恥の数だけ、強くなる。
定期演奏会を終えた。短期間で成長(?)する秘訣は、どれだけ恥をかけるか、どれだけ失敗を重ねることができるか、だと思った。恥をかく。失敗をする。つらい。しんどい。消えてなくなりたいと思うこともある。しかし、時を経て、あの体験が「俺を磨き上げてくれた」と感じる瞬間は、多い。成功も失敗も糧になる。そう思えば、失敗なんてないな、と思う。恥をかいたら、恥のポイントカードにスタンプが押される。20個貯まれば、ごほうびをもらえる。そう思えば、遊びになる。
何かをやるために、好き以外の理由なんてないよ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年5月24日
認められるとか認められないとか、そんなものに惑わされたらダメだよ。それをやっている時間がどうしようもなく楽しいから、はじめたんだよ。自分の『好き』まで、手放したらダメだよ。
世界は一つだけの花。 - いばや通信 https://t.co/XZZlKXxduX
おおまかなスケジュール
5月28日以降、FREE!【イベント出演依頼諸々絶賛募集中!】
6月2日 EVENT 音楽×トーク@千葉県千葉市「N-HOTEL」
6月3日以降、車で新潟を目指す予定【何か企画してくださる方、激募!】
6月9日 EVENT 音楽×トーク@大阪市北新地「Candy」
6月12日以降、アムステルダムかミラノ発の欧州武者修行(仮)
SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu
恥ずかしいこと、書かなきゃ。
バンド名が『Agape(アガペー)』に決定した。直訳すると『神の愛』になる。現時点で60曲作った。人前で演奏するとき、どうしても「この曲は好かれそうだな」みたいな感じで、選曲をする自分のダサさを痛感する。説明できないことをやりたいのに、説明的になる。これは、自分のなかにある「理解されたい」「わかってもらいたい」という願望が、そうさせているのだと思う。自分でも、自分のことを理解できていないくせに、何が、理解だ。何が、共感だ。何が、表現だ。そう思い、理解されなくてもいいから、不快感を与えてしまってもいいから、自分が「これだ」と思う曲をやろう。そう思って、定期演奏会では『オニキス』を演奏した。
自分の中にある恥ずかしい部分。それは、隠されて、隠されて、隠され続けていながら、同時に「誰かに見てもらえることをまっている」ものだと思う。恥という漢字は、耳に、心だ。心の声を聞かれたら、きっと、誰もが恥ずかしいのだと思う。そして、だからこそ素晴らしいのだと思う。そこには「なんだ、自分だけじゃなかったのか」という、安堵がある。芸術とは、誰かに向けたメッセージでは、ないように思う。それは「俺は、いま、こんなにも、こうなんだよ」と、自分の内臓を取り出して目の前に置くような、生々しくて、それでいて、目を逸らせないものだ。
自分の中にある、孤独と矛盾。それを、そのまま、打ち出すことが許されている。それが芸術だと思う。普通、生きていると、矛盾を打ち消す方向に思考は向かう。心身の一致が、言葉と行動の一致が、人生の秘訣だと言われる。しかし、私は、強烈な矛盾、強烈な葛藤、強烈な摩擦を生きる人間に、強く惹かれる。筋が通っているから惹かれるのではなく、筋が通らないまま、そのままの姿で生きる姿に、一貫性を感じる。強烈な矛盾を抱えて生きるという、一貫性だ。矛盾がないから生きるのではなく、矛盾を抱えたまま、そのままの状態で生きていこうとする。そっちのほうが、なんとなく「ほんとうだな」と思う。よっぽど「生きているな」と思う。
わたり文庫『金色の鳥の本』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、石井ゆかり著作『金色の鳥の本』です。こちらの本は、宮城県在住の女性から「わたり文庫に是非!」と寄贈をしていただきました。好きなページをパッと開き、そこに書かれている言葉からヒント(?)を得る、オラクルカードみたいな一冊です。試しに、いま、一回開いてみると・・・「通過」しすぎて疲れたときは立ち止まり、「居つき」すぎて飽きたときは移動してみる。それが、問題の「打開」につながることもめずらしくないようです。と、書かれてありました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、千葉県にわたりました ※※※
「勇気づけられる」「元気づけられる」のは、
自分が闘っているその闘いについて、だれかに
「その闘いは、闘うべき闘いだ!」
と認められたときではないかと思います。
誰もが、日々、
悩みや苦しみ、不安や孤独などと闘っていますが
その闘いを
「それでいい!」
と認めてもらえることは、なかなか、ないのです。
もし、力強く
「それでいい」と頷いてくれる人がいたら、
それだけで、苦しいはずの闘いが、
喜びや充実へと変わる場合だってあります。
石井ゆかり『金色の鳥の本』【PIE】
恥の数だけ、強くなる。
私の名前は坂爪圭吾。昔、姓名判断的なもので「あなたは死ぬまで孤独だ」と言われたことがある。それを聞いたとき、私は「かっこいい!」と思った。大変そうだが、かっこいい。言葉の持つ威力は大きい。聖書にも「はじめに言葉があった」とある。私が孤独を脱出したいときは、おそらく、改名をすればいいのだと思う。しかし、まだ、私は坂爪圭吾を生きてみたい。自分の孤独が、自分の矛盾が、自分をどこまで連れて行ってくれるのか、見てみたい。前に『Lonliness is Mine』という曲を作った。孤独を通じて、私は、私に出会う。孤独を通じて、私は、あなたに出会う。孤独の中に太陽があり、孤独の中にみんながいる。そんな感じの曲になる。
その次に作った曲が『オニキス』だった。歌詞も、曲も、音程も、なにもかもが納得いかない仕上がり(これを『仕上がり』とは呼ばない)になったが、聞き直したら「意外と良い曲だな」と思った。荒削りだけど、荒削りな存在が、自分なのだと思った。醜いなあ、ダメだなあ、情けないなあと感じたあとに、それをそのまま引っ込めるのではなく、醜いものを、醜いまま、そのままの姿で、打ち出していく。「俺は、いま、こんなにも、こうなんだよ」と、未熟な自分を、さらけ出していく。不思議なもので、どのような曲であっても、公開した瞬間は、一種の清々しさを感じる。表現は、よく、排泄行為に例えられる。入れて、出す。その循環だ。出したあとはスッキリするが、生きている限り、再び蓄積するものがある。そして、また、新しい音楽が生まれる。見る人が見たら目をそむけたくなるものも、ある人にとっては養分になる。それは、花が、二酸化炭素を吸って酸素を排出していることと、似ている。私たちは、花が、排泄をしたものによって生命を維持している。
数日前、こんなメモを書いた。自分を生きるということは、誤解をされるということだ。俺も、しっかり誤解されて、しっかり嫌われて、しっかり迫害されて、しっかり追い出されようとしているよ。近隣から。社会から。世間とか呼ばれるものから。新しいことをやるって、つまり、そういうことだろう。奴らも、俺たちが主流になった途端に、おれもこっちがいいと思ってたんだ、とか、言うんだ。そういう奴らが作ってるのが、世の中なんだ。人間は弱い。どうしたって、多数になびきたくなる。たとえ、それが正しさとは違うものであっても、彼らにとっては多数であることが正義になるんだ。だからこそ、おれは、若い人たちに言いたい。世の中の正義に従うのではなく、自分の正義に従ってほしい。自分が正義になるくらいの気骨をもって、バカにされても、迫害されても、お前なんかいなくなればいいと言われても、負けないでほしい。そういう人間が、必要なんだと思う。自分が感じる正義の中に、自分が感じる愛があるならば、諦めちゃダメだ。投げ出しちゃダメだ。その過程で、誰かに、なにかを、押し付けてしまうこともあるだろう。これは、仕方のないことだと思う。少なくとも、衝突をさけて、自分を引っ込める日々を送るよりも、熱くぶつかり合って生じる火花に身を焦がしたほうが、死ぬ瞬間、おれは生きた、と、言えるのだろう。と。これまでがこれからを決めるのではなく、これからがこれまでを決めるのだ。あとになってから、わかることがある。できることは、いま、生きることだ。説明のできない未来へ、一歩、歩みを進めることだ。
自分を生きるということは、誤解をされるということだ。たとえ、それが正しさとは違うものであっても、彼らにとっては『多数であることが正義』になる。だからこそ、自他に願う。多数決に負けないで欲しい。世の中の正義に従うのではなく、自分の正義に従って欲しい。自分が感じる愛情に従って欲しい。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年5月24日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu