いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

I LOVE YOU それ以外に言うことはない。

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沖縄最終日。緊急事態宣言諸々で、これまで以上に人々が不安や恐れベースに生きるようになる。だけど、愛を忘れるなよ。死なないために生きてるんじゃなくて、明日死んでも後悔しないように生きるんだよ。何度でも思い出そう。天国に持っていけるものは愛し愛された記憶だけ。それ以外は全部、何もかも全部置いて行く。

 

おおまかなスケジュール

4月20日(火)那覇羽田空港


以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

生きること、それ自体が美しい。

二週間程度の野営生活が終わる。最初の二日はまだまだ体が俗世から抜け切れないが、三日目くらいから自然に体が慣れる。体が自然を思い出すと言えばいいのか、これまで社会や誰かによってこうだと思い込まされてきた自分像が徐々に薄れ、純粋な自己が現れる。これまで自分が大事だと思っていたものがさほど大事だとは思えなくなり、代わりにこれまで重要視することを忘れてきた大事な何かを思い出す。多分、私たちは過剰なのだ。自信や価値や生きる意味などをないと感じることは多いが、それは他のものがあり過ぎるから見えなくなっているだけなのだろう。

 

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「ロッキンチェア」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

ロッキンチェアが揺れてる 窓辺から光が差す

風に揺れている洗濯物と 乾かない僕の涙

 

一緒にいるのにね もう 会いたい

一緒にいるのにね また 会いたい

 

鳥たちが仲間を求め 空高く飛び交う時

取り残された季節の中で 鮮やかな痛みが舞う

 

一緒にいたのにね もう 会えない

一緒にいたのにね また 会えない

 

変わり続ける君のこと 変わらずに見ていたいよ

夜空の果てに 日々の隙間に 蘇る君の香り

 

一緒にいるのにね もう 会いたい

一緒にいるのにね また 会いたい

 

一緒にいるからね 一緒にいるからね

 

基本的に毎日さみしい。このさみしさはなんなのだろうか。昔はさみしいと思うことを恥ずべきことだと思っていた。だから充実している風に見せたり、自分は一人でもへっちゃらだとさみしさを打ち消すような思考や行動をしていた。有名になったり何かしら功績を残せばさみしさは消えるのだろうかとなんでもかんでも手を出した時期もあったが、本を出す程度には周囲から認められた現在もさみしさは同じだ。むしろ、有名になるほど孤独は深くなった。イメージで人を見ることがどれだけ残酷なことか、そういったことを肌感覚で学んだ。最近は、自分の中にあるさみしさを認めた。孤独を認めた。さみしいまま、孤独なまま、私は充実をしている。

 

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「ねえ」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

俺のこどもたちが おとなになる頃に

君のこころまでも おいていかないように

 

美しいままでは 生きられないからね

涙が出るくらい 綺麗になりたいね

 

ここで死ぬなら それまでのことだよね

まだ生きている そのことが答えだね

 

ねえ 寂しくて悲しくて 嬉しくて楽しくて

積み重ね 生きてるねえ 愛を求め

 

君は悲しいほど 優しい人なんだね

俺は何も言わない 冷たい人なんだね

 

でも いつまでも 見ているよ 君のこと

ただ いつまでも 見ているよ 君のこと

 

ねえ 嗚咽して苦悶して 武者震いとかもして

身を売って 生きてるねえ 銭を求め

 

死んでしまうことに 安らぎを求めて

生きることのなかに 手応えを求めて

 

そういうことのすべてがね おかしくて

そういうことのすべてがね いとしくて

 

ねえ 情けもねえ不甲斐もねえ 勇気も金も自信も才能もねえ

それでもねえ 生きてる ねえ 命よ暴れ回れ

 

何一つ諦めず 欲しいもの取りに行け

安パイは投げ捨てて 危ない橋を渡れ

 

恥を晒せ肉を斬れ 骨を断ちハイになれ

このままじゃ 終わらんねえ 愛を求め

 

生きているのだから、さみしくない訳がない。傷も苦しみも持ってて当たり前だ。ただ、傷を重ねながらも、絶対に傷つかない部分の存在を感じている。この部分は誰にも汚すことはできない。誰にも壊すことはできないし、誰にも傷つけることはできない。そういう部分が、きっと誰の中にもある。偏見を捨てて純粋な気持ちで学ぼうと思えば、世界は必ず何かしらのレスポンスをくれる。それは社会的なヒエラルキーとはまったく異なる、誰もが平等に携えている存在の価値だ。価値は存在に宿り、功績は行動に宿る。功績がないからと言って価値がないわけではない。絶対にない。価値は命にある。そして、生きている我々にはおしなべて価値がある。

 

 I LOVE YOU それ以外に言うことはない。

つまらないのは世界でも人生でもない、考え方だ。自分に対する否定的な考え方を手放せば、必ず見えてくるものがある。極論、自分のことなんて信じられなくていいのだ。ただ、命は信じるに値する。自分よりも命を信じる。私が命を用いているのではなく、命が私を用いている。一輪の花が全身全霊で根を張り茎を伸ばし命を咲かせるように、いま、この瞬間も命は最後まで生きようとしている。誰が花を笑えるだろう。誰も花を笑うことはできない。生きている者を笑うことはできない。

 

私は、きっと、一人になることが怖いのだと思う。逆説的だが、歌を歌っているときに思う。歌を歌っていると「自分は一人ではない」という気持ちになる。文章も同じだ。文章を書いていると「自分は一人ではない」と思う。その手応えを通じて、普段、自分がどれだけ一人になることを恐れていたのかを知る。自分がやりたいことをやることによって、自分が本当の思いを口にすることによって人々は自分から離れてしまうのではないか、そして自分は一人ぼっちになってしまうのではないか。そんな、幼少期に培われたのであろう根強い恐怖心が、歌うことや書くことを通じて徐々に消える。なあんだ、みんな同じなんだ。そういった気持ちになる。

 

行動の動機は二種類しかないと聞く。愛か。不安か。緊急事態宣言諸々で、これまで以上に人々が不安や恐れベースに生きるようになる。だけど、愛を忘れるなよ。死なないために生きてるんじゃなくて、明日死んでも後悔しないように生きるんだよ。自分の寿命があとわずかしかないことが分かった時、もう、やりたくないことをやっている場合ではないことを知る。恐れている場合ではないことを知る。憎み合っている時間などないことを知る。だから、何度でも思い出そう。天国に持っていけるものは愛し愛された記憶だけ。それ以外は全部、何もかも全部置いて行く。

 

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「You are Forever」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

悲しみの色に春の名を 擦り切れた夜に夏の名を

これが続くと思っていた 終わりなき日々に祝福を

 

焼け落ちた夢に秋の名を 慈しみの日に冬の名を

これが最後と思っていた ありふれた日々に花束を

 

I LOVE YOU 会いたい時には 君の名を

 

ジャッジメントが乱れた 今 カテゴライズは弾けた 今

ボーダーラインが溶けた 今 エンドロールは流れた 今

 

汚れた服で裸足のまま 見えない涙流したまま

駆け抜けた不死身の僕らは 死ぬことさえかすり傷だろう?

 

I LOVE YOU 会いたい時には 君の名を

 

一人をずっと恐れたまま 一人でずっと夢見ていた

傷つくことを恐れたまま 傷つくことを夢見ていた

 

本当は全部許したまま 本当はずっと祈っていた

暗い夜に一人きりでも イエス 俺には俺がついているぜ

 

I LOVE YOU 会いたい時には 君の名を

 

すべての僕らの中にある 消えないバグに甘いハグを

すべての僕らの中にある 見えないキズに甘いキスを

 

虹の彼方で夢見ている よだかの星が瞬いている

生きていることがバケーションで あとは全部おまけなんだろう?

 

I LOVE YOU 会いたい時には 君の名を

 

You are Forever You are Forever

You are Forever You are Forever

 

I LOVE YOU 会いたい時には 君の名を

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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