6月1日から6月4日までタイのチェンマイ、5日からは北海道の新千歳空港に飛ぶ流れになりました。チェンマイや札幌界隈でお会いできる方がおりましたら、お気軽にご連絡ください。6月6日以降の予定はなにもありません。呼ばれる限りどこにでも向かいますので、旅の道連れなり旅の身代わりなり、もう、それ以外でもなんでももう、坂爪圭吾という人間を好きに使っちゃってくださいという気持ちです。
お金0.1
「坂爪さんはどうやって飯を食べているのですか?」と頻繁に問われるので、ツイキャス音声配信で釈明をさせていただきました。何回も言いたいのですが、私は「これが新しい生き方だ!」と思ってこんな生き方をしている訳ではなく、いろいろやってみたけれどダメで、ダメで、ダメで、なにもかもダメだった結果「増やすことより減らすこと」によって活路を見出したタイプの人間になります。ので、参考にならない点が大量にあると思いますが、内容的には面白い気がするのでよかったら聞いてみてください。
よろしく浸ってんじゃねえよ理論。
毎晩開催していたツイキャス音声配信も、5月31日をもって最終回となりました。昨日のツイキャスのなかで「人生に悩んだり生きる意味を考えてる時って、多分、自分の人生に退屈をしているだけだよ。頑張りが足りないとか、お金が足りないとか、能力が足りないとか、勇気が足りないとか、魅力が足りないとか、自信が足りないとか、そんなことって全然なくて、ただ『楽しみ』が足りていないだけなんだよ。『遊び』が足りていないだけなんだよ」という話をしました。暴論だとは思いますが、実際、そうなんじゃないのかなあと思う部分も結構あり、深刻に考え過ぎて勝手に鬱っぽくなって勝手に自滅をする現象を保科さんが「よろしく浸ってんじゃねえよ理論」と名付けてくれました。いつまでも自己憐憫に浸ってんじゃねえよ、と。
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物事を深刻に考えると「難しすぎてわからないよ!」ってなると思います。そんな時は、一旦深呼吸をしたあとに「難しくない!」と脳内で一回諸問題をぶった切ることは有効だと思います。難しい前提で物事を考えると、物事は難しくなります。が、難しくない前提で物事を考えると、意外とシンプルな道筋を得ます。なんならもう「シンプル」と口にするだけでも有効だと思います。自分の生き方を悩むとき、ひとは「どう生きるか?」と考えます。この思考は比較的重いです。愛でさえ、重いものは敬遠されます。ここで、どう生きるかという問いを「どう遊ぶか?」とか「(この現状を)どう笑うか?」と置き換えると、あの、重苦しい雰囲気はほんの少し薄らいで「なんだかちょっと楽しそうアトモスフィア」が醸成されるように思います。重いものは軽く、多いものは少なく、複雑なものはシンプルに。
自分がこの世界からいなくなったことを想像しながら、対話をすること。
私の中のおかまさんが言います。「1日1N。新しいことやんなさい。いまのあなたは思い悩むことが好きになってる。浸ることが趣味になってる。幅、広げて行きなさい。なんでもいいから、新しいことをやりなさい。どんどんやりなさい。疲れたらしっかり休みなさい。そしてまたどんどんやりなさい。好きなことをやるっていうより、やったことのないことをやる感じ。そうじゃないと、同じところをぐるぐるするだけ、広がって行かないから。お金が足りないんじゃなくて、頑張りが足りないんじゃなくて、魅力が足りないんじゃなくて、遊びが足りないのよ。遊びなさい。くだらないことをやりなさい。お金にならないことをやりなさい。もう、張り裂けちゃいなさい。張り裂けちゃいなさい。」
やりたいことがわからないという人は多く、これは自分も同じです。ただ、やりたいことがわからないひとでも「やるのが怖いこと(だけど本当はやりたいこと)」ならあると思います。誰かに告白をするとか、嫌いな仕事を辞めるとか、恥ずかしいと思ったことをやるとか。これを私は「1日1F」と名付けていて、Fとは『FEAR(恐怖)』のFになります。1日1Nからの1日1F。これでもう、あなたの毎日はドキドキハラスメントの連続になること間違いなし、という話をツイキャスでしました。愛は「恐れのない状態である」という言葉があります。これは勝手な想像になるのですが、恐怖とは「頭のなかで考えているときが一番恐い」ものであり、実際にやってみると意外とたいしたことのない場合が多いです。毎日、少しずつFを実行することによって、もしかしたら(恐れがなくなって)自分自身が愛の塊になるという可能性もあると思います。
多分、私は「新しい言葉に出会うため」に生きている節があるのだと思います。移動を続けるのも、自分をオープンにしているのも、本を読むのも、散歩を好むのも、文章を綴るのも、そのことによって「新しい言葉に出会う」可能性がグイッと高まるから、であるように感じます。聖書の中にも「はじめにことばありき」とありますが、多分、私たちは言葉でできている。だからこそ、新しい言葉と出会うことによって、人生【自分自身】は変幻自在に姿を変えることができる。言葉とは、日常的なものでもあると同時に、魔法のようなものでもあると思います。誰の中にも「言葉」は眠っていて、それは引き出されることを待っている。言葉は「誰といるか」「どこにいるか」「なにをやるか」によって、引き出されるものが大きく変わる。自分という存在が、自分という存在が放つ言葉が、誰かの中に眠っている「引き出されることを待っている言葉」を同時に呼び起こすことのできるような、そういう時間、それを対話と呼ぶのだと思いました。
坂爪様はじめてメールをさせていただきます。いつか、お手紙が書けたらなあと思っていたのですが、えいやっと、はじめて、メールをさせていただきました。恋バナを読ませていただいて、えいやっと、メールができました。我ながら意外です。なぜ、恋バナ、、?(笑)。実は、最近、愛って何だろ?と真面目に考えてました。高校生のための哲学の本に、愛とは?友愛、博愛など書いてありました。そこには、愛すべきものがいるのではなく愛することにより愛すべきものになる、と書いてありました。愛されファションとか、愛されヘアとか、そういう言葉とは、対局ですよね。(笑)。むかし、平和とは?ということを、授業で語り合ったことを思い出しました。ずっと暴力をうけつづけていたある女性がいいました。平和とは、自分がこの世界からいなくなっても、この世界に、存在し続けてほしいと願うものがあること。彼女はさらにいいました。今まで、世界に愛されたいと思っていた。でも、世界を愛したい。この言葉は、愛とは何かを考えるヒントになるのではないかと思います。平和とは、暴力ではなく、対話により問題を解決しようとすること。この平和とは?という問いも、愛とは?という問いと重なりそうです。自分がこの世界からいなくなったことを想像しながら、対話をすること。これが愛のような気もします。すると、愛とは、坂爪さんのされていることではないですか?(笑)。愛のタイムトンネルみたいですよね。見知らぬ無数の人々の愛が注がれて、坂爪さんというメディアを通じて循環していますよね。(中略)移動中なこともあり、乱筆乱文、申し訳ありません。今日も、生きていてくださることに感謝します。○○○○
髪が長いと神話感があるなあ。。 #thai #pai #hotsprings #mineralbath #lifeisgood
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu