いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人間を救うのは言葉だ。

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自分に何が起きているのかが分からない。脳みそが切り替えられ、意識が途端に変化した。あれだけ中毒をしていたタバコや甘いものをまったく欲しいと思わなくなり、禁断症状も全然ない。禁煙なんて絶対無理と思っていた。やめるためには2年間ほど刑務所にぶち込まれる必要があると思っていた。が、やめられた。人生は何が起こるか分からない。だからみんな、余計なお世話だけど諦めない方がいいよ。

 

おおまかなスケジュール

5月17(月)熱海界隈

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

自分にとってよいことをしよう。

ニコチンもアルコールもキャフェインも砂糖も中毒性が高い。だから突然やめたら禁断症状が出るはずだ。なのに、まったくない。なぜだ。自分に何が起きているのか。我慢も忍耐も努力も一切していない。ただ「自分にとってよいことをしよう」と考えるようになり、運動をしたり掃除をしたり読書をしている間に一日が終わる。タバコや砂糖はよいことから遠いからなのかなんなのか、次にやることリストになかなか浮上してこない。だから、結果的にやめた形になっている。まさか、こんな形でタバコのみならずあらゆる中毒症状から自由になれるとは思わなかった。

 

ただ、その代わりに動き続ける必要がある。昨日から食事を一日一食にした。食べ物を消化するエネルギーはフルマラソン一回分に匹敵すると言われるが、露骨に体が軽い。睡眠時間も4時間程度で大丈夫になる。今朝は5時に自然に目が覚めた。タバコも吸わない珈琲も飲まない食事もしないとなると一日が長い。朝起きて散歩をしてストレッチをして筋トレをして朝風呂をしてもまだ8時だ。いつも以上に念入りに家の掃除をするために研磨剤を使ったら、自分の指先が思い切り研磨されて超絶痛い。自分を磨き過ぎた。生まれた時からあったさみしさの感情が薄らいでいることを感じる。暇なのは相変わらずだ。とにかく時間がある。だからやることを見つけては即座に取り掛かるが、どれだけ念入りにやっても1時間程度で終わるために「俺に次の仕事をよこせ」みたいな気持ちになる。いまの自分は、多分、どこの会社に就職してもそれなりに使える人材になれると思う。こんな感覚ははじめてだ。

 

先ほど夕食を食べた。妙蓮寺駅近くにある私が知る限り日本で一番美味いインドカレー屋で食事をした。食べ過ぎた。食べ過ぎたら面白い現象が起きた。タバコを吸いたくなり、甘いものを食べたくなったのだ。なるほどと超思った。食べ過ぎると体が重くなる。要するに不幸になるわけだが、自分が不幸のウェーブに乗るとタバコを吸いなよとか甘いものを食べなよとか、悪魔の囁きが聞こえる。嫌な言い方になるが、隣に座っている若いカップルが妙に頭が悪そうに見えた。普通、若い女と同じ空間にいられたらそれはよいこととして扱われるのだろう。女は花に例えられることが多い。だが、ドブみたいな女もいる。見た目は綺麗でも声がドブ、仕草がドブ、存在が排気ガスみたいな女もいる。誤解されると困るが、私は女性が嫌いな訳ではない。好きだ。ただ、女性は中学生くらいからおばさんになる人が出てくるよねと言いたいだけだ。ずっとおばさんにならない人もいるが、中学生でおばさんになる人もいる。男のおばさんも多い。おばさんにないものは、恥じらいと品だ。

 

人間を救うのは言葉だ。

広く一般的には「女の裸には価値があるが、男の裸には価値はない」とされている。男性のヌードに金を払う人より、女性のヌードに金を払う人の方が圧倒的に多い。だが、裸の価値に性差はないと思う。女の裸が美しいように、男の裸も美しいはずだ。ギリシャの彫刻などを見るとそう思う。ということは、私たち男性も(比べるのも変だが女性に負けず劣らず)美しい部分を持っているのだと思う。生まれた時から備わっている肉体の美を生かさないことは生命の冒涜にあたるのではないか、ということを今朝思った。私は痩せ形で身長174センチだが体重が58キロ程度しかない。いま、葛藤している。このまま一日一食を続けて野生の狼のようなシャープなボディを継続するか、明日から意を決して大食感になりギリシャ彫刻ボディを目指すべきか。こういうことばかりを考えていたらタバコを完全に忘れていた。 

 

人間を救うのは言葉だ。ムラキテルミさんの本を読んでいる。余命三ヶ月を告げられたムラキさんは最後の頼みの綱としてドクター石原に見てもらった。するとドクターは「あなたは治りますよ」と言った。この言葉を聞いた時、ムラキさんは喜びで泣いた。私の知り合いで自己破産をした女性Hさんがいる。法テラスで弁護士に無料相談する機会があり、弁護士が「あなたが不安に感じていることを全部話してください」と最初に言った。Hさんは誰にも話せなかった不安をその場で全部ぶちまけた。会社にバレる不安。家族にバレる不安。家を失う不安。職を失う不安などなど。抱えている不安をあらいざらいぶちまけたら、それを聞いた弁護士は「それ、全部大丈夫です」と言った。それを聞いたHさんは安堵の涙を流した。そりゃ、そうだろうなあと思う。自分がこれはもう絶対に終わったと思っている時に、専門家の人から「あなたは大丈夫です」と言われたら、それは最高の救いだ。母親を亡くして茫然自失の日々を過ごしていた男が、ある日、夢の中で母親と再会をした。すると、母親は「あなたはしっかり生きるのよ」とにこやかな笑みで彼に言った。その夢を見て以来、彼は生きる力を取り戻して立派に社会生活を送っている。救いは、言葉だ。言葉ひとつで人間は地獄の底から一気に飛翔することができる。 

 

うまく言えないが、私から中毒症状が消えたのは「言葉が与えられたから」だと思う。一つの言葉が人間をまるっきり新しい存在に変えることがある。その言葉はなんという言葉だったのだろうか。言葉は魔法だ。言葉は意識を変える。我慢でも忍耐でも努力でもない。意識が変わったら現実が変わった。驚いたことにあれだけ嫌いだった横浜を好きになりつつある。これまでは三日と同じ場所にいられなかったのに、いまでは同じ場所にいることにさほど苦痛を感じなくなった。人間は変わるのだ。怠惰な人間が次の日から一気に機敏になることがある。だから、余計なお世話だけど諦めない方がいいよって言いたい。人生は本当に何が起こるかわからない。昨日までニコチン中毒だった男が突然タバコをやめ、喫煙所の近くを通っても羨ましさは一切感じず「臭いな」と思って息を止めたりするようになる、そういう変化がたった一日で起きたりするのが人生だ。私たちの世界は言葉でできている

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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