酒でも煙草でも甘いものでもなんでも、体に毒をぶち込みたいときはぶち込んでもいいのだと思う。ただ、このやさぐれモードみたいなものは一時的なものであってコアじゃない。やさぐれはデフォルトじゃない。俺たちは水だ。どんなに汚れても濾過すれば透明。水は水のまま。だから、安心してやさぐれればいいのだと思う。
おおまかなスケジュール
6月30日(水)京都
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
人生の豊かさを決めるものは、自分ではなく「自分が出会ったもの」たちだ。素晴らしい出会いは人生を肯定する。ああ、この瞬間のためにこれまでの人生はあったのかと思えるような瞬間のために、私たちは歩き始めるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2021年6月26日
歩き出す前が、一番疲れている。 - いばや通信 https://t.co/BXwYO2TcBY
男の生理。
男にも生理がある。なにもかもがくだらなく思える夜がある。昨日、とある有名人がベンツを購買したという投稿を見た。その投稿を見た時にスイッチが押された。モノをステータスにする風潮に嫌気がさしたのかもしれない。私は基本的に「死にたいが生きたいに変わるもの」が好きだ。自殺を考えていた人間がそれに触れたことによってもう少しだけ生きてみてもいいかな、生きたい、生きてみせる、と思えるものが好きだ。だが、そう思わせてくれるものはレアだ。滅多にない。大概は、それに触れると「死にたい」と思う。生きたいと思わせてくれるものよりも、死にたいと思わせてくれるものの方がこの世には多い(という偏見が自分にはある)。
生理中は神経が鋭敏になるため、街中の広告を見ても一々イラッと来る。美少年や美少女のチラシを見ても「嘘臭ぇ」としか思えない。醜い部分は極力隠し、綺麗な部分だけで構成されている感じに嫌気がさして「俺は野生が見たいんだよ」と叫びたくなる。人間よりも人形に近い存在に破壊衝動を抱き、人間である以前に俺たちは動物なんだよと暴れたくなる。そして「お前も本当は暴れたいんだろ、その化けの皮を剥いでみろよ」的な感覚を抱く。要するに、自分を含めた世界全体に対して「お前ら全員つまらねえんだよ」と悪態をつきたい気持ちにまみれてしまうのだが、一通り言語化すると自分の内側に渦巻くドス黒い何かはある程度スッキリする。言葉にすると成仏をする。言葉にすることで、自分の内側がからっぽになる。
そして「ああ、俺はひっくり返したいんだな」という自分の思いを知る。現行のルールに合わせて勝ち組だの負け組だのと優劣を競い合うことに興味を持てず、極論、現行のルールをひっくり返すことだけに興味があるのだと思う。だから、ロックンロールが好きなのだと思う。だから、ひたすら迫害を受け続けたキリスト教が好きなのだと思う。自分はこれだけ稼いでいるとか、自分はこれだけ人脈があるとか、自分はこれだけ権力があるとか、自分の外側に張り付いているものを誇っている姿を美しいと思えない。その姿が、いま、死にたいと思っている人間を「生きたい」と思わせる方向に進ませるとは思えない。大事なものは精神だ。生きようとする精神だ。暴動する精神に触れた時、人は「生きよう」と前を向くことができる。
好きなままでいいんだよな、愛したままでいいんだよな。
居場所がない。毎日、寝る場所がない。自分に同情をしたら一発で死ぬ。居場所がないと感じる瞬間は辛いが、誰かにとっての居場所になろうとすることで、悩みは薄くなる。たとえば私は言葉を書く。言葉に命を注ぎ込む。誰かのためと言うよりは、そうでもしなければ潰えてしまいそうな何かに火をくべるように、精神のかまどに言葉をくべる。すると、言葉が世界を作り出す。その世界の中で、私は呼吸をすることができる。その世界には自分の居場所がある。誰かのために紡いだ言葉が自分の力になる。誰かのために見つけた居場所が、自分にとっての居場所になる。
疲れ過ぎてカラオケに逃げ込んだ。機械の電源と照明を落として横になり、数時間寝た。イタリア映画のひまわりに似た夢を見た。あの、どうしようもなく切ない主題歌が流れた。夢の中で私は泣いていた。そして、目が覚めると同時に一つのことを強く思った。忘れないように、スマホのメモ機能に記録をした。メモを残してまたすぐに寝た。次に目覚めた時には、もう、何をメモしたのかを忘れていた。スマホを見た。そこには「別れても、終わっても、もう二度と会うことではできなくても、好きなままでいいんだよな、愛したままでいいんだよな。」と書かれていた。
花のように生きられたらと願う。一輪の花の静けさと、一輪の花の逞しさに、これまで何度も助けられてきた。しかし、私は人間だ。私は花じゃない。私は人間だ。どうしようもないくらいに人間な自分は、どうしようもないくらいに花を愛する。私たちは、傷つくことや嫌われることや裏切られることや見捨てられることを恐れる。だが、一番恐れていることは、愛することだ。愛することができなくなることを、私たちは一番恐れている。メモ帳には「別れても、終わっても、もう二度と会うことではできなくても、好きなままでいいんだよな、愛したままでいいんだよな。」と書かれていた。傷ついても嫌われても裏切られても見捨てられても好きなままでいい。愛したままでいい。私たちには、どんな時でも「好きでいていい」という自由がある。私たちには、どんな時でも「愛してもいい」という自由がある。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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