いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

涙が出るほどカッコいい。

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熊本県荒尾市にいる。岡山在住の方から「絶対に食べさせたい味噌汁がある」とご連絡をいただき、どうやって行くか考えた結果現在福岡にいる徹さんと合流をして車で岡山に行くしかないと判じた。同じタイミングで「荒尾に使っていない家があるから使いませんか?」と連絡が届いた。徹さんからは「福岡佐賀熊本大分にあるスノーピークを全部回って一緒にピークを迎えましょう」と言われている。間違って航空券を一枚余分に買ってしまった私は、現在シリアスな財政難に喘いでいる。

 

おおまかなスケジュール

5月27
(木)福岡&佐賀&熊本&大分
5月28日(金)岡山〜京都

以降、FREE!
(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

狂え。

現在九州は記録的な土砂降りだ。どこでも寝れるように野営道具を持ってきたが、色々無理で荒尾の方に「誠に申し訳ありませんが一泊だけ泊まらせていただくことはできますか」と連絡をしたら快諾していただき、現在は荒尾の家にいる。最近はまっている炒り玄米に熱湯を注ぐと純正の玄米茶が出来上がる。これがまた腹にたまるので空腹時や凍え死にそうな時に重宝する。これまではキャンプ道具ラブだったはずなのだが、最近は全然ときめかない。なぜだろう。誰かに用意されたものを誰かに指定された楽しみ方をしているだけの自分に、嫌気が差すのかもしれない。 

 

かれこれ10年くらい「家(家族)とは何か?」と考えている気がする。家を同じにする族。家族。私たちは生活のために働かなければならないとされている。平均的な人類が購買する一番高額な商品は家だ。家のために長期的なローンを組んだり、毎月の家賃を支払うために嫌な仕事も辞めるわけにはいかなかったりする。私たちは金を求める。あるいは、他者からの愛を求める。それが望む形で実現されない時、酒やタバコや覚醒剤や過食や過剰な買い物などで埋め合わせる。家族間で形成されたトラウマのようなものが、その後の人生に大きく影響する。テレビコマーシャルでは幸せそうな家族が多数出演するが、現実社会はあちこちで不倫が行われている。こどもたちは愛を目撃する以上にお互いに利用し合う大人たちを目撃し、結婚に希望を抱かなくなる。それが飛躍すると、生きることに希望を抱かなくなる。

 

これまで散々狂人扱いされてきた。やりたいことをやって生きると狂人扱いをされ、誰かに合わせて生きていると優遇される。褒められて生きることは簡単だが、そこに歓びはなかった。最近の気分は「狂い続けよう」というもので、いまの世の中から頭がおかしいと嘲笑されるならいくらでも嘲笑されてやるよ、という気分だ。自殺者が何万人もいて鬱病患者が何百万人もいる社会が狂っているのか、それをおかしいと思う自分が狂っているのか。ゴミ焼却炉に行くと商業施設の十倍以上の面積にゴミが堆積している。そこは「夢の島」などと名付けられたりするのだが、人は何かを隠したいときに綺麗な言葉を語りたがる。お客様のためなどと言った言葉を企業は多用するが、美辞麗句を用いるのは隠したい何かがあるからだ。たくさん働いてたくさん捨てるより、少しだけ働いて大切に使う方が、私は好きだ。

 

涙が出るほどカッコいい。

私が出演したトークイベントに親子で遊びに来てくれた女性がいる。その女性は自分の娘さんと一緒に来た。娘が引きこもりのようになってしまってこのままではいけないと思い、刺激を与えたいと思って坂爪さんを見て欲しいなと思って連れてきた。そのようなことを女性は言った。こういう形で誰かを連れて来てくれる人はたくさんいるのだが、こういうのはあまり効果的ではないと思う。無理やり引き連れるのは危険だ。悲しいことだが、先日、その娘さんが自殺でなくなったという報告を受けた。自殺の報告を受けると「また間に合わなかった」という気持ちになる。

 

経済的には恵まれているのに精神的な厳しさを抱えている人は大量にいる。私も同じだ。同じだなどと言うと傲慢だが、そういう時期は表面的なものの一切がまったく自分に響いてこない。愛も、優しさも、全部が表面的に見えて「本当のことを教えてくれ」という気持ちになる。この「本当のことを教えてくれ」という叫びが、自分の皮膚や内臓を引き裂くようにとめどなく暴れまわる。精神的にも体力的にも落ちているはずなのに、それとはまったく関係のないところで苛烈さが暴れまわる。その苛烈さは叫ぶ。お前らが言う愛だの恋だの夢だの楽しさだの嬉しさだの面白さだの優しさだの希望だの、そういったものの全部がくだらないんだよ。お前ら全員退屈なんだよ。お前ら全員ごまかしてるだけじゃないか。お前ら全員馴れ合ってるだけじゃないか。中途半端なところであぐらをかいているんじゃないよ。と。 

 

私が惚れて来た男たちは全員一人で生きている。無論、誰かと協力をしたり一緒に遊ぶことはある。だが、彼らは一様に一人だ。絶対に群れない。権威に媚びない。集団の空気に染まらない。何処にいても徹底的にその人であり続ける。彼らは俺みたいになれとは絶対に言わない。その気持ち悪さを知っている。彼らは「俺は俺になる。お前はお前になれ」と語る。言葉ではなく態度で語る。相対的な価値ではない、絶対的な命を生きる。人生を肯定する姿に触れた時、涙が出るほど感動する。人間が人間を救うことはできない。人間にできることは、ただ、輝いている姿を見せることだけだ。それを見た人々が、勝手に何かを受け取って、勝手に何かを継承していく。小さなこどもたちを見ていると一目瞭然だが、彼らは正しい人の言うことは聞かない。じゃあ、どんな人の言うことを聞くのかと言えばそれはカッコいい人だ。カッコいい人の言うことならば、なんだって聞く。誰かを救いたければ、自分がカッコよくなることだ。涙が出るくらい、カッコよくなることなのだと思う。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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