純粋なまま、汚れて行こう。
新横浜駅前のドトールにいる。あまりにも「ドトールにいる」と書き続けたため、宮城県在住のN様から「これを使ってください」と、ドトールカードが郵送で贈られてきた。宮城県に足を向けて眠ることができない。が、西にも、東にも、南にもお世話になっている人々が大量にいるため、もう、直立不動で眠るしかない。これは、眠るな、ということである。私は、極端な言葉、極端な行動が、好きだ。「真の男は、死んでから眠るもの思うとります」という、有名なセリフを思い出した。
世の中の正義に従うのではなく、自分の正義に従ってほしい。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年5月28日
自分が正義になるくらいの気骨をもって、バカにされても、迫害されても、お前なんかいなくなればいいと言われても、負けないでほしい。そういう人間が、必要なんだと思う。
恥の数だけ、強くなる。 - いばや通信 https://t.co/AH7upmybju
おおまかなスケジュール
6月3日以降、FREE!@新潟市【青山海岸で寝泊まりの予定】
6月6日以降、FREE!@関西全域【宿も予定もございません】
6月9日 EVENT 音楽×トーク@大阪市北新地「Candy」
6月12日以降、経済的に許された場合に限り、欧州武者修行(仮)
6月30日 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu
正しいけれど、つまらない。
先日、オーガニック料理をご馳走になった。内装は綺麗で、料理のこだわりもすごい。はたから見れば最高なのかもしれないが、私は、もう、こんなことを書いてしまって本当にごめんなさいだけど「正しいけれど、つまらない」と思ってしまった。なにか、こう、食べた気にならないのだ。無農薬。正しい。消化にやさしい。正しい。丁寧に生きる。正しい。正しい。正しい。正しいのだけれど、乱暴にまとめると「こんな人生は嫌だ」と思った。カラダにいいからと、豆ばかりを食べるような人生は、ごめんだ。正しいけれど、つまらない。そう思う瞬間は、結構ある。
なんで、みんな、いいことしか言わないのだろう。なんで、みんな、自分のダメな部分を出さないのだろう。誤解を恐れながら言うと、「ココロとカラダにやさしい」みたいなことを銘打つひとほど、覇気がない印象を覚える。覇気がないことは、悪いことではない。ただ、覇気がないくせに「覇気があるように見せかける」ことは、違うと思う。あなたは、ひとを元気にするとか言っている割には、元気がなさそうに見えますね、とか、あなたは、愛、愛、愛とか言うけれど、それは全部承認欲求じゃないですか???とか、そんなことを言いたくなる。これを言われて、笑えるひととは、友達になれる。が、大概の場合、そんなことを言うと怒られてしまう。だから、言えない。承認欲求があることは、自然だと思う。だから、普通に「あたしは承認欲求が、すごいあります!」と明朗に言えるひとは、爽やかで、好きだ。隠されるから、おかしくなる。見栄を張られるから、暴きたくなる。
昔、あまりにも社会に馴染めなくて「自分は欠陥人間だ」と、消えたい時期が長く続いた。その時、ふと、嫌いなもののために死ぬなんてクソだ、ということを思った。世の中に馴染めない自分を責めるとき、世の中は善で、自分は悪になる。でも、冷静に、考えてみる。いじめられて自殺を考える少年の心理と、これは、きっと似ていると思う。自分をいじめる人間がいる。生きるのがつらい。苦しい。毎日、死にたいと考える。しかし、これで死んでしまったら「自分が嫌いだと思うもののために死ぬ」ことと、同じだ。これは、なんだか、癪だ。どうせなら、自分が嫌いなもののためではなく、自分が好きなもののために、死にたいと思う。自分が、世界でもっとも大事だと思うもの。それは、自分の感受性だ。自分の感受性を守るために、命を張る。そっちの方が、よっぽど、有意義な生を送れると思った。
わたり文庫『忘れられた日本人』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、宮本常一著作『忘れられた日本人』です。短編集なのですが、この本にある『土佐源氏』という30ページ足らずの話が、昔から大好きで「これは俺のバイブルだ」と、長年、思い続けてきました。岩波文庫とか、普段、読まれる方は少ないと思うのですが、騙されたと思って(本屋さんに立ち寄る機会があれば)土佐源氏だけでも読んでみてください。少なからず、衝撃を受けると思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※
