すべての言葉は遺言のように。
もし、明日死ぬとしたら、
いま、自分は何を語るだろうか。
もし、目の前にいる相手が、
明日には消えてしまうとしたら、
いま、同じ言葉を語るだろうか。
もし、明日生まれるこどもたちに、
ひとつだけ言葉を遺せるとしたら、
自分は、どんな言葉を遺すだろうか。
すべての言葉は遺言のように
生きることが、できているだろうか。
すべての言葉は遺言のように。
こんばんは。
大阪に住む大学生の○○○○と申します。
いつもありがとうございます。
今回は、先日の番組(ツイキャス)でのお話に対して感想?感じていること?を改めてお伝えしたいと思い、メール致しました。
「祈る」ということについてのツイキャス後、じっくり自分なりに考えてみているものの、やはりまだ難しいです。
私は、自分自身が今「相手のために何かする」または、「自分のために何かする」の2つの視点しか持っていないと思います。
しかし、「祈る」ということは、このどちらでもないような気がします。
「相手のため」ではありますが、「自分のためじゃなく、相手のために価値を与える行動をしましょう」といったような、よく言われる分かりやすいものではなさそうです。
また、テイクではなくギブをしましょう、ということもしばしば耳にしますが、「祈る」ことはテイクはもちろん、ギブでもありません。
行動をギブかテイクの軸で考えている限り、理解できないことなのかもしれないです。
「祈る」について"分っかるー"ってなるかどうかで、自分のこれからが大きく変わるような予感があります。
しかし同時に、本来はシンプルなものであるものの、答えを求めてる内はいくら考えても分からないものかもしれません。
このなんとも言えない思いをお伝えしたく、自分の中ですらまとまっていないことをまとまってない文章にしてしまいました。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
これからもツイキャスやブログを楽しみにしております。
よろしければ、また感じたことを送らせていただきます。
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu