いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

愛することは、賭けること。

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核爆発が起きて世界が滅亡する夢を見た。SF映画のように警報機が鳴り響いた後、機会音が「核戦争、終了」と最終アナウンスを告げた。私は、咄嗟に身近にいた人物を抱き締めて「愛してる、愛してる、愛してる」と繰り返した。少し離れた場所に兄がいた。兄を見ながら「手だけでも(繋ごう)」と思ったが、そう思ったのも束の間、ついに核爆発が起きて木っ端微塵に砕け散るその手前で、夢から覚めた。

 

おおまかなスケジュール

3月21日(日)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

手を繋ごう。片思いでもいいから。

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夢から覚めると「間も無く目的地です」と船上アナウンスが流れていた。那覇から大東島までは15時間かかる。必然、船の中で寝ることになる。夢か。そう思いながらも、見た夢があまりに生々しかったためにメモを残した。意識が吹っ飛ぶ直前に思ったことは「愛してるよ」と「手を繋ごう」だった。ひたすら愛してるよとつぶやきながら愛する人物を抱き締めて、少し先にいる兄に手を繋ごうと願った。普段どれだけ「いつ死んでもいい」などと強がって見せたところで、最後の最後に出た言葉は「死にたくない」だった。本当の本当は「みんなで生きていたい」だった。

 

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南大東島には様々な植物が群生していた。 

 

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冬に咲く秋桜と、向日葵と、鳳仙花。

 

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満点の星空を眺める時、星々の一つ一つは遠く遠く離れていることを思う。私たちは星空などと一括りにしてそれを呼ぶけれど、もしかしたらあの星も「一人だな」と泣いているのかもしれない。だけど、離れて見ればそれは一人きりじゃない。星々の輝きと、それを支える孤独のようなものに思いを馳せてしまった。一人だなと泣いている星々の輝きを綺麗だと言うのなら、私たち人間もこの星を生きる流星群みたいなものだ。いつかはこの星を離れる切なさを抱えながら、誰もが今を生きている。遠いアングルから地球を眺めたら、それは愛しさの塊に見えるのだろう。

 

 

愛することは、賭けること。

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誰かを愛することは、人生を賭けるみたいなところがある。本気で人と人が関わる時、お互いを別人に変える力が宿る。深く関わることを避ける限り、自分も、相手も、同じでいられる。自分は自分のまま、相手は相手のまま、適当な距離感を維持したまま、それなりの間柄を続けることができる。それは、居心地の良い関係かもしれない。ただ、自分の心に正直になってみると、本当は「もっとめちゃめちゃになりたい」と思っていることを知る。自分の理性、自分の客観性、自分の思想、自分の世界観、自分のプライド、そういったものが一回全部溶け出してぐちゃぐちゃに混ぜ合わさるように、自分以外の何かと交合したい。自分が自分でなくなるほど、頭がおかしくなってしまうほど、何かを強く思ってみたい。それくらいに熱中できるものと出会えたことは、それほど本気になれるものと出会えたことは、たとえ傷ついたとしても幸せと言えるのではないか。傷つくことを恐れて生きた人生より、思い切り愛して傷つくことの方が、確かな命を生きたと言えるのではないか。

 

愛の別名は、破綻だと思う。当たり前だが、破綻は嫌だ。平和で穏やかな日々が続けばいいと願う。だが、平和で穏やかな日々に寄りかかるあまり、自分を変えていけなくなる。新しい世界に踏み出す勇気を、新しい自分に変わっていく勇気を、平和が、穏やかな日々が、ゆるやかに奪う。何をする時も「破綻をしないためにどうすればいいか」という思考になる。だが、破綻しないように自分を守るのではなく、破綻したとしても構わないと思わせる力が『愛』だと思う。この点において、愛は、本当に恐ろしいものだ。愛は、一切の制限を取り払う。そのことの自由さと、そのことの恐ろしさ。ただ、一つだけ言えることがある。破綻は愛のゴールではない。愛のスタートが破綻なだけであり、破綻の先に浮かび上がる『何か』がある。その『何か』こそが、自分を次のステージに導き、新しい自分に出会わせる。

 

歌も、踊りも、悲しいときに生まれる。楽しいときに生まれる。苦しいときも、嬉しいときも、一人のときも、誰かといるときも、喧騒の中で、静けさの中で、歌は、踊りは、湧き上がる。これは愛も同じだと思う。あらゆる感情の中に愛はあり、歌や、踊りを通じて、それらは空間にリリースされる。歌うと、わかる。踊ると、わかる。私たちは、ただ、愛したいだけなのだということがわかる。傷つきたくないとか、嫌われたくないとか、そういう思いは二の次で、一番純粋な部分は「ただ、愛したい」と叫んでいることがわかる。それがうまく伝わることもあれば、全然うまく伝わらないこともある。ただ、確実に残るものがある。それは「自分は、愛した」という手応えだ。手応えだけは、確実に残る。それは、傷という形で残るかもしれない。涙という形で残るかもしれない。恥ずかしさという形で残るかもしれないし、不甲斐なさという形で残るかもしれない。それでも、傷つくことを恐れて何もしないことよりは、ずっと、いい。誰かを愛して傷つくことは、誰一人愛さないことよりも、ずっと、いい。愛することを許された時、私たちは自由になる。愛に制限はない。自分に制限をかけているのは、ただ、自分だけだということ。誰もいない場所で何度も何度も何度も歌った。歌っているとわかることが二つある。一つは喜怒哀楽の全部は生きているものだけの特権であり、真っ直ぐに表現することが喜びになるということ。そして、もう一つは「いつの日か歌うことさえもできなくなる日が来る」ということ。傷つくことを恐れていては、本当の意味で人を愛せない。愛さないことよりも、思い切り愛して傷つく方が、ずっと、いい。

 

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「ハイリスク・ノーリターン」 詞曲 Keigo Sakatsume

 

エス 野良猫みたいに 夜の街を駆け出した

エス 掃き溜めで光る これが 本当の俺だ

 

拗ねず驕らず諦めず まっすぐなまま生きていく

さようならのど真ん中を めがけて 突き抜ける

 

エス 恋に落ちたなら どん底でもしあわせで

エス 故郷に帰るなら 別に死ぬのも悪かねえ

 

きっと 何度も何度でも 俺たちまだ笑えるぜ

この世ランドは片道切符 さあ 出かけようぜ

 

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

 

エス 愛でたい夜には 強い肯定の美酒を

エス 消えたい夜には 俺を俺を俺を見ろ

 

明日死ぬかも知れないし 今日の全部を出さなきゃな

天国なら ここにあった ほら 楽しもうぜ

 

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

 

世界が俺を叩いても 絶対負けねえからなって

ノーを叫ぶその姿に でかいイエスを見たのだ

 

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

 

男の人生はつまり ハイリスク ノーリターン

女の人生もつまり ハイリスク ノーリターン

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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