「わしのような者のいうことをどうしてきく気になりなさったか」いうてきいたら「あんたは心のやさしいええ人じゃ、女はそういうものが一番ほしいんじゃ」といいなさった。身分の高い女で、わしをはじめて一人まえに取り扱こうてくれて人じゃった。
どんな女でも、やさしくすればみんなゆるすもんぞな。とうとう目がつぶれるまで、女をかもうた。そしてのう、そのあげくが三日三晩目が痛うで見えんようになった。極道のむくいじゃ。わしは何一つろくな事はしなかった。男ちう男はわしを信用していなかったがのう。どういうもんか女だけはわしのいいなりになった。
わしにもようわからん。男がみな女を粗末にするんじゃろうのう。それで少しでもやさしうすると、女はついて来る気になるんじゃろう。
宮本常一『忘れられた日本人(土佐源氏)』【岩波文庫】
純粋なまま、汚れて行こう。
前は「あなたは純粋だね」と言われるたびに、腹を立てていた。なんだか馬鹿にされている気がして、ちげえし、などと反発していた。時は流れ、現在、34歳。自分の宝は、自分の純粋さだ。そう思うようになった。自分にあるものは、この、あほみたいに純粋な部分。こどもの頃から変わらない部分。おかしいものを「おかしい」と思える純粋な部分。いやなものを「いやだ」と思える純粋な部分。好きなものを「好きだ」と思える純粋な部分。愛するものを「愛している」と思える純粋な部分。音楽をやりたいと思った、その気持ちにストレートに殉じた、純粋な部分。
自分のことをとやかく言いたくなる時期もあるが、結局、こう生きる他になかったのだと思う。無様でも、不器用でも、自分なりに一生懸命生きた結果が、現在の自分だ。過去は必然。未来は偶然。まだ、未来がある。一年後には、現在の自分が想像もすることもできない未来に立つことができる、自由がある。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年5月29日
初心者三人でバンドを結成した。名前は「Agape(アガペー」。今日は千葉でライブだ。複数曲、ギターソロを作成した。音を出す。へたくそながら、一生懸命に演奏をする。時折、あ、いま、音が完全に一致をしたぞ、と思える瞬間がある。その瞬間、不思議だ、原因不明の涙が流れそうになることがある。ああ、音楽をやっていてよかったと思える、最高の瞬間のひとつだ。こんなよろこびが、こんな楽しさが、こんな素晴らしさが、世界にはあったのかと思わせてくれる新鮮な衝撃。快感。震えるほどの感動。音楽をやると決めた自分に「ハレルヤ!」と叫びたくなるような、過去の自分を「お前は最高の選択をした」と賞賛したくなるような、これまでのすべてに「よくぞ、ここまで生きてきてくれた」と涙の全肯定をしたくなるような、生きていてよかった、生まれてきてよかったと思える瞬間の、ひとつだ。
才能は、生まれ持ったものというより「やめないこと」だと思う。石に齧りついてでも、何かを続けることだと思う。それをやり続けたことで、取りこぼした世間的な幸福は、大量にあるかもしれない。それでもなお、自分には「こっちの方が幸せだな」と思えるものを、やり続ける力を才能と呼ぶのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年5月29日
おかしな表現になるが、誰もが「自分である才能」を持っているのだと思う。自分にあるものなんて、たかが知れている。私には、音楽の才能も、言葉の才能も、ない。しかし、私は、私を、34年間続けてきた。私は、私という種目を34年間続けたベテランであり、ある種の大御所であり、坂爪圭吾という競技種目のトップアスリートである。ぶっちぎりの第一位である。そのすべてを、ある時は音楽に込め、ある時は文章に込め、ある時は自分が話す言葉に込め、ある時は自分が差し出す右腕に込め、ある時は、自分が踏み出すその一足に込める。私は、私を構成する、すべてによって成り立っている。その中には、私の家族も、私の友達も、私が嫌った人間も、私が愛した人間も、その、すべてがいる。そのすべてが込められた一匹のオスが、どう、次の一歩を踏み出すのかということに、自分自身が胸を高鳴らせる。自分が、自分に、期待をする。そういった状態を「悪くないな」と思う。
どれだけ交わっても、人間は、ひとりだ。そう思うことは、悲しいことかもしれないが、世界のどこかに「自分と同じことを感じている人間がいる」と感じることができたなら、もう、ひとりではない。だから、どんな感情でも、言葉にする価値はある。さみしさも、同じさみしさに出会えば、温もりに変わる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年5月30日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu