いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

全部許す。憎まない。

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どう生きるかより、どう遊ぶかだろう。泣くか笑うかを決めるのは自分だろう。こどもの仕事が遊ぶことならば、おとなの仕事はもっと遊ぶことだろう。いいことばかりじゃ半分で、本当のいいには悪いもあるのだろう。毎日がゴールで、毎日がスタートだろう。自分に同情をしている場合ではないし、被害者ヅラをしている場合でもないだろう。毎日、本当は毎日が「明日などない。今日しかない」のだろう。

 

おおまかなスケジュール

4月28日(火)横浜界隈

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます) 

 

 

いつまでもあると思うなよ。

まだ未定だが、熱海の家を手放す可能性が出てきた。手放すとなると「あんなこともあったなあ」と過去の記憶が蘇る。拠り所がなくなる不安もあるが、新しいステージがはじまるドキドキもある。これからも当たり前にあり続けると思っていたものが、ある日を境に突然なくなってしまうことは、世界の見え方を大きく変える。寿命を告げられることで、そのものの命がより一層の輪郭をもって迫ってくる。時間には限りがある。限りがあるからこそ、残された日々を大事にしようと思える。

 

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「命よ、踊れ。」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

どう生きるかより どう遊ぶかだろう

泣くか笑うか 決めるのは自分だろう

 

こどもの役割(しごと)が 遊ぶことならば

おとなの役割(しごと)は もっと遊ぶこと

 

明日はないのだ ただ 今日があるだけ

毎日がゴールで 毎日がスタートだ

 

いいことばかりじゃ 半分なんだ

本当のいいには 悪いもあるんだ

 

自分に同情を している場合じゃない

被害者ヅラを している場合じゃない

 

次はないのだ ただ いまがあるだけ

これが最後だからと 暴れ出す 命が

 

ああ 踊りたがっている 命が 俺と

 

幸せになるより 感じ取れる美々を

自由に心を 遊ばせておける日々を

 

カラダを越えて 時を空間を越えて

あなたの笑顔が ぼくを笑顔にする

 

明日はないのだ ただ 今日があるだけ

これが最後だからと あふれ出す 今も

 

ああ 生きたがっている 命よ 踊れ

ああ 生きたがっている 命よ 踊れ

 

闇があるから星は輝く。久しぶりに保科さんと合流をして音を合わせた。永遠の初心者である我々は、今日という日もまた初心者だ。これまでの延長を生きるのではなく、瞬間瞬間に「いま、生まれました」と言わんばかりのフレッシュさで毎日を生きたい。これまでの人生がどのようなものであれ、誰もが『今日』の初心者だ。今日は今日しかない。過去にもないし、未来にもない。年齢を重ねるほど、いま以外の時間を抱え、自分以外の誰かを考える時間も増える。だが、一人の人間が背負えるものはいまと自分だけだ。いまと自分を誠実に生きることが周囲の力になる。

 

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「flow-er」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

悲しいこともあるのに 大丈夫!と笑って

息も止まるほど 恋をして

 

足りないもの数えて キリないとか言うけど

終わりないもの 求めてる

 

それでよかった ふたり

なにもなくても

懐かしい未来(いま) 抱えていける

 

楽しいこともあるのに 切ない!とか笑って

世界のやさしさ 覚えたよ

 

結末だけ夢見て あとは全部投げ出した

恥ずかしがり屋 信じてる

 

あいも変わらず ぼくら

息をしてる

純粋なまま 汚れていこう

 

悲しいこともあるのに 大丈夫!と笑って

息も止まるほど 恋をして

 

足りないもの数えて キリないとか言うけど

終わりないもの 求めてる

 

それでよかった ふたり

なにもなくても

懐かしい未来(いま) 抱えていける

 

あいも変わらず ぼくら

息をしてる

純粋なまま 汚れていこう

 

横浜の家は引き続き存続する。昨日、T様が家を出た。昔から別れの場面が苦手で、ぎこちなくなる。移動の日々は別れの連続でもあったから、さようならを言う代わり人「また会いましょう」とか「共に生きましょう」などと言ってきた。だが、別れは別れだ。一度、はっきりとさようならを言うことは大事なことだと思った。小学生の時は、毎日学校の終わりに「先生さようなら」と言っていた。また明日ではなくて、さようならと言っていた。さよならではなく、さようならだ。さようならを丁寧に言うことは、ありがとうございますを丁寧に言うことに似ている。

 

全部許す。憎まない。

横浜の家は新規入居者を募集しています。見学だけでもオッケーなので興味のある方はご連絡ください。昨日はホームセンターで電鋸を借りて家具をカットしたり、ツリーハウスの劣化版を作ったりした。衣装ケースなどのプラスチックや金属パイプも100円のノコギリで切れることを知り、粗大ゴミに出さずとも自力で安価に処理できることを学んだ。これまでは「買う」が生活のメインだったが、そこに「作る」を加えると生活に張りが出る。これまでは100円ショップをちょっと小馬鹿にしていたが、沖縄の離島などスーパーもない場所に滞在した時期を経て、100円ショップってめちゃめちゃ便利だなと思い直した。野営道具も大部分が百均で揃う。

 

徳川時代封建社会では、民を支配するためには人々を分裂させて互いにいがみ合いをさせておく必要があった。士農工商などの身分格差を作り、人民同士で潰し合いをさせることで、直接的な怒りを支配者に向かわせないためだ。現代社会も封建時代と変わらず、近くのものを憎ませることによって本質的な問題をあいまいにしている。人々は統合の道ではなく分裂の道を歩んでいるように見えるが、歩んでいるのではなく「歩まされているのかもしれない」という認識が加われば、多少、冷静になれる。大事なことは、みんながどういう生き方をしているかではない。自分が、自分にどのような人生を歩ませたいと思うかだ。分裂を促す思考は全部罠だ。

 

千の言葉を重ねるよりも、一回のハグが問題を氷解させることがある。現実的な問題に怒りや憎しみを抱えているように見えて、本当はただ「さみしかっただけ」という場合は多い。多くの問題は金に起因をしているように見えるが、その一歩奥には愛が影響している。金は非常に便利なものだが、金で買えるものは金で買えるものだけだ。金は、愛の代わりにはならない。金は、友情の代わりにはならない。奪い合えば足りず、分け合えば余る。これだけ裕福な国になっても自殺者やうつ病患者が減らないのは、繋がりが消えたからだと思う。分裂を修復するために追うべきものは、金だけではなく心だと思う。生と死【命】を見つめるまなざしだと思う。

 

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「ジュピター」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

強くもないし 優しくもない

ただ命の限り 踊っていたい

清くもないし 正しくもない

でもいのちの 限り生きたい

 

本気じゃないなら もう いらないし

たのしくないなら もう やらないし

 

僕にないものが君にあって

君にないものが僕にあって

必要とすることならできる

確かめ合うおなじ命がある

 

本気じゃないなら もう いかないし

うれしくないなら もう やらないし

 

死なないように 死なないように

死なないように 生きても 死ぬんだよな

 

誰のものでもない君がいて

誰のものでもない僕がいて

誰のものでもないこの星で

ふたりだけの時間を刻もう

 

本気じゃないなら もう いわないし

さみしくないなら もう やらないし

 

死なないように 死なないように

死なないように 生きても 死ぬんだよな

 

本気じゃないなら もう いらないし

だれともなにとも もう くらべない

 

死なないように 死なないように

死なないように 生きても 死ぬんだよな

 

死なないように 死なないように

死なないように 生きても 死ぬんだよな

 

死なないように 死なないように

死なないように 生きても 死ぬんだよな

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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