いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人生とは、自分を楽しませることである。

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表参道駅前のドトールにいる。昨日、壇珠さんとのトークイベントで「自分も文章を書きたいのだが、書いているうちに何が言いたいのかわからなくなったり、ひとにどう思われるかが気になって書けなくなることがある。坂爪さんは、どうやって書いているのですか?」と問われた。私は、自分を楽しませるために書いている。お客様満足なんて言葉もあるが、世界でいちばんのお客様は自分だと思う。書きながら、自分が楽しくなれる文章を書けているとき、それは『よい文章』だと思う。

 

 

おおまかなスケジュール

【現在開催中】 Agape 坂爪圭吾の「与える喜びを与える喜びツアー(仮)」
【現在開催中】 Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

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すべての企画で参加者募集中です🌸🌸🌸

SCHEDULE on 
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おとなは、みんな、機械になっちまった。

壇珠さんが好きだ。まず、声が綺麗だ。心が綺麗じゃないと出ない声だ。言葉が鋭い。鋭いと言うか「本当の響き」を感じる。実感を伴った言葉だけを話すから、空っぽじゃない。ぎゅうぎゅうだ。血が通っているし、温度がある。温度がある。これは重要なことだ。もっともらしいことを言っているようで、冷たい言葉は多い。こどもの声は、温度がある。おとなになるほど、温度は薄れ、機械音のようなノイズになる。機械音は、周囲の体温も奪うから危険だ。機械音は「なにもできないお前には価値はない」的な周波を発する。それに対し、自然音は「命そのものに価値がある」的な周波を発する。本当の響きは、それに触れた人間の体温をあげる。

 

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「ねえ」作詞・作曲 Keigo Sakatsume

俺のこどもたちが おとなになる頃に
君のこころまでも おいていかないように

美しいままでは 生きられないからね
涙が出るくらい きれいになりたいね

ここで死ぬなら それまでのことだよね
まだ生きている そのことがこたえだね

ねえ 寂しくて 悲しくて 嬉しくて 楽しくて
積み重ね 生きてるねえ 愛を求め

君は悲しいほど 優しいひとなんだね
俺は何も言わない 冷たいひとなんだね

でもいつまでも 見ているよ 君のこと
ただいつまでも 見ているよ 君のこと

ねえ 嗚咽して苦悶して 武者震いとかもして
身を売って 生きてるねえ 銭を求め

死んでしまうことに 安らぎを求めて
生きることのなかに 手応えを求めて

そういうことのすべてがね おかしくて
そういうことのすべてがね いとしくて

ねえ 情けもねえ不甲斐もねえ 勇気も金も自信も才能もねえ
それでもねえ 生きてるねえ 命よ 暴れまわれ

なにひとつ諦めず 欲しいもの取りに行け
安パイは 投げ捨てて 危ない橋を渡れ

血を晒せ肉を斬れ 骨を断ちハイになれ
このままじゃ 終わらんねえ 愛を求め

 

なにもかも失ったとき、それでも残るものに興味がある。逆に言えば、そのひとの外側に張り付いているもの、職業、肩書き、人脈、収入、資格、社交辞令などの一切に、興味をもてない。なにもかもを取っ払った後に残る『あなた』に興味があるのであって、それ以外は捨ててください。ひとと話しているとき、そんなことを思う。人間である以前の『動物』として、話ができたら愉しいと思う。自分を取り繕うことは、社会的な常識なのだろう。だが、取り繕うとは、乱暴だが「嘘をついている」ことと同じだ。嘘をつくな。私が、ひとに対して思うことはそれだ。逆に言えば、本心を聞けば聞くほど「ああ、人間と話しているなあ」という充足を得る。

 

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「ジュピター」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

強くもないし 優しくもない
ただ命の限り 踊っていたい
清くもないし 正しくもない
でもいのちの 限り生きたい

本気じゃないなら もう いらないし
たのしくないなら もう やらないし

僕にないものが君にあって
君にないものが僕にあって
必要とすることならできる
確かめ合うおなじ命がある

本気じゃないなら もう いかないし
うれしくないなら もう やらないし

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

誰のものでもない君がいて
誰のものでもない僕がいて
誰のものでもないこの星で
ふたりだけの時間を刻もう

本気じゃないなら もう いわないし
さみしくないなら もう やらないし

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

本気じゃないなら もう いらないし
だれともなにとも もう くらべない

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

 

おとなは、みんな、機械になっちまった。機械というのは、みんなと同じように考えて、みんなと同じように話すこと。それは「なにも考えないし、なにも話さないし、なにもできなくなる」ということだ。できることならば、あなたには、そうならないでほしい。そんなことを勝手に願いながら、私は、人間と話す。生きるのが下手だとか、不器用だとか、悪く言われることは多い。しかし、それは「不器用に生きることで、純粋な部分を守り続けている」のだと思う。純粋であることは、器用に生きることよりも、ずっと素晴らしいことだ。だから、生き辛さを悩むことがあっても、大事なものを明け渡さないで、そのままで生きていてくださいと思う。

 

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「あふれちゃん」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

