君を好きになることは、自分を好きになることだった。
新横浜駅前のドトールにいる。楽曲を作る。出来上がりの段階では「これはいいかも!」と思っても、録音後、聞き直すと「ゴミクズじゃないか」と愕然とする。駄作にもほどがある。消したくなるし、消えたくなる。しかし、そこをグッとこらえて公開&更新を続ける。私は、小中学校野球部だった。一本のヒットは、十本の空振りに支えられている。思い出せ。けいご。空振りも必要なのだ。空振りあってこそのホームランなのだ。ホームランを打ちたいのならば、打席に立つことをあきらめてはいけない。恥をかくことを、周囲にバカにされることを恐れてはいけない。
なにかしなきゃとか思わなくていいよ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年7月24日
なんにも属さないでいいよ。こうでなくちゃいけないことはなにひとつないよ。何者かになれないことが苦しいんじゃなくて、何者かになりたいと思うことが苦しいんだよ。全部、それでいいよ。
生きててもいいよ。 - いばや通信 https://t.co/1qWBaSMI7G
おおまかなスケジュール
7月30日以降、FREE!【呼ばれた場所に行きます】
8月24日&25日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
8月30日 EVENT@東京都恵比寿界隈(詳細は決まり次第更新します)
SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu
国語。算数。理科。革命。
喰えないバンドでおなじみ、我々Agapeも念願の公園デビューを果たした。公園は良い。自由で、無料だ。とにかく場数を重ねたい。ライブの数だけ強くなる。「ギリギリ怒られよう」と思って代々木公園に突撃したが、代々木公園は広く、誰にもなにも言われなかった。最初、原宿駅の激混み具合に辟易し、俺はもう生きていけないと一回生きることを諦めかけたが、緑に囲まれて「やっぱりこれだよねー」と復活した。巨木を見ると登りたくなる。木登りは健康によい。人間に突然抱きつくと犯罪になるが、巨木に抱きつくと安定剤になる。バガボンドを読み過ぎたため、巨木を見るたびに「父ちゃん」と吐息を漏らし、抱擁する傾向が自分にはある。
バカでも優しい方がいい。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年7月29日
念願の公園デビューを果たしました!謝謝!普通なら音楽をやめる年齢で音楽活動を始めた我々、防弾少年団に対抗しない形で『丸腰中年団』のテーマソングを作りました。失うものなどなにもない。丸腰で行くぜ。
よかったら聞いてください!
🌸🌸🌸丸腰中年団のテーマ🌸🌸🌸 pic.twitter.com/DOGlb2tOh8
場数を重ねたいとか言いながら、ライブ出演のお誘いを断ってしまった。主催者側から「出させてやってもいいよ」的な、上から目線を感じたからだ。媚びない。これは、私が私と交わした約束である。媚びた瞬間に死ぬ。頭をさげたくないときには、頭をさげない。そうすることで、本当に頭をさげたいひとと出会ったときに『真の意味で』頭をさげることができる。あとから「やっぱりちょっともったいなかったかな」とか思うが、否、微妙なものを拒否することで、より良いものが舞い込んでくるのが人生である。つまらないものを握りしめてしまうと、入ってくるものも入ってこない。ミラクルは余白に舞い込むのである。つまらないもので、余白を埋めてしまってはいけない(と言いながら、自分を慰めているがここに書く程度には色々思うところがある。テレビ出演も書籍出版も、同じ理由で断っている)。
バカでも楽しい方がいい。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年7月29日
案の定、音楽活動を始めてから罵詈雑言のシャワーを浴びまして、しっかりと傷つく日々を過ごしました。捨て台詞を残して去るフォロワーの方々が後を絶たず、止むに止まれず生まれた魂の叫びを、歌にしました。
よかったら聞いてください!
🌸🌸🌸さよならフォロワー🌸🌸🌸 pic.twitter.com/TP8r0EP87g
高校時代、新潟中央高校に通う一歳年下の女子(名前は「しょうこちゃん」)から、ある日突然「新潟の桜が、どうして美しいかわかりますか?」と問われた。高気圧系女子で、年下なのに生意気な女子だった。私は、わからないから「わからない」と答えた。すると、彼女は「遅咲きだからですよ」と言った。ドヤ顔だった。それは別に関係ないんじゃないか(というか、お前は新潟の桜以外を見たことがないだろう)などと一瞬思ったものの、なるほど、と思ったのも事実である。新潟の桜が美しいのは、遅咲きだからですよ。いい言葉じゃないか。我々、丸腰中年団は全員新潟生まれである。冬の日照時間が極めて少ない地域で育った我々は、いつ、開花の時期を迎えることができるのだろうか。一ヶ月後だろうか。一年後だろうか。死後だろうか。できることならば、それが美しいものであればいいと思う。
わたり文庫『家日和』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、奥田英朗著作『家日和』です。私は奥田英朗さんが好きです。読んでいると和みます。読書にはリラックス効果があると聞きました。私は読書が好きです。しかし、当たり前のことですが「面白い本を読む」ことが好きなのであって、読んでいて面白くない本を読むことは嫌いです。時に、それを誤解して、たまたま自分が読んでいる本がつまらなかっただけなのに、俺は読書があまり好きではないのかもしれない、読書は暇人の娯楽に過ぎない、みたいな勘違いをしてしまうことがあります。この勘違いは、非常に、もったいない。是非、この本を通じて「読書の楽しさ」を思い出してください(って、俺は一体誰に言っているのだろう)。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※
君を好きになることは、自分を好きになることだった。
素晴らしい時代だ。古本は百円程度で手に入るし、電子書籍も無料で読める。街中にワイファイが飛び交い、冷暖房完備、YOUTUBEで無料で音楽や動画を楽しめる。社会福祉も充実し、生活保護も各種NPOの活動もあり、飢え死にすることは(多分)ない。音楽活動をやりたい!となれば、すべてiPhone一台でやりくりできている。執筆も、録音も、撮影も、これ一台だ。豊かな時代である。だが、なぜ、幸せそうに生きているひとは少ないのだろう。なぜ、豊かな社会で過労死をしたり、なぜ、将来の不安に押し潰されそうになったり、なぜ、多くの人々は疲れた表情を浮かべ、なぜ、自殺者や精神病患者が減るどころか増える一方なのだろうか。
これは、端的に「希望がない」からだと思う。私だったら、路上で野垂れ死にそうになっても、生活保護は受けないと思う。福祉施設に駆け込むことより、死を受け入れること、要するに諦めることを選びそうだ。大事なことは、生きることより『生きたいと思う』ことだと思う。衣食住があっても、希望がなければ、絶望に取り囲まれれば、人間は生きることが難しくなる。生きるためにしなければならないことに囲まれたとき、なぜ、こうまでして生きなければいけないのかという重荷に耐えきれなくなり、なにかが切れる。そして、爆発したり、朝、目覚められなくなる。生きることが苦行になり、生まれたことが罰ゲームになる。それを打開するものが『希望』だと思う。生まれてきてよかった。生きててよかった。そう思える瞬間だと思う。生きるために必要なことと、生きたいと思うために必要なものがある。前者は「金」とか「仕事」になるのだろう。そして、後者は、乱暴な言葉でまとめれば「恋」だと思う。恋とは、なにかを好きになることだ。なにかを好きになり、それがある世界を「まだまだ捨てたものではない」と思わせてくれるものだ。
誤解を恐れずに言うと、私は、後者だけで生きていく実験をしているように感じる。生きるために必要とされているもの、金とか、家とか、仕事とか、資格とか、安定した収入とか、具体的な将来設計とか、そういうものが、自分にはない(あるっちゃあるけど、ないっちゃない)。金がなければ生きていけない。定期的な収入がなければ生きていけない。そう言う言葉を、これまで、たくさん言われた。私は、ただ、ピンとこないという理由で、それらを弾き返してきた。生きるために必要なことと、生きたいと思うために必要なこと。これを、できる限り、イコールにさせたかった。私の場合、生きたいと思うために必要なものは「恋」だ。それは、なにかを好きになるということだ。なにかを好きになるとき、それがある世界を「生きていきたい」と思う力になる。それは、北風と太陽の童話で言うところの、太陽的な力だ。生きなければいけない、ではない。我々には、等しく、自殺をする自由がある。それでもなお「生きたい」「生きていきたい」と思うのは、好きなものがあるからだ。好きなひとがいるからだ。なにかを好きになることは、誰かを好きになることは、そのまま、世界を好きになることだ。自分を好きになることだ。
本当に大事なことは、先延ばしにしないで、いまやらなくちゃいけない。何かを変えたいと思うなら、まず、自分から変わっていくことだ。自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる。嫌われてもいいから、失敗してもいいからやる。延命措置みたいな日々にお別れを告げて、いま、歩き出すことだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年12月8日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu