小学校を全焼させてしまう夢だった。母親は「大丈夫、大丈夫」と言いながら背中をさすってくれた。私は、母親の胸の中で震え続けた。怖いと思ったのは、校舎が燃えたことではなかった。校舎を燃やした損害賠償を自分の両親がしなければならなくなったことに、私は震えていた。幼少期から家に金がないことはわかっていたため、金銭的な負担を親にかけてはならないのだと強く思っていた。10歳という年齢ではあったが、本当の恐怖とは自分が傷つくことなどではなく「自分がやったことによって、大切な人に負担がかかること」なのだと、その夢から学んだ。

 

渇き。

ある日、親に「家族の縁を切ってもらうことは可能か」と尋ねたことがある。家族が嫌いだったからではない。逆だ。家族を大事に思うからこそ、自分と血が繋がっていたがために迷惑がかかることを極度に恐れた私は、縁を切ってくれないかとお願いをした。これから先、自分にロクな生き方ができるとは思わない。自分一人で処理できる問題ならいいが、親にまで迷惑が行くのは耐えられない。だから、縁を切って欲しい。親は「何言ってんのよ」と笑って済ませたが、未だに、自分の中に「大事なものであるほど、縁を切ろうとする」働きがあることを感じる。無意識なのか、意識的なものなのかはわからない。深く繋がることを、恐れる部分がある。

 

自分はずっと緊張状態にあると思う。リラックスという概念がいまだによくわからない。この前、鵠沼海岸でサーフィンをした。インストラクターから「あなたは力の抜き方がうまいですね」と褒められた。身体的な意味ではリラックスはできているのかもしれないが、精神的にはリラックスできている時はないように思う。巷では「リラックスすることが大事」だと散々言われている。言いたいことはわかるし、リラックスできない自分をダメだなと思うこともある。だが、深層心理の部分では、私はリラックスすることを拒否しているのだと思う。幸せになりたいと思う部分が表層なら、奥底では幸せになってたまるかと思っている自分がいる。満ち足りたいと思う裏側では、キープをしたい飢えがある。キープをしたい渇きがある。

 

信頼という言葉から連想する態度は人によって異なる。ある人は「何でも話してくれることが信頼だ」と言うだろう。ある人は「話したくなったら話すだろうから、見守っていられることが信頼だ」と言う。どちらが本当なのかはわからない。ただ、私は前者になることができない。ずっと後者で生きてきたため、前者の人間からは冷酷だと言われる。もっと私を信頼して欲しいと言われる。自分としては信頼しているつもりなのだが、自分の態度が相手との距離を深める。全部を出せと言われても、出せない時がある。本当に大事なことは、人には話せない。これまで付き合ってきた女性から、私は、このような言葉を頻繁に言われた。「あなたは、本当に私のことを好きなの?」と。「もっと私を見て欲しい」と。こう言う言葉を言われると、ああ、また失敗をしたなと思う。やがて、私は女性と付き合うことを避けるようになった。無意識の内に、女性は面倒臭いと思うようになったのだろう。だが、偏見は徐々に溶けた。そうじゃない人物との出会いが、私の偏見を溶かした。

 

居場所はない。隙間があるだけ。

居場所作りという言葉がある。ファンクラブや、最近ならオンライサロンなどがある。コミュニティという言葉もあるが、どれにも私は馴染めない。これまでの人生で「ここが俺の居場所だ」と感じたことは、多分、ない。海に入っている時など、地球が俺の居場所だと思うことはあるが、具体的な場所に居場所感を感じたことはない。居場所は人だと思ったこともある。だが、やはり、少し違う。居場所があるという前提の世界観より「居場所はない」という世界観の方が、腑に落ちる。他の人がどうかは知らないが、私には居場所がない。居場所がないことは普通で、ただ、隙間があるだけなのだと思う。私は、今、ある場所とある場所の隙間にいる。

 

生きるために希望は必要だが、希望を求めておきながら希望に安堵できない自分がいる。夢や、希望や、安心感が、何かを誤魔化しているだけに感じることがある。精神的な安定を求めておきながら、精神的な安定を拒絶する自分がいる。精神が安定してしまったら、自分が自分ではなくなってしまう恐怖感がある。今日、こんなことを思った。理由は聞かないで、いられるだけいさせて欲しい。邪魔になったら邪魔になったと言って欲しい。その時は出て行く。私が出て行く理由は三つ。出て行けと言われた時。外に行きたい場所がある時。ここにはいられないと思った時。

 

九月に入り、涼しい日々が続いている。季節の変わり目は風邪を引きやすい。精神的に不安定になる人もいるだろう。私たちは、今、夏と秋の隙間にいる。昔から、新潟にある実家の夢をよく見る。不思議なことに、夢の中では必ず部屋の数が一つだけ多い。そんな部屋は実在しないはずなのに、夢の中の自分はその部屋があって当然と言うように家の中を歩く。夢に出てくる実家は常に薄暗く、不穏な空気感を漂わせている。家全体に意思があり、その意思は、どちらかと言えば私に危害を加えそうな予感を感じさせる。本来安らぎを覚えるはずの実家が、私に危害を与え得る不吉なものの象徴として迫ってくるのだ。だが、それはただの危害ではない。忘れていた何かを思い出させるための警鐘となり、今、ここにある生を際立たせる。

 

f:id:ibaya:20210719112152j:plain

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

f:id:ibaya:20210725073540j:plain

LINE ID ibaya