伝えられなかった 思いは 何処に 行くんだ
言わずに終わるか 言って終わるのは どうだ

俺を叩けば 罪が まるでホコリみたいに
晴れた日に 舞い上がれ きらきら 光れ

悲しみ 深いほど 慰めも 深く 深く
闇が 強いほど 光もまた 強く 強く

ただ あふれる あふれる

使い込まれた 命 だから 味が出るのだ
愛ならば ある 見捨てられることはない

矛盾のなかに 俺は ど真ん中を見る
涙 流しながら 笑う 黙って 騒ぐ

胸が 苦しいほど よろこびも 深く 深く
寂しさ 抱くほど ぬくもりも 強く 強く

ただ あふれる あふれる

悲しみ 深いほど 慰めも 深く 深く
闇が 強いほど 光もまた 強く 強く

胸が 苦しいほど よろこびも 深く 深く
寂しさ 抱くほど ぬくもりも 強く 強く

ただ あふれる あふれる

 

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わたり文庫『ムーミン谷の名言集』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、トーベ・ヤンソン著作『ムーミン谷の名言集』です。久しぶりの再開です。私は、実は、絵本だけ読んでいれば大事なことの9割は補うことができるのではないか、という偏った思想の持ち主です。かたっ苦しい本も大量にありますが、絵本のなかに、童話のなかに、小さな頃から慣れ親しんだもののなかに、大事なことのほとんどは書かれている。私たちは、無知なのではなく、無為なだけだ。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、愛媛県にわたりました ※※※

 

だれも心配しすぎないって、よいことでした。ムーミンたちは、ほかの人のために、やたらと心配しないでいようと、決めていました。つまり、そのほうが、心配をかけたと思って良心を痛めなくても、すみます。それに、ありったけの自由をあたえあっていることにもなるのです。

 

「なんだって、できるわ。だけど、なにもやらないでいましょ。あぁ、なんだってできるって、なんてステキなことなの!」

 

「死んだら、死んだのよ」

トゥーティッキが、やさしくさとしました。

「このリスは、そのうち、土にかえるでしょ。やがて、その土から木がのびて、その木の上で新しいリスたちがはねまわるわ。それが、そんなに、悲しいことだって思う?」

 

「歌をうたい、りんごを食べ、朝寝坊を好きなだけできる自由!それこそが、人生の醍醐味というものなのさ。それと、『これは重要事項だから後回しにはできません。すぐにやるのですよ』なんて、せっつく人がいないこと。そんな人は、勝手に、好きなように、させておくのさ!」

 

「物は、自分の物にしたくなったとたんに、あらゆる面倒が、ふりかかってくるものさ。運んだり番をしたり・・・。ぼくは、なんであろうと、見るだけにしている。立ち去る時には、全部、この頭にしまっていくんだ。そのほうが、かばんを、うんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからねぇ・・・」

 

「ねえムーミン、友だちが、いちばん好きなことをしながら生きていけるようになるって、すてきなことじゃない?」

 

霧の夜明けでした。みんなは、庭へ駆け出していきました。八月の、ステキな一日を約束するように、東の空に、バラ色の光がさしはじめていました。

朝日がのぼるのです。新しい門が、開かれます。すばらしい可能性への、扉です。なんだって、やってのけられる新しい一日が、待ってくれています。そう、きみたち、ひとりひとりが、気づきさえしたら!

 

トーベ・ヤンソンムーミン谷の名言集』【講談社文庫】

 

人生とは、自分を楽しませることである。

洗脳という言葉は強いけど、私たちは「なにもしていない自分には価値がない」という洗脳を受けてしまっている(と思う)。私は責任感のあるツッコミ担当なので、職務をまっとうしたい。違うだろう、と。そんなはずが、あるわけないだろう。大前提として「生きているだけでいい」のであり、それ以外は完全におまけだ。我々は、地球というテーマパークに生まれてきて、閉園の時間(要するに死ぬ瞬間)まで、好きな乗り物に乗ればいい。疲れたときは、アイスを食べながら休めばいい。そして「アイスクリームがある、この世界、最高!」と思えばいいのだ。

 

なにもかもを失った時、それでも残るもの。それは『自分』だ。自分の心だ。自分とは、愛し愛された記憶であり、なにかを好きだと感じる気持ちだ。なにかをやりたいと感じる気持ち。なにかを痛いと感じる気持ち。肉体。温度。生きた記憶。光のかけら。それが残る。否、もっと言えば、最後には自分さえも消える。自分が消えたあと、それでも残るものがある。それは「大丈夫だ」というおおいなる声だ。最後の最後、自分が消えて、地球が消えて、宇宙が最後の瞬間を迎えたときに、残るものは「大丈夫だ」というおおいなる声だ。感じてみよう。心配することをやめて、想像してみよう。すべてが終焉を迎える瞬間に、かなたから届く「大丈夫だ」という声を。とかなんとか言っちゃうと、あやしい匂いがぷんぷんするとは思うけれど、私は、割と本気でこの声を感じている。私たちは、永遠に、大丈夫なのだ。

 

人生とは、自分を楽しませることである。無論、そんな気分にならないこともある。しかし、実際、そうなのだ。自分を楽しませること以上に、自分のご機嫌を守ること以上に、自分を信じる道はないのである。なにかをやる。なにかをやりながら「自分は間違っていないだろうか」などと、自分を疑うことがある。指標は、きっと、シンプルなものだ。それをやっている瞬間がどうしようもなく楽しいものならば、それは、正しい。誰かに認められるためでもなく、誰かに褒められるためでもない。自分は、ただ、自分の喜びのために。遊んで、遊んで、遊び倒して、この星を離れる切なさを、言葉に、音楽に乗せるんだよ。私は、今日も、歌う。誰かのためというよりも、自分が自分に言い聞かせるために、自分が自分に聴かせてあげるために、そして「生きて、歌えることのよろこび」を、歌い続けるのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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