いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生き残ったものの使命は、死者と共に生きること。

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心ある方が熱海の自宅付近の航空写真を送ってくださり、家の無事が判明した。土砂は家の二軒隣まで来ていた。長く興奮状態に置かれていたためか、まだ、食欲がない。身体は疲れているが眠ることができない。極度のストレスに晒された時は、話すか、書くか、した方がいい。誰かを頼るのは迷惑をかけることとイコールに感じるかもしれないが、違う。誰かが誰かを助ける時、助けられる側だけでなく、助ける側も、救われていることがある。誰もが、誰かの役に立ちたいと思っている。

 

おおまかなスケジュール

7月7日(水)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

誰もが、誰かの役に立ちたいと思っている。

有事の時ほど、人間の残酷さと、人間の優しさが可視化される。心配の声も届けば、まだ会ったこともない人から「まだ生きていたのか」と言われたりもする。罵詈雑言を浴びることには慣れたが、傷つくことには慣れない。渦中にいる時は苦しいが、自分に少し余裕ができると「誰かに死ねばいいと言う人ほど、おそらく、死にたいほどの苦しみを抱えているのだろう」と思う。他者に投げた言葉は自分自身に跳ね返る。否定的な言葉は、言われた側だけではなく、言った側の人間を蝕む。

 

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黄色い丸で囲まれた場所が自宅になる。家の無事がわかることは嬉しいが、近隣の崩壊具合を知ると、なんとも言えない気持ちになる。行方不明のリストが公開された。知っている人の名前もあった。まだ家に戻れていないために安否確認はできていないが、現場を見たらまた更に色々なことを思うのだろう。悲劇的な出来事が起こると「なぜ自分が」「なぜあの人が」と思う。湧き上がる嘆きを止めることができない。だが、同時に「嘆いていてもしかたがない」と思っている自分がいることも、はっきりと感じる。現時点で、私が抱いている感覚はこのような言葉で表現することができる。生き残ったものの役割は、ただ、生き抜くことなんだよ。先に行ったものは、生き切ったものなんだよ。すべての死は、等しく、大往生なんだよ。

 

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有事の際に可視化される優しさ、それは「誰もが、誰かの役に立ちたいと思っている」ということだ。温泉を無償で提供する人々、寝床を無償で提供する人々、食事を無償で提供する人々など、大変な時だからこそ助け合いの精神を取り戻す。涙が出るほどの感動を覚えることもあるし、俺たち人間はまだまだ捨てたものじゃないという『誇り』を取り戻す。この世で一番苦しいことは、自分が被害者になることではない。それよりも、自分にとって大切な人々が苦しい状況に置かれている時に、何もできない自分を見せつけられることだ。自分の無力さを突きつけられることだ。だが、私たちは、非力ではあっても無力ではない。絶対に、無力ではない。昨日、ある人から連絡が届いた。そこには「あなたのことが大好きです」と書かれていた。頑張れでもない。応援していますでもない。ただ「あなたのことが大好きです」というそれだけの言葉に、大きな力を貰った。自分の好きを伝えることならば、誰にでもできる。経済的な余裕はなくても、物理的な距離を抱えていても、できる。私たちは、どのような状態に置かれても、誰かの力になることが、できる。

 

生き残ったものの使命は、死者と共に生きること。 

京都に預けていた荷物を回収するため、今、京都に向かっている。当初の予定では熱海の家を譲渡し、私は京都に暮らす流れにあった。だが、その流れも一旦全部取りやめにして、家のない日々を過ごしている。昨日の朝は東京の新大久保で目覚めた。今日の朝は名古屋駅前で目覚めた。明日の朝、何処で目覚めることになるのかはわからない。自分の予定と連絡先を公開しているため、呼ばれるままに移動をしている。典型的なその日暮らしになるのだが、今は『移動』に助けられている。同じ場所に長い時間いると、精神と肉体が硬直する。移動を続けることで、目に映る風景を流し続けることで、自分の中に流れる水を腐らせないでいることができるように思う。一箇所に留まると、何かが停滞する。私は、多分、停滞を恐れている。

 

私にとって、書くことは祈りだ。絶望の拒否だ。ともすると諦めそうになる人間の心を、生きる方向に向かわせるための意思だ。自分には何もない。何もない自分でさえ、ここまで生きてくることができたのは、言葉の力に依るところが大きい。音楽の力に依るところが大きい。祈りの力に依るところが大きい。言葉は目に見えない。音楽は目に見えない。祈りは目に見えない。目には見えないけれど、それは確実にある。生きようとする意思が、祈りが、絶望の拒否が、自分の中に確実にあることを感じる。私たち人間はそれぞれに独立した存在ではなく、響き合う振動だ。私たちは言葉そのものであり、私たちは音楽そのもの、私たちは祈りそのものだ。

 

楽器を取り上げられても、私は、歌うことをやめないだろう

 

牢獄にぶち込まれても、私は、歌うことをやめないだろう

 

口を塞がれても、私は、歌うことをやめないだろう

 

指先を粉々に砕かれても

 

両耳を引きちぎられても

 

眼球をえぐり取られても

 

喉もとを切り裂かれても

 

私は、歌うことをやめないだろう

 

人間から、歌を奪うことはできない

 

歌うことを、止めることはできない

 

生きることを、止めることはできない

 

私は新潟の海沿いで育った。その影響が大きいためか、寺の墓場より、教会の墓場より、海に故郷を感じる。空に故郷を感じる。何もない場所に大勢の人々がいるように感じる。過去に、沖縄の波照間島でLIVE TOGETHERという曲を作った。晴れ渡る海原の果てに、天国を見た。繰り返す波音は、絶え間なく続く呼吸の音にとてもよく似ていた。私たちは、私たちの中に、海を抱いている。この海の中には、みんながいる。生き残ったものの使命は、死者と共に生きることだ。生者は死者によって生かされ、死者は生者によって生き続ける。私にとって、歌うことは祈りだ。

 

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「LIVE TOGETHER」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

ここから僕らが飛び去る時 弾けた体が風に乗って

ここから僕らが飛び去る時 流れた涙が星になった

 

身ぐるみ全部剥ぎ取られ 掃き溜めの中捨てられても

冷え切った牢獄にぶち込まれ 暗闇の中打ち震えても

 

僕たちは 歌うことをやめないだろう

 

見えるか あの 空の向こう 輝く

僕たちが消えても 愛ならこのまま

誰一人置いて行かない LIVE TOGETHER

 

ここから僕らが飛び去る時 汚れた夜空に星が散って

ここから僕らが飛び去る時 最後の祈りが夢になった

 

指先を粉々に砕かれて 何一つもう 掴めなくても 

絶望に憧れを潰されて 何一つもう 見えなくても

 

僕たちは 歌うことをやめないだろう

 

聞こえるか まだ 海の向こう 囁く

僕たちが消えても 愛ならこのまま

誰一人置いていかない LIVE TOGETHER

 

見えるか あの 空の向こう 輝く

僕たちが消えても 愛ならこのまま

誰一人置いていかない LIVE TOGETHER

 

晴れ渡る 紺碧 舞い踊る 花弁

繰り返す 波音 闇に光る 星空

 

誰一人置いていかない LIVE TOGETHER

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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