いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

嫌なことやって生きるより、やりたいことやって死のうよ。

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大阪から横浜まで急遽とあるブツを運ぶ護送案件の依頼を受け、大阪にいる。与那国では島の別れに遭遇した。春は出会いと別れの季節とも言う。だが、正確には別れと出会いの季節だと思う。別れが先で、出会いはその後。なんだってそうだ。捨てるが先で得るは後。終わりが先ではじまりは後。飛び込むことで開く命がある。

 

おおまかなスケジュール

3月31日(水)大阪〜横浜

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

 

愛と、愛っぽいものは違う。 

昨日大阪で少し時間ができたので、梅田駅界隈で「会える人がいたら会いましょう」とSNSから投稿した。すると、それを見た男性一人と女性一人と会うことになり、最初は男性と合流した。男性は言った。坂爪さんを知ったのはつい先日Kindleunlimitedで著作を拝見し、タイトルが目に止まったから読んでみたら文章に引き込まれた。何に惹かれたのかうまく言葉にできないが生き様とか純粋さとか覚悟とか自分を曝け出す姿とかフットワークの軽さとか、自分が憧れているのはそういう部分だと思う。自分は一年前に会社を辞めていまは人生の夏休み状態にあるのだが、そろそろ何かをしなくちゃいけないと思いながら緊張というか体の強張りから自由になることができない。普段は人見知りをするようなタイプではないのだが、坂爪さんと会えると決まった瞬間から物凄い緊張をしている自分がいる。きっと拒絶される恐怖であったりこう見られたいという思いがあるからだと思う、と。

 

そのタイミングで女性が合流した。何を話していたのですかと問われ、男性が「緊張について話していた。自分は友達といる時でさえ、本当の自分を出せている感覚がない」と言った。その話を聞きながら思った。多分、人間には二種類いる。オープンな人と、ガードをしている人だ。表面的には明るく見える人でも、明るさを装うことでガードをしている。早口も似ている。早口になることで自分をガードしている。元気な人と、元気っぽい人は違う。元気な人と一緒にいるとこちらも元気になるが、元気っぽい人といると疲れる。理由は単純、それが『作り物』だからだ。元気があることは、テンションが高いということではない。逆だ。元気な人は、基本的に自然だ。だからこそ一緒にいて安らぐことができるし、抵抗なく楽しめる。女性は言った。私も、まるで自分の外側に壁を築くような感じでワーッと一気に話すことがある。本当の話をしたいという思いはあるが誰でもいいという訳ではなく、人によっては「お前にそこまで踏み込まれたくない」と思うこともある、と。

 

愛と信頼は似ている。どちらも自由を与える。信頼とは、この人は絶対に自分を裏切らないとか心の全部を見せてくれるはずだという関係性の押し付けではなく、相手に何かあった時も無理やり踏み込まず「話したくなったら話すだろう」と待つ(ただ、一緒に時を共有する)態度だと思う。愛と、愛っぽいものは違う。愛は人間をオープンにさせるが、偽りの愛は人間をガードさせる。誰かに対して「なんで心を開いてくれないの!?」と嘆く時、まさにその態度こそが相手の心を閉ざさせていることは多い。期待される役柄を演じるのではなく、素直な自分を出したいという思いは誰の中にもあるが、誰にでも出せるものではない。決め付けや押し付けなどのジャッジが無い状態で、はじめて人は自分の本当を差し出すことができる。

 

嫌なことやって生きるより、やりたいことやって死のうよ。

どうやら私は男性といる時と女性といる時とで態度が違う。女性は本当によく喋る。そして、喋りながら自分で答えを見つけて勝手にスッキリしていく。それを見ながら「よかったね」と(まるで祖父のように)思う。私の祖父力は高い。だが、祖父力が男性に発揮されることはない。男性といる時は「あんまり自分に捕まるなよ」と思う。昨日も似た感じだった。女性は自分のことを話している時は物凄い生き生きとしている。だが、その途中で男性が自分の話をしはじめると、一応女性は話を聞きはするのだが先ほどまでの輝きはない。そしてまた女性が話す番になると、再び燦然としたキラメキを放ちながら自分の話をする。それを見ながら思った。男は自分に捕まったらダメだ。女に使われているくらいがちょうどいいのだ。 

 

女性は話した。今日は坂爪さんに報告したいことがあります。私も、来月末に晴れて家を捨てて放浪生活に入るのです。ずっと前から「海のある場所で暮らしたい」という思いがあったのですが、ちょうどよいタイミングで住み込みで働けるリゾートホテルを屋久島で見つけて「えいやっ!」と飛び込んだらあっという間に移住が決まりました。実は最近彼氏とも別れてずーんと沈んだりもしていたのですが、これまで付き合ってきた人たちは忙しい人たちが多くて、あ、これは「忙しい人と付き合うことで自分の時間(自由)を確保したがっていた自分がいたんだな。でも、ある程度の自由を自分に与えることで、本当の思いに従って生きることを封じ込めていたんだな」ってことに気付いたのです。本当にやりたいことをやらない言い訳に彼氏を使っていたというか、ああ、これはもう自分には要らない考え方だなと思って捨てることにしました。スマホのアプリを消すみたいに、自分にはもう必要ない考え方はどんどん捨てちゃえばいいのかなっていうのが最近の気持ちです、と。

 

スマホのアプリを消すみたいに、自分にはもう必要ない考え方はどんどん捨てちゃえばいい。素敵な言葉だ。坂爪さんには目標はあるのですが、いつまでこんな生活を続けるつもりですかと聞かれた。目標はない。武道館に降臨するとは最近言い続けているが、最大の目的は音楽をする(生きる)ことだ。武道館に降臨できなければ音楽をやめるとか、そういうのはない。あるわけがない。あったら嘘だ。死ぬまで生きること。生きることが手段であって目的だ。死ぬまで生きたい。いつまでこんな生活の「こんな生活」が何を意味するかは不明だが、瞬間瞬間における自分のやりたいに従って道を選ぶ気持ちは死ぬまで貫きたい。これは態度の問題だ。攻める。生きている限り攻める。自分を守ったり誰かに合わせると(私の場合は)死ぬ。いともたやすく様々なしがらみに飲み込まれがちな私だが、全身を悶えさせて「ふんが〜!」と前に突き出す姿勢を貫きたい。嫌なことをやって生きるより、やりたいことをやって死のうよ。多分、この思いは死ぬまで変わらないのだと思う。 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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