いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

危険だってことは、やらない理由にはならないんだよ。

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岡山で味噌汁をご馳走してくださったM様が「去年の12月くらいから体調が悪くなり視力や聴力も奪われて朝起きられない日もあり、死を身近に感じるようになってから会いたい人には会わなきゃと思うようになった。だから坂爪さんに連絡をした」と話してくれた。また次があるさみたいなことを私は簡単に思ってしまうが、また次があると思っている人よりも次はないかもしれないと思っている人の方が、今をしっかりと生きている。ご縁というワードが苦手な理由はこれだなと思った。ご縁があったら会いましょうと言われるより、死ぬ前にどうしてもあなたに会いたいのですと言われた方がずっと嬉しい。なぜなら、その人の本気を感じるからだ。

 

おおまかなスケジュール

5月29日(土)大津界隈

以降、FREE!
(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

生きるってことは、出し切るってこと。

私は本気に触れたい。綺麗に整えられた言葉より、泥臭い言葉に触れたい。下手くそでも不器用でも構わないから思いの込もった言葉に触れたい。本気に触れると本気を返したくなる。私は本気に触れたいのだ。本当の出会いで思い出す存在はみっつだ。みっつとの出会いは本当によかった。本気に触れると本気を返したくなる。本当の気持ちには、詩(うた)がある。詩人が表現しようとしているものがある。

 

私は今24歳で、現在所謂ニート状態です。父親の方針で学校に行かせてもらえず、かといって家庭内で教育を受けた記憶はありません。13歳頃まで静岡県に住んでいて、父親が逮捕されたことをきっかけに千葉県に引っ越してきました。執行猶予の判決を受け、拘置所から戻ってきた父親は以前にも増しておかしくなり、15歳の夏に母親と弟と共に逃げ出すまで、酷い虐待をされる生活が続きました。 

 

今なお傷を引きずっているのか、自分でもわかりません。しかし私の目には社会は厳しく映ってしまい、今まで働いたことはほんの僅かです。それでも憂鬱をくぐり抜けながら、何とか今まで生きています。インターネットや本を通じて、いろいろな文章を読んできたつもりですが、坂爪さんの言葉にほど惚れたことはありませんでした。まるで太陽のような希望です。お礼を言わせてください。本当にありがとうございます。言葉の中に世界があって、そこには自分の居場所もありました。

 

少しでも人生が変わる可能性があるなら、私は傷ついてもいいと思えました。ぶつからせてください。坂爪さんの手助けになるようなことがあれば、私に何かやらせてください。お金も能力もありませんし、大変ぶしつけなのはわかっています。お力になれる時がありましたら、ご連絡をください。よろしくお願いします。 電話番号 080-××××-×××× メールアドレス ×××××@×××× 

 

ibaya.hatenablog.com

 

昨日は神戸に泊まった。その日の朝は宿は未定だった。各種SNSから「神戸にいるので会える方がいたら会いましょう」と投稿したら、それを見てくださった方が三宮のホテルを予約してくれた。ホテルに着いた頃、神戸在住の方から「明日琵琶湖近くで開催されるマルシェがあるから来ませんか」と連絡が届いた。私は琵琶湖を愛しているので、その方の車に乗せてもらう形で琵琶湖まで来た。その道中で「今日は琵琶湖界隈で暇です。会える方がいたら会いましょう」と投稿をしたら、あろうことか滋賀県在住のS様が大津のホテルを予約してくれた。私はいま、大津のそのホテルからこの記事を書いている。明日の予定も宿も未定だ。S様に「なにからなにまで本当にありがとうございます!」とラインをしたら、お返事にこう来た。

 

坂爪さんの言葉のおかげで何かしらを乗り越え、好きな人が恋人になり、隣で目覚める日々です。
私がありがとうございます。
おかげさまで悩みや不安などと全く縁のない生活です。ラブ❣️

 

大津駅に泊まれることになり、各種SNSから「今日は大津駅界隈でこれからの生き方を見定めているので会える方がいたら会いましょう」と書いたら、滋賀県在住のR様から会いたいですと連絡が届いた。R様からは数ヶ月前に以下のようなラインを貰っていた。大津駅前で初対面を果たした訳だが、出会い頭R様から「吐きそうなくらい緊張しています。坂爪さんは緊張しないのですか?」と問われた。私にとって初対面とは出会って数秒間だけの間の話であり、まばたきを一回する間に二度目、三度目、四度目の再会を果たしている。だから、一緒にいる間に10回とか100回とか1000回くらいは会っている感覚になるのだが、なかなかこの感覚を説明し切れない。初対面なんて最初の1秒間だけで、2秒後からは同じ学校のクラスメイトみたいなものだろ。私はそう思っているのだが、なかなか共感されることは少ない。

