踊れない革命はいらない。
名古屋駅前のカフェドクリエにいる。名古屋ドーム前LIVEを終え、心地よい爽快感に包まれている。来てくれたお客様は一名様。この一名様がよかった。何が良かったのかをここに書きたい。私は『清々しさ』とか『潔さ』とか『爽快感』とか、そういった感覚が好きだ。どのような生き方であれ、清々しさを伴ったものでありたい。そう願って生きている。湿ったダンボールみたいな気分になることもあるが、基本は潔く、ストレートに、シンプルで力強く、ロマンチックなものでありたい。
みんなと仲良くする必要はないよ。嫌いなものに合わせる必要もない。凛としていれば、それが魅力になって、みんなの方から近寄ってくる。本当は、みんな一人がこわいんだよ。だから、君が立派に一人でいれば、君の存在が光になる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年9月15日
真理は、人間を自由にする。 - いばや通信 https://t.co/aZOTGixOnV
おおまかなスケジュール
9月19日(木)19時 弾き語りLIVE@大阪ドーム(前)
9月20日(金)13時 弾き語りLIVE@奈良県奈良市「GUEST HOUSE OKU」
9月20日(金)20時 弾き語りLIVE@大阪市鶴見区「Cafe de Lien」
9月21日(土)19時 弾き語りLIVE@福岡市中央区清川「i&i」
9月22日(日)14時 弾き語りLIVE@愛媛県内子町「丘の上の日曜市」
9月23日(月・祝日)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます!)
9月29日(日)15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
9月30日以降、東南アジア巡業編スタート(最初はバンコク)
🌸🌸🌸すべてのイベントで、常時参加者募集中です🌸🌸🌸
問い合わせ先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu
Be いい男(いい女)。
あらゆる恋愛問題系の悩みは「自分が、いい男(女)になればいい」の一言で片付く。あのひととの関係性が、みたいなことをごちゃごちゃ考えはじめると、泥沼にはまる。そんなことよりも、自分にとってのいい男(女)像をイメージして、それに近づこうとする方が早い。相手が離れたなら、それは、端的に「自分に魅力が足りなかったから」だと思う。違うかもしれないが、そう思う方が好きだ。誰かの責任にしたり、自己嫌悪や自己憐憫に浸ることも悪くはないが、それよりも「自分が、いい男(女)になればいい」と考える方が、トータルで清々しいし、爽快だ。
前々から「社会不適合者という言葉もあるが、自殺者が3万人いて鬱病患者が100万人を超える社会に適応したら、頭がおかしくならないほうがおかしい」的なことを思っていた。この考え方はいまでも変わらず、必要なのは適応よりも『開墾』だと思っている。なにか新しいことをやろうとするとき、必ず、周囲の反発を受ける。そんな生き方はありえないとか、そんな生き方は受け入れられないとか、そういうことを言われる。しかし、そう言っている人々は、実際には「やったことがないだけ」だったり「新しい世界に触れることを恐れているだけ」だったりする。だから、気をつけよう。必要なのは、適応よりも開墾だ。世間的な常識に引っ張られることも頻繁にあるが、大事なことは「自分がやりたいことを通じて、自分がやっていることを通じて、いい感じのエネルギーを撒き散らしていくこと」だと思う。
自分が生きたいと思う未来を生きること。そうじゃないと、端的に「生きたいと思う」ことが難しくなる。生きているだけ、死なないでいるだけでは足りない。大事なことは「生きたいと思う」ことだ。未来と呼ばれるものは、ただ単に楽しいだけのものではなくて「ちょっとビビる」ものだ。車が生まれる前は、みんな、車にビビった。そんなものは危ない。馬が一番だ。そんなものに乗るな。馬に乗れ。そういう風に言った人間も絶対にいたと思う。しかし、いまでは、全員が当たり前に車に乗る。スマホも同じだ。昔のひとが見たら「なんじゃこりゃ!」と、腰を抜かすだろう。それらを、誰もが、いま、当たり前に操作している。未来とは「ちょっとビビる」ものだ。ビビるからこそ、面白いのだ。だからこそ、自分が恐れていることをやるのがいいのだと思う。自分が「ちょっとこれはまずいだろ」と思う方向に、突っ込む。前のめりになって、突っ込む。自分が楽しいと思う未来に、突っ込む。その繰り返しが、自分が生きたいと思う世界の実現に、貢献するのだと思う。
踊れない革命はいらない。
音楽は問題を解決しない。しかし「問題を抱えたまま踊らせてくれる」ものだ。だから、私は音楽が好きだ。ふとした瞬間にニュースを目にする。政治がダメだとか、福祉がダメだとか、文句ばかりを並べた発言は多い。これらは正論かもしれない。しかし、正論はつまらない。私は、革命という言葉が好きだ。面白い世の中になればいいと思う。だが、踊れない革命はいらない。正しさが起こす革命は、退屈だ。正しさよりも楽しさだ。誰かに対する憎しみや、誰かに対する怒りではなく、生きていることの『歓喜』で起こる革命に、関与したい。金がないから幸せになれない。仕事がないから幸せになれない。恋人がいないから幸せになれない。環境が悪いから幸せになれない。これらは、全部、嘘だと思う。その気がないから、幸せになれないだけだ。幸せになら、1秒でなれる。ただ、その気になればいいのだ。
真理は大きな声で叫ばない。だが、常に囁いている。真理は「人間を自由にする」ものだと思う。音楽も同じだ。文章も同じだ。良い音楽には、良い文章には、人間を自由にする力がある。心に蓄積していた『何か』を解き放ち、それに触れた人間を自由にする。私は、自由を感じさせるものが好きだ。それは、北風と太陽の『太陽』に似ている。ねばならないという強制的な力ではなく、思わず「そうしたくなってしまった」という、自然発生的な人間性の発露を愛する。踊れと言われて踊るのではなく、思わず踊り出したくなってしまうような、そういう雰囲気を愛する。そこに関与したいと思う。だが、油断をしていると、自分も北風みたいなことをやってしまう。正しさを武器に、常識を武器に、都合の悪い人間を排除したり、自分の正当性を主張してしまうことがある。気をつけたい。屈辱をバネにするのではなく、復讐を力にするのでもなく、自分は、あくまでも『歓喜』で飛翔をしていきたいと思う。そのことを忘れたくないと思う。忘れたくないと思うことを、この場を借りて文章にしたり、歌にする。忘れないために。いつでも、思い出せるように。
いろいろなひとが、いろいろなことを言う。だが、私は「どう転んだとしても、大丈夫だ」と思う。そして、実は、誰もがそのことを知っているのだと思う。傷ついても、嫌われても、ひとりきりになったとしても、自分(あなた)は、自分(あなた)が大丈夫なことを知っている。自分には力があることを知っていて、自分は、自分が「幸せになる」と決めただけ、幸せになれることを知っている。大好きなあのひとは、自分を幸せにすることはできない。大嫌いなあのひとは、自分を不幸にすることはできない。自分を幸せにするのも、自分を不幸にするのも、すべては自分なのだと言うことを、誰もが知っているのだと思う。私たちは無知なのではない。ただ「無為」なだけだ。私たちには、幸せになる自由もあれば、不幸になる自由もある。成功する自由もあれば、失敗する自由もある。きっと、全部、自分(あなた)が決めている。忘れてしまうことを、いつでも思い出すことができるように、これからも書き続けていきたいと思う。そして、歌い続けていきたいと思う。
誰かのためとか言い始めたら1アウト。「こんなに頑張っているのに」とか思ったら2アウト。やりたいからやっていますと言えなくなったら3アウト。チェンジ。生き方を変える合図だ。誰かの期待に応えるために、自分は生きている訳じゃない。すべての人類に望む。あなたはあなたのために生きるように。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年9月23日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu