いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

自分を幸せにする。それ以上の偉業はない。

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朝霧高原を経由して長野県白馬のガストにいる。凍死ギリギリで朝霧温泉にスライディング入店するも「受付は既に終わりました」と無慈悲の雨。とぼとぼと温泉を出る。鼻水が氷柱になるほど寒い。温泉に入る前提でバイクを走らせていたから予定が狂った。このままでは低体温症で死ぬ。温泉がないならば、自分が温泉になるしかない。腕立て伏せとスクワットを繰り返した。体温が戻る。再びバイクを走らせて適当な野営地を探すが、あれ、なんだかこの辺りは雰囲気がおどろおどろしいなあ(野営をするにはこわすぎるなあ)と思ってGoogleマップを開いたら『青木ヶ原樹海』と出た。

 

 

昨夜は長野県木崎湖の湖畔で野営をしたが、寝る直前「熊とかいるのかな」と思ったら気になってしまってWebで検索したら「出る」とのこと。Googleマップを開いたら、今、自分がいる裏の山の名前が『小熊山』というネーミングで「もろやないか!」とビビって逃げることを決める。私は軟弱者なので、まだ、熊などの対処法を知らない。結果的に誰もいない草っ原にテントを張って寝た。朝、目覚めるとあらゆるものが凍り付いていた。真冬の長野県大町市はマイナス20度まで下がることもあるらしい。寒いのが苦手なのはみんな同じだと思うけれど、冬、自然は最高の美しさを見せる。トマトは危機的状況に晒すことで甘みを増すとトマト農家さんに聞いた。私の心のトマトも、甘みを醸し出すことができるだろうか。

 

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男は桃太郎。女はきびだんご。

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大滝神社


山梨県北杜市でS様とお会いした。蕎麦をご馳走になった後に珈琲をご馳走になり、大量の手土産までいただいてしまった。手作りの栗のお菓子までいただいた。それを今朝、激烈な寒さの中でむしゃむしゃ食べたら「最高にうまい!」と感動した。ああ、男は桃太郎で女はきびだんごなのだなあと思った。童話桃太郎の真の主人公は桃太郎ではなくきびだんごである。桃太郎は自分の魅力のおかげで仲間が増えたと思っているかもしれないが、犬も猿もキジも「きびだんごに惹かれて」仲間になりたいと思ったのだ。真の主役はきびだんごであり、きびだんごのない桃太郎は『ただのイキっている男性』に過ぎない。きびだんご抜きに鬼退治はできない。

 

人間としての喜びとは別に『男(女)のよろこび』があると思う。私は男なので、野営生活を過ごしていると「過酷だけど楽しい!」みたいな喜びを覚える。が、同じ体験を女性がする必要はないと思う。なんと言えばいいのか、男(女)に生まれた喜びと言うか、男(女)の特権を最大限に活かすと言うか、そういうやり方がある気がするのだ。感覚的な話になるが、私は、女が女でいてくれると「自分も安心して男でいることができる」的なことを思う。私は古いタイプの人間なのか、男は船で女は港的なことを思う。別にすべての男性が船になる必要はないと思うが、自分自身を見ていると「俺は船だな」と思う。だから、女性から家に呼ばれることを「自然だな」と思う。港に立ち寄る的な気持ちになり、安心感を覚えるのだ。

 

この前お会いした女性から「男女の交歓を通じてクンダリーニが上昇してちょっと前までやばかった。頭の裏が常にパッカーン!って開いている感じでエネルギーが廻り続けて常時覚醒、おなかも減らないし眠くもならないのです。食べないと死ぬとか、寝ないと死ぬって嘘でした。性的なエネルギーってすごいですねえ。ところで、坂爪さんはポリネシアンセックスって知っていますか?????」と唐突に問われた。詳細は省くが、いま、断食どころか『不食(食べない人々)』も市民権を得ているし、瞑想だけで筋骨隆々になる人々や、厳冬を真っ裸で乗り越える人々、超能力で雲間から太陽を覗かせる人々など、半端ない人たちは大量にいる。こういう人たちの話を聞くと、究極、なんでもありなんだなあと思う。食べたければ食べればいいのだし、食べたくなければ食べないでもいい。鬼退治に行きたければ鬼退治に行けばいいし、永遠に家でゴロゴロしていたいならば永遠に家でゴロゴロしていればいい。私の人生は「永遠に家でゴロゴロしていたい怠け者タイプの人間だけれども、ゴロゴロしていることにもやがてすぐに飽きるので、それじゃあ鬼退治でもするかと思って屋外に飛び出してみたらと想定外のところからきびだんごが飛び込んでくるこの人生を気に入っている」みたいな状態にある。

 

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峰不二子って『マウント富士子』なのかな…???

 

自分を幸せにする。それ以上の偉業はない。

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精進湖


結婚とはなんだろうと既婚者から問われることが多い。私は未婚者なので全然わからない。結婚とはなんだろう。制度とはなんだろう。人間の三大欲求が食欲・性欲・睡眠欲ならば、神様は『それをしている間は非常に気持ちよくなれる』ように人間を設計した。だがしかし、現代社会では性的なものだけはタブー視されるようになっている。藤子・F・不二雄の短編漫画に『気楽に殺ろうよ』という作品がある。ここでは、性欲は(人類を存続させる公益的性格が強いために)タブー視されることはない。代わりに、食欲は(個体の生存のみに必要な独善的性格が強いために)タブー視をされ、罪深く恥ずかしいこととされる。だから、セックスのシーンなどはおおっぴらにされるが食事のシーンは隠蔽される。漫画に登場するエロ医師は、乱交の代わりに乱「食」の写真を(ポルノの代替として)得意げに自慢をする。この漫画では食欲が『恥』とされるのだ。食欲と性欲。どちらももっとも根源的な欲求であり、これがなければ人類は滅亡するとされてきたものである。が、今、食べないでも平気な人々がでてきた今、色々なものが揺らいでしまっている。

 

短編漫画『気楽に殺ろうよ』の世界観のすごいところは、殺人が社会的に認められているところだ。主人公の青年が「殺人はダメでしょ!命は大事でしょ!」的なことを言う。すると、それを聞いた医者は「生命はなぜ尊重せねばならないか?」と問い返す。この問いに、青年はなにも答えることができなかった。さて、もしもあなたが「生命はなぜ尊重せねばならないのか?」と問われたら、一体全体どのように答えるだろうか。答えられるだろうか。答えられないだろうか。大前提として「命を大事に!」とか「地球を大事に!」と叫ばれて久しい昨今だけれども、なぜ、それを大事にしなければならないのか。なぜ、生命はそこにあるだけで尊いと言うことができるのか。この問いに真っ向勝負でお答えできる人は、果たして、どれだけの数いるのだろうか。

 

私はなんにもわからない。私は正しさを知らない。が、『楽しさ』ならばなんとなく分かる。私は自然が好きだ。だから、自然があると心底嬉しいし、自然が破壊されているのを見ると残念になる。多分、これは趣味の問題である。私は生きたいと思う。だから、殺されたくないなあと思う。完璧に独善的な理由である。同時に、この世の中に「誰かを殺したくてたまらない」人々がいることも薄っすらとわかる。だからこそ、いい感じにまわっていけばいいなあと思う。私は、すべての生命が『いい感じにまわっていく』ことを祈る。時折誰かを憎むことがあったとしても、時折濁ったり淀んだりすることがあったとしても、生きとし生けるものには総じてハッピーな日々を過ごしてもらいたいなあと思う。そのことが、お前が言っていることはただの独善的な理由に過ぎないと揶揄されても結構、自分自身の喜びにつながるのだと思う。

 

 

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永遠にそのままで行け。

「きっと嵐って、朝日が、そのあとにのぼってくるためだけに、あるんじゃないかなあ」

「おだやかな人生なんて、あるわけがないですよ」

「この子、怒ることも、できないのよ…それが、この子の悪いところだわね」

「ほかのものの名前を忘れると、ちょっとやるせなくなります。しかし、自分の名前を忘れるのは、気楽でいいもんです。」

ムーミン谷の名言集

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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