本当の生き方をすれば、本当の人間に出会える。
静岡県熱海市のデニーズにいる。一応、いま、熱海と横浜で「誰でも自由に使える家」的な活動(?)をやっている。駆け込み寺のように使われることも多く、布団が足りなくなったり、精神的に「無理!」となったとき、私は、野宿をしたり漫画喫茶に行ったり東横インに泊まったりする(無論自腹)。夜の街を歩きながら、ああ、何処かに「誰でも自由に使える家」はないかなあと思いを馳せる、この、矛盾。矛盾と言うか、ギャグみたいだ。一体、私はなにをやっているのだろうか。
誰かのためとか言ってないで、自分のために生きること。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年6月17日
誰かの期待に応えるのではなく、自分の期待に応えること。まずは自分を救うこと。自分が自分を救うとき、その副産物として、勝手に周囲の人々も照らす光を帯びるのだと思う。
ギリギリ怒られよう。 - いばや通信 https://t.co/UrhULsAwPa
おおまかなスケジュール
6月21日以降、FREE!【東京でイベントをやりたい!】
6月30日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」7月2日 15時頃 バンコク・ドンムアン空港到着以降、FREE!
(ギターを預けるよりも現地で買った方が安いかもしれないと思い、手ぶらで行くことになりました。誰か、バンコク界隈で「ギター余ってるよ!」的な方がいたら、お願いがあります。そのギター、あたしに売ってください)
SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu
家主はつらいよ。
精神的に追い詰められ、一旦、熱海の逢初庵を閉めた。ようやく落ち着きを取り戻した私は、再び、この家を開放することに決めた。これまでは「家の鍵は空いているので誰でもいつでも使ってください」スタイルだったが、これからは「使いたい人は事前に連絡をいただけたら助かります」スタイルに変える。なぜか。開放し過ぎたあまり、粗雑に使われていろいろ壊れるという憂き目を見たからだ。多くの場合、利用者の方々はこの家を大切に使ってくれる。掃除をしてくださる方や、光熱費を能動的に支払ってくださる方もいる。しかし、99人の善意も、1人の悪意で簡単に木っ端微塵になる。そのことを、実感した出来事があったのだ。これは非常にいたたまれない。自分が大事にしているものが、粗雑に扱われる瞬間はつらい。
熱海の家。利用料金はかからない。何泊滞在しても無料。布団は二組ある。冷蔵庫にあるものも、押入れにあるものも、この家にあるものは全部無料で使っていい。玄関には財布も掲げてある。みんなの財布だ。出すのも自由。入れるのも自由。好きにして欲しい。家の名前は逢初庵(あいぞめあん)。活動開始時に「はじめてそれを見たときのような、新鮮な気持ちで生きることができたなら」という思いを込めた。この家は、譲り受けたものになる。だから、自分一人で使うことは違うと思った。横浜の家も同じだ。自分の家であって、自分の家ではない。使わせて『いただいている』ものだ。この『いただいている』という感覚が薄れた時、邪気にまみれる。当たり前なんてない。時折、利用者の一部に「ここは自由なんでしょ!じゃあ、なにをしてもいいってことだよね!」的なノリで、アホみたいに騒ぐ人間がいる。私は、そういう連中をこらしめる。ここはそういう場所じゃないんだよ。と。
イメージは神社や教会に近い。私は、ルールが嫌いだ。だから部屋中に張り紙をしたり、ルールブックを作るとかを絶対にしたくない。ルールで縛られている間は本当じゃない。神社感、教会感を目指したい。神社や教会にルールブックなんてない。だが、空気感を通じて「ここは騒ぐ場所じゃない。見定める場所なんだよ」的な雰囲気を醸し出す。来訪者の方々は、一様に「なんだか来る前はすごい緊張しました」と言う。緊張させちゃって悪かったなあ、と思う反面「それは正常な反応だ」と思う。緊張感のない人間が、アホみたいに騒ぐのである。と、こんなことを書くと余計近寄りがたくなるとは思いますが、熱海、横浜、門戸は常に開かれています。もしも「そんな逢初庵(あるいはGOCHAMAZE no IE)を見てみたい!泊まりたい!」と思われた方がいたら、事前にご連絡をいただけましたら助かります。
わたり文庫『自分を信じて生きる』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、松木正著作『自分を信じて生きる』です。こちらの本は、埼玉県在住の女性が「坂爪さんに読んでもらえたらうれしいです!」と、わざわざ御郵送をしていただいた一冊になります。自分を信じる。大事なことだ。自信を保つためには、多分、ふたつ必要になる。自分が自分を信じること。苦難を乗り越える体験などを通じて、自分自身に対する信頼を取り戻すこと。そして、もうひとつは「自分以上に、誰かに自分を信じてもらうこと」。この、二種類の自信が必要だと思う。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※
アンクル・ロイがぼくを見てこう言った。
「タダシ、判断を急ぎすぎてはいけない。何が起きているのか、よーく見るんだ。そうすると、いつしか頭ではなくハートが『よし!』と判断をくだすときが来る。それを覚悟というんだ」
この言葉は、強烈に心に響いた。
松木正『自分を信じて生きる』【小学館】
本当の生き方をすれば、本当の人間に出会える。
ブログを書くたびに批判され、音楽を更新するたびに罵倒される。なにかするたびに一々傷つくのは、調練の不足か。会う人に「坂爪さんは自由だから、何を言われても平気ですよね!」などと言われるが、違う。私は、一々、傷ついている。傷つきながら、いまの生き方をやめることができない。何か言われると「今に見てろよコンチクショー!」みたいな気持ちになる。怒りや、復讐を、ガソリンにして高速道路をぶっ飛ばしたくなる。が、怒りや、復讐は、一時的なものに留めたい。自分の純粋な思いを、怒りや、復讐などの感情で濁らされてたまるか。私は、あくまでも『喜び』をベースに、言葉を綴ったり、音楽を作ったりしたい。言葉の素晴らしさ、音楽の素晴らしさを忘れたくない。そうでなければ、怒りをベースにビーガンを推奨する人々や、怒りをベースに猫カフェを営業する人々や、怒りをベースに政治批判を続ける人々と、似た雰囲気を帯びてしまう(口が悪くてごめんなさい)。
悔しさでは戦わないと決めた。無論、生きていれば悔しくなることはある。いまにみておれと思う。しかし、大前提は『喜び』のために、生きていたいのだ。自分が愛するものを、自分を正当化するために使いたくない。油断をしていると、競争の世界で苦悶する。誰かよりも優れることが、自分の価値であるかのような錯覚をする。が、多分、その先に幸福はない。あるのは、摩耗する日々、絶えざる欲求不満の日々だ。本来、比べられるはずのないものを、比べる世界に摩耗は絶えない。幸福とは一体感であり、不幸とは分離感だと思う。「俺が、俺が」となるほど、案外、不幸になる。音楽をやっていると思う。人間、同じ人間だと思う。多くの人々は夕日を美しいと思うし、走ると疲れるし、愛するひとを失えば苦しくなるし、煩悩や矛盾や軋轢を抱えているし、さみしさを覚えることも、消えてなくなりたくなることもある。多様性が叫ばれるが、私は、人間のど真ん中を射抜きたいと思う。
さみしいな、と思うことがある。同時に「本当の生き方をしていたら、本当の人間に出会える」ような気もする。では、本当とは、なんだろう。わからない。ただ、誠実であること、とは、思う。それは世間的なルールに誠実であるということより、自分が思う『美しさ』に対して、誠実であることだと思う。自分が感じる誠実さに、我が身を賭して投げ出すこと。美しささえ、流れていく。それは安定せず、形を変えたり、美しさそのものを更新したりする。その流れに翻弄されながらも、必死に、必死に、懸命に食らいつくこと。追い求めること。それが、誠実さだと思う。誠実という漢字を眺めてみる。言葉が成って、実る。いい言葉だ。まだまだ自分は未熟者で、芯はぶれる。しかし、ぶれながら、ぶれながら、自分の芯を見定める。ぶれることで、芯の存在に気づくのだ。誠実であること。誠実であることのなかで、傷ついたり、これは本物だ!などと思ったりしながら、人間のど真ん中を見定めたい。言葉が成って、実る。自分の言葉に、嘘のない生き方をしたいと思う。
幸せになるには、不幸もしっかりと生きなくちゃいけない。ポジティブ信仰なんて嘘だよ。なんでポジティブにならなきゃいけないんだよ。ポジティブだけなんて疲れるし、ポジティブだけなら半分だよ。両極をしっかり生きるんだよ。両極をしっかり生きたひとが、人類の、世界のど真ん中を射抜けるんだよ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年2月19日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu