いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

ここにいちゃいけない、なんてことはない。

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横浜市鶴見区コメダ珈琲にいる。通勤中の人々を太陽が照らす。時折、自分がいままさに牢獄から解放された状態だとしたら世界をどういう風に感じるだろうか、という妄想をする。長い期間暗い檻の中に閉じ込められていたとしたら、日常生活を送れることをとんでもなく幸福に感じるだろう。普通に歩けたり、普通に働けたり、挨拶したら挨拶を返してもらえる現実を、とんでもない喜びに感じるだろう。

 

おおまかなスケジュール

6月10日(木)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

何もかも失ってからが、本当の俺だ。

最近は白米も玄米も重く感じていたため、主食がオートミールになりつつある。経済的な理由で一日一食程度だが、消化に使われるエネルギーが温存されるため体が軽い。食事の量が減ると睡眠時間も減る。最近は毎朝4時に勝手に目が覚める。少食になると暇になる。時間が大量に余る。暇だから食べる。自分を眠らせる(強制シャットダウンさせる)ために食べることがある。減らすと軽くなる。断捨離をしている。自分にとって大切なものほど手放すようにしている。私は野営を愛している。だが、野営道具を手放した。今は一回0になりたい。家ももうすぐなくなる。

 

自分の周囲にあるものを見回して「これだけは残したいと思うものは何か」と何度も問うた。ギターが最有力候補にあがるのだが、極論全部なくなってもいいなと思う。家を失うことは見方によれば悲劇だ。商売が失敗して夜逃げ同然で家を出る家族は不幸の象徴として語られる。だが、誰が不幸と決めるのだろう。現在を生きる我々にできることは、ただ、与えられた瞬間を精一杯に生きることだ。家がない状態を楽しめたら、その人は不幸ではない。あらゆる環境は遊具になる。ただ、人気のある遊具と、人気のない遊具があるだけだ。家も金も仕事もある遊具は人気だ。誰もが遊び方を知っている。だが「何もない」を遊具にした遊びは、まだまだ途上だ。健康になりたければ「何を食べるか」より「何を食べないか」を注視した方が効果的だ。足し算よりも引き算。ファスティングが最も効果的だと言われている。

 

モノが減ると不安が減る。管理の手間も減るし未来を憂う時間も減る。それよりも今。今に集中できるようになる。横浜の家は手放した。熱海の家は利用希望者の方が使っている。だから私には帰る家がない。横浜の家は春花が継承した。名前は「レディガガのお家」になった。春花も春花で財政難なので、今月中に新規入居者が見つからなければ春花も路上生活者になる。なので、住居を探している方は是非ご覧ください。私もたまに遊びに行きます。何もかも失ってからが、本当の俺だ。

 

note.com

 

わたり文庫『世にも美しい癌の治し方』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ムラキテルミ著作『世にも美しい癌の治し方』です。愛するムラキテルミさんの最新刊であります。本そのものから出ている波動がめちゃめちゃ高い気がします。私は7回以上読みました。最高です。読むだけで運気があがります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は神奈川県にわたりました ※※※

 

2009年5月、余命3ヶ月の原発性肝臓癌の宣告を受けた私は、癌において標準治療と呼ばれる「手術」「抗癌剤治療」での延命は難しいと言われました。

でも、幸運なことに、石原結實医学博士に出会え、誰もが自宅で出来る以下2点、「一日一食にすること」「体温を上げること」を実践しただけで、13ヶ月後には肝臓癌が溶けてしまいました。

あまりにも簡単な方法ですが、治癒に至るには1つだけ必要なエレメントがあります。

選択したことを信じて「継続する」ことです。成功するのは、成功するまで、し続けるからです。治癒させるには、治癒するまで、し続けることです。

ムラキテルミ『新版・世にも美しい癌の治し方』【KKロングセラーズ

 

ここにいちゃいけない、なんてことはない。

昨日は銀座のバーに呼ばれ、初対面の方々と話した。最近のマイブームはフルスイングをすることなので、できる限りベストを尽くそうと思ったが大敗した。一体一なら切り返せるが、相手が集団になると(しかも社交辞令が大半というか、表面的な空気に場が飲まれると)太刀打ちするよりも先に自分が枯れる。昨日の反省点は帰りますともっと早く言えばよかったこと。そして、どうせなら瞬間最大風速で自分の本音を言うこと。お前ら全員嘘つきだなと思ったら「お前ら全員嘘つきに見えます」と開始早々言えばよかった。そっちの方が後からの時間が絶対面白かった。

 

私は思う。優しい人と優しいっぽい人は全然違う。優しいっぽい人は他人に合わせる。他人に合わせるから表面的には優しく見えるのだが、中身は冷たい。話をしっかり聞いているように見えるが、それはただ面倒なことになりたくないという保身なだけであり、心を通わせる方向にエネルギーは使われていない。それよりも「自分をよく見せたい」とか「嫌われたくない」とか「いい人だと思われたい」というエゴが前面に出ている。これは相手を利用しているだけであり、乱暴な言葉を使えば吸血鬼のやることだ。自分のことがわからないとか、自分を愛すると言うことがどういうことかわからないという人ほど、冷えた人間が多い。優しいっぽい人は、優しさの裏で誰かを憎み続けている。外見は綺麗だが心がない。それに対し、真に優しい人は温かい。言葉に温度があり、眼差しに温度があり、行動に温度がある。

 

上手い言葉が見つからないが、大事なことは自分が自分に「ここにいてもいいよ」と言ってやれることだと思う。ここにいちゃいけないと思うと、有意義な話をしてはじめてそこにいてもいいだとか、面白い話をしてはじめて自分はそこにいる権利を得るだとか、謎の許認可制度が生まれる。許可なんてない。許可なんてはじめからおりている。あとは自分がそれを受け取るだけだ。誰かに認められて初めてそこにいることが許されるだとか、そんなふざけた話はない。沈黙を恐れる必要はない。何かを話さなきゃとか思う必要もない。ただ、話したくなったら話せばいい。ただ、動きたくなったら動けばいい。言葉だけがコミュニケーションの道具ではない。態度や仕草、空気感の共有からコミュニケーションははじまっている。自分が安寧の中で寛げていれば、その空気感が相手にも伝わる。場をつなぐとか、場にあわせるとか、それよりもずっと大事なことがある。それは「場を生きる」ことだ。

 

坂爪さん

昨日はありがとうございました!
いまだに昨日のことが夢だったような?現実だったのか??ふわふわした感じが続いています。


坂爪さんとお別れした後、すぐに本を読み始めて涙が止まらず。なんか魂が喜んでいるような感覚が久しぶりでした。


ずっと踏ん張ってないと壊れてしまいそうで、それが当たり前になってて
けど気がつかなくて


人に悪く思われたくないとか良く思われたいとか
人からどう思われるかを自分が思っていた以上にまだまだ気にしていたり


気づかないうちに紙粘土でごてごてに自分のまわりを固めていたのが、坂爪さんとお話ししてたら勝手にぼろぼろと壊れてはがれてきたというか。無意識に取り繕ってたなとか気がついて


涙がでたときに、はじめて苦しかったんだなって気がついたことに魂さんが喜んでる感じがしました。


自分で自分のこと考えてると思ってたけど、もっと奥の方の魂さんの声はしばらく聴いてなかったなと。頭でいっぱいこねくり回して疲れて、けどそれが当たり前になってた時に坂爪さんとお会いできるチャンスが突然やってきて。


勇気を出してよかったなって思います。
これからまた泣きながら=浄化 本の続きを読みます!


ずっと変に力が入っていたのがやっと抜けてきたようです。


本当に昨日坂爪さんにお会いできてよかったです!自分にも再会できた気がします。

ありがとうございました♪

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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