 

坂爪さん、こんばんは。
深夜にすみません。

noteを読んで、坂爪さんの「生」に、私の「生」が共鳴したのか何なのか、私はただただ涙が溢れてしばらく何も出来ず、今に至ります。


何を伝えたくてLINEを送ろうとしているのか、自分でも分かりません。


少し自分の話をしますと、
去年の2月3日に、私は首吊りを試して父に見つかり未遂に終わりました。
当時の日記には「私の存在自体がめいわくな存在だ。死にたい」「私は私に生まれたくなかった」「毎朝来る絶望にも嫌気がさしたし、生きづらい自分がとにかく苦しかった」と書いてありました。


その後、2月14日に魂のむきだしに出会いました。
坂爪さんのnoteのことです。
私は坂爪さんの言葉に触れるたびに、少しずつ浄化されて、少しずつ自分の魂を見つけてもらっているような感覚があります。
そのたびに私は「生」の歓びを少しずつ感じています。
去年の今頃の「死にたい」がいつしか「生きたい!」に変わっていました。
(たまに死にたくなることはあるけど)


…書いていて何が言いたいか分からなくなりましたが、
「私もここで生きてるよ!」
「坂爪さんはこんなにも生きているんだね!私も坂爪さんと一緒にこんなにも生きてるよ!」
と、叫びたいです。


…何が言いたいか分からない話で、しかも遅い時間にすみません。


坂爪さんに出会えて本当に良かったです。
いつもありがとうございます。

○○○○

 

危険だってことは、やらない理由にはならないんだよ。 

ホテルを取ってくれたり食事をご馳走してくれたり、本当にみんな優しい人ばかりだ。みんな優しいから「ゆっくりして行ってください」と毎日のように言われる。だが、そう言われる度に「ああ、俺はゆっくりしたいと思っていないんだなあ」と思う。ゆっくりしたいよりも死にたいが強い。喰らいたいが強い。面白い体験ができるなら無傷でいるよりも喜んで傷を負いたいが強い。そのためだったら一日一食でもいいし睡眠時間二時間でもいいし毎日移動が続いてもいい。ゆっくりすることが全然上位に来ない。それよりも外に飛び出して「ああ、この景色は家にいたら絶対に出会えなかったなあ」という風景によって、慰められたり励まされたり癒されたりしていたい。血を流しながら笑っていたい。フラフラしながら笑っていたい。

 

自分が、危険なことをやりたがっているのを感じる。前例のないこと。まだ誰もやったことのないこと。大勢の人たちからそんなことはできるわけがないだろと馬鹿にされるようなこと。無謀なこと。無意味なこと。無価値なこと。誰の役にも立たないこと。熱狂すること。興奮すること。ワクワクすること。ゾクゾクすること。死ぬかもしれないこと。自分がダメになるかもしれないこと。友達が全員いなくなってしまうかもしれないこと。人でなしになるかもしれないこと。私の中に魂と呼ばれるものがあるならば、それは炎のようなものなのだろう。その炎は「なんでもありなんだよ」と言っている。進むべきレールもないし、守るべきルールもない。なんでもありなんだよ。だから、お前はお前の道を進め。お前はお前の純粋を守れ。どれだけ周囲からボロクソに言われたとしてもだ、俺には俺がついているぜ。

 

危険だってことは、やらない理由にはならないんだよ。危険な道ほど本当は自分が行きたい道なんだよ。危険だからやめるとか、怖いからやめるとか、恥ずかしいからやめるとか、逆だよ。危険だからこそやるべきなんだよ。怖いからこそやるべきなんだよ。恥ずかしいからこそやるべきなんだよ。生きるってことは出し切るってことだ。それは安全な道を選ぶってことじゃない。危険な道を選び、持てる限りのエネルギーを全力で注ぎ込むこと。俯瞰する余裕もないほどに、こう見られたいなんて思う自分を保つ余裕も吹き飛ぶくらい、瞬間に没入する刹那。破裂するほどの心臓の鼓動。それが生きているってことだ。緊張している人は美しい。それは勇気を出している証だ。誤解される人は美しい。誤解されない人間など毒にも薬にもならない。誤解されるからこそ、真の繋がりを築くことができる。自分を出して傷つくことより、永遠に自分を取り繕って生きることの方が、ずっと恐ろしいことだ。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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