いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

好きなひとに「好きだ」と言うために生きる。

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男は女に振られると人生が変わる説を、実体験を振り返りながら検証した結果「おおいにあると思う」という結論に達した。わたしの場合、20歳の頃に彼女に振られて大学を辞めてホストをはじめ、24歳の頃に彼女に振られて躁鬱病統合失調症の最悪期に突入をして、27歳の頃に彼女に振られて「家のない生活」に突入をした。男性のみなさま、あなたの人生が大きく動き出したのは「彼女に振られたこと」がきっかけだったりしませんか??今度、よかったら、そんな話を聞かせていただけたらうれしいです。

 

ibaya.hatenablog.com

 

男は女に振られると人生が変わる

昨夜のツイキャスは恋話になった。恋愛は難しい。わたしは33歳になるのだけれど、いまだに「付き合うってなあに??人間は人間を所有できるものなの??」などと思う。自身の恋愛観の変化を感じる。昔は、たとえば学校に行けばまたあのひとに会えルンルン的な高まり(毎日でも会いたい気持ち)を感じていたけれど、徐々に「あのひとがあのひとであるように、俺も俺も生きよう。各々が各々の人生を生きることこそ重要であり、必ずしも毎日のように会う必要はない」などと思うようになった。

 

あなたと出会えたことで、より、自分は自分を生きることができる。このような気持ちになる。書きながらわかった。昔は「好きなひとと一緒にいる時間」こそが大事だと思っていたけれど、徐々に「不在の時間も、実在の時間も、同じように大事である」と思うようになったのだと思う。好きなひとができることの最高のよろこび、最高の感謝、それは「こんな気持ちにさせてくれてありがとう」的な言葉で表現できると思う。誰かを好きになることの尊さは、対象である誰かだけに向けられたものではなく、誰かを通じて「新しい自分を発見すること」にある。自分の中にある、まだ、掘り出されたことのない泉を掘り当てたようなうれしさがある。

 

新川和江「わたしを束ねないで」という詩がある。

 

わたしを束ねないで

あらせいとうの花のように

白い葱(ねぎ)のように

束ねないでください わたしは稲穂

秋 大地が胸を焦がす

見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂

 

わたしを止めないで

標本箱の昆虫のように

高原からきた絵葉書のように

止めないでください わたしは羽撃(はばた)き

こやみなく空のひろさをかいさぐっている

目には見えないつばさの音

 

わたしを注(つ)がないで

日常性に薄められた牛乳のように

ぬるい酒のように

注がないでください わたしは海

夜 とほうもなく満ちてくる

苦い潮(うしお) ふちのない水

 

わたしを名付けないで

娘という名 妻という名

重々しい母という名でしつらえた座に

座りきりにさせないでください わたしは風

りんごの木と

泉のありかを知っている風

 

わたしを区切らないで

,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落

そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには

こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章

川と同じに

はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

 

この詩に共鳴を覚えるひとは少なくないように思う。誰だって、誰かや何かに縛られることよりも、自分が自分であることを尊ばれたいのだと思う(ような気がする)。究極の愛があるとすれば、それは「あなたが生きているだけで嬉しい」と思う心の働きではないだろうか。何かしらの役割をこなしてくれるからという条件付きの好きではなく、ただ、あなたが生きているということが自分の心に大きな充足を与えてくれる、そのことに対する感謝。など。綺麗事に聞こえかねない我々の恋愛観を、具体的なエピソードを交えつつ話しました。寝る前のお供に、聞いてみていただけたらうれしいです(おすすめの聞き方は、通勤途中や料理中、散歩中など、動きながらのイヤホンです!!)。

 

twitcasting.tv

 

好きなひとに「好きだ」と言うために生きる。

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おとぎ話みたいな家

 

カリオストロの城のインタビューかなにかで、宮崎駿監督が「ルパンは、命懸けでクラリスを助けるものの、クラリスと付き合うとかクラリスを連れて行くということをしない。それは、ルパンが『クラリスを背負うことはできない』ということを知っているから。それに対して、峰不二子に対しては『背負う必要がないから』安心をして追いかけることができる。だから、映画の最後は、ルパンが懲りずに峰不二子を追いかける場面で終わる」みたいなことを話していたのだと聞いた(又聞きでごめんなさい)。

 

これはなんだかものすごいわかる話だと思った。誰もが、いま、多かれ少なかれ「何かを背負いながら」生きているのだと思う。それは家族であったり、職場の責任であったり、人間関係のあれこれであったり。それが大人になるということであり、どれだけ広範な範囲を背負うことができるのかが人間の器を決めるのだ、という言説も耳にすることがある。が、極論、人間が背負うことができるのは「自分」の人生だけであり、誰かが、誰かの人生を背負うことはできないのではないだろうか。愛という言葉を言い換えるならば、それは「そのひとがひとりでも生きていけるようにすること」ではないだろうか。

 

書きながらいろいろわからなくなった。なぜ、原稿はまったく書けない癖にブログになるとこんなにも書けるのだろうか。それは「気楽」だからだと思う。ということは、わたしは、原稿を書くという行為に「勝手に重荷を感じている」ということになる。この「勝手に重荷を感じている」というのはあらゆることに言えるような気がして、生きるということも、ひとと付き合うということも、自分が勝手に重荷を感じて勝手に重荷を背負ってしまっているだけのことなのかもしれない。恋愛は不思議な営みだ。しかし、誰かを好きになるということほど尊いことはないように思う。関係性に名前を与えない勇気。最近は、そんなことを考える。自分は自分であり、あなたはあなたである。それだけで、もう、充分なんじゃないだろうかと思う。なぜ生きるのか。それは「好きなひとに好きだと言うため」だと思う。生きたいと思うこと、それは誰か【なにか】を好きになることだ。なにかを好きになる自分を通じて、世界【自分】は捨てたものではないのだと、好きなものがあるこの世界を、もっと生きていきたいと感じるのだと思う。

 

 

牧歌的な風景をあなたと。。 #thai #pai #cow #cottage #1200円弱とリーズナブル #食後 #眠気 #長閑 #まだ何も書かない #午前中ちょっと書きかけたけど #はっ #俺はいま #書かなきゃいけないと言う気持ちで書きはじめてはいないかと #書きたいという気持ちが湧き出ることを待てず #おのれを絞り上げてはいないかと #真の望みは込み上げるもの #泉のように湧きあがるもの #それなのに #あたしといったら自分をボロ雑巾のように絞り上げてはいないかと #悟り #そっと机の前から離れ #お布団の中へ #時は流れ #sunset #明日から本番 #焦らない勇気 #明日にはきっと湧き上がるだろう #わたしには夢があります #5月中には本を書き上げられたらいいなあ。。。(現在0文字)🦄✨✨✨✨✨✨

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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