いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

コアに向かう旅。

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国頭村の海岸にいる。何処の県に行っても都市部は大体同じ感じだが、奥に行くほど魅力的な風景が展開する。多分、人間も同じだ。表面だけ見れば結構似たり寄ったりだが、奥までまさざしを深めると必ず面白い部分と出会う。表面だけではわからない魅力が深部にはある。必ず。絶対に、それはある。そこにリーチするんだ。

 

おおまかなスケジュール

4月19日(月)国頭村


以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

俺には役割があるからまだ死なないと思うよ。

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数日前、大阪在住のS様から「誕生日プレゼントにホテル一泊分をプレゼントするので死にそうになったらご連絡ください」とLINEが届いた。図々しいことを承知の上で、私は「ホテルは大丈夫なので代わりにレンタカーを借りてもいいですか」と返信をした。那覇のレンタカーが5日で1万円だったのだ。S様は快諾してくださり、野営道具を積載して沖縄本島を周遊している。結果、大正解だった。無料でテントを張れる場所を調べ、湧水を汲み簡易コンロでお湯を沸かす。車は動く家だ。

 

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福岡からちょうど沖縄旅行に来ていたT様が遊びに来てくれた。T様は四回結婚を経験している。一度目は旦那が金と女にだらしがなく別れ、二度目は旦那のDVが酷く別れ、三度目は旦那が精神状態を悪くして別れ、四度目の結婚生活は現在順風満帆に続いている。二番目の旦那と結婚していた時、色々あって夫婦で20億円の借金を抱えた。その時の旦那が「一家心中するしかない」みたいなことを簡単に言うから、肝っ玉のちっちぇえ男だなと思ったT様は獅子奮迅して最終的に借金を完済した。人には歴史がある。そんな歴史を国頭村で聞くことになるとは思わなかった。

 

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T様は言った。国頭村まで距離もあるし最初は諦めようかなと思ったのですが、私の中で「坂爪とチャンスの神様は前髪しかない」と降りてきたので来ました。経験則的に転機が訪れる時期は無価値感や虚無感に襲われることが多いと思っているのですが、こうして旅をすると自分を客観的に見ることができるからいいですね。昨日の夜、ホテルの部屋で物思いにふけっていたら、ふと、時空を超えて過去の幼かった自分が目の前に現れる体験をしました。私は昔から心臓が悪く学校でもいじめられていて、父親からも虐待を受けて育ったのですが、目の前に現れた小さな私を見たときに「大丈夫」って思ったのです。大丈夫、あなたを愛してくれる人は必ず現れるからね、って。小一時間程度話をして、T様は帰った。帰り際、T様は「私は聞いてもらいたかったのだと思います」と言った。私は聞いてもらいたかったのだと思います。かわいそうだねとか大変だったねとかじゃなくて、ただ、自分の話をフラットに聞いてもらいたかったんだなって坂爪さんと話をしていて思いました。

 

コアに向かう旅。

ある人から「坂爪さんはずるい」と言われた。あなたは本気を出せば稼ぐ力もあるはずなのにみんなから力を借りて自由に生きているだなんてずるい。自分は毎日毎日お金の心配をしながら生きているのに、そういうところとは無縁に生きているように見える坂爪さんは卑怯者だと言われた。卑怯者、か。確かに私は卑怯者かもしれない。ただ、その言葉の響きから「お前にそれだけの覚悟はあるのか」と問いただしたくなるような甘えを感じた。私は、これをやればうまくいくとわかっているからやっているのではない。逆だ。死んでもいいと思ってこの生き方をしている。

 

自分が生きている本当の意味を知りたい。自分に与えられた役割があるとしたらそれを全うしたい。自分に嘘をつきたくない。誰かのせいにしたくない。自分に同情をしたくない。嫌なことを嫌々やりながら生きるより、好きなことを思い切りやって死にたい。たとえそれによって角が立つことになるとしても、食えなくなる日が来るとしても、それでも自分であり続けたい。それで死ぬならそれまでのこと。だが、私はまだ生きている。生きていると言うことはまだ役割があると言うことだ。私は、私なりのやり方で自分の人生を追求している。私を卑怯者だと呼ぶお前は、お前なりにお前の人生を追求しているのか。ただないものねだりをつづけているだけで誰かに何かをしてもらうのを待っているだけじゃんじゃないのか。そういうことを言いたくなったが、いや、それだけじゃないなと思って口にするのを止めた。

 

都会の中で、大地とのつながりを取り戻すにはどうすればいいのだろう。 地位や名誉の一切を否定したいとは思わないが、これらは横のつながりだ。横(人間関係)だけではない、縦(天地)とのつながりがなければ存在として脆い。私たちは、自分自身を痛めつけて傷つけて破壊をするような行動や習慣に毒されている。地球にしていることは自分にしていることと同じであり、他者にしていることは自分にしていることと同じだ。相手を傷つける言葉を口にする時、必ず、自分自身を傷つけている。同じ命。私たちは別々の命を生きているのではなく、一つの大きな命を生きているのだと言う深いまなざしが人類愛のようなものを育むものだと思うが、それを感じるためには深いまなざしが必要だ。遠くから見れば綺麗に見えるものも、近づくほどに嫌な部分が目に入る。だが、そこから更にもう一歩近づけば、必ずそこには綺麗なものが映り込む。最近ハーモニカを練習している。誕生日に自分にプレゼントをした。音楽をしていると、たまに同じ命を感じとることがある。すべての美しいものは悲しみを内包している。それは「永遠にはそれを見ていることができない」という悲しみだ。生きることは、遠くを目指すと言うよりはコアを目指す旅なのだと思う。北でも南でも西でも東でもない、コアに向かう旅なのだと思う。

 

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「街角」 詞 Akito Inamura  曲 Keigo Sakatsume

 

公園には、いつもの帽子

ハトとスズメとカラスとネコと

日差しが陰を心に落とす

風の匂いが懐かしい

 

路地裏には、いつものチョッキ

ビニール袋と埃と煙草

雨が世界をここだけにする

土の匂いが懐かしい

 

街角には、いつものドレス

ぼくとわたしときみとあなた

星が涙に滲んで溶ける

花の匂いが懐かしい

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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