1日1回、自分が恐れていることをやりなさい。
名古屋で出会った22歳女性から、透明な眼差しで問われました。「強さを持ちたい。強さを持つためにはどうすればいいと思いますか」と。みなさまなら、22歳女性からこんな風に問われたときになんて答えるだろうか。私は「これは非常に重要な問いだ・・・しっかりと答えたい!」と思って超絶真剣に考えた。超絶真剣な30秒近い沈黙が流れたあと、ああ、これかもしれないと思ったわたしは「恐れていることをやること、かもしれないと思いました」と答えました。
先ほど収録した音声配信を公開しました。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年1月18日
・【1日1F】1日1回、恐れていることをやりなさい。
・「裸になる」ということ(女性2名と風呂にはいった話)
・恥ずかしいから隠す世界と、隠すことが恥ずかしい世界。
などなど、眠る前のお供にどうぞ!https://t.co/SbzprJ4I6X
22歳彼女は言う。「行動を起こせば未来は変わる。最近、そういうことを思う。今日、坂爪さんに「会いたい」とか「話したい」と勇気を出して連絡をしていなければ、なにも起こらないままに日々は過ぎ去っていた。 日常生活のなかで、自分がほんとうに話したいと思えることを話せる機会は少ない。家族にも、友達にも、自分が話したいと思うことを話しているという実感はあまりない。だから、ひととちゃんとコミュニケーションをとりたいって思う。あと、最近はお金について考えることが多いんです。親やまわりは貯金をしろというけれど、自分の好きなことをやったほうがいいんじゃないのかなって、そして、残りのお金は(もちろん貯金をすることもあるのですが)ひとのために使っていきたいなって、そんなことを考えています。」
「裸になる」ということ。
昨夜のツイキャス音声配信の中でも軽く話しましたが、数年前、熊本県から「一緒にお風呂にはいってください」という連絡を(あろうことか女性から!)いただきました。風呂にはいるということはお互い素っ裸になるということなので、いろいろと感じるものはあったのですが「ものは試しだ!(やってみなければわからないことを、やる前にわかろうとすることは無駄)」的なことを思いまして、ご依頼に応えさせていただきました。
風呂に向かう途中、依頼主の女性に「どうして一緒にお風呂にはいりたいと思ったのですか??」と尋ねましたところ、依頼主の女性は「私の中には『平和』のイメージが昔から結構強くあるのですが、そのイメージは『男のひとも女のひとも仲良く一緒にお風呂にはいっている』というものなんです。ただ、そのイメージをいきなり現実社会で実現することはなかなか難しいから、でも、坂爪さんならこの感覚をわかってもらえるんじゃないかというか付き合ってもらえそうな気がしたのでお願いをしました」とのこと。この後の展開は音声配信のなかで話しているのですが、結論から言うと「初対面の女性も含めた男性ひとり【私】と女性ふたりでお風呂にはいる」という稀有な時間を体験させていただきました。
22歳女性に「恐れていることをやりなさい」などと言いながら、さて、いまの自分にが恐れているものはなんだろうかと考えました。お金とか、人間関係とか、将来などに対する不安は(非常にありがたいことに)自分にはない。まったくないと言っても過言ではないほどにない。どうしてないのだろうか。なくてもどうにかなるということを体験したからなのだろうか。「誰かが助けてくれる」という末っ子根性が板につきまくったのだろうか。その理由は不明瞭ですが、最近、裸になるということ【人間のフィジカル】に比較的強めの興味・関心があります。裸になるということ、ヌードであるということ、隠されているものを暴き出すということ(解放をするということ)など。移動時間中などに、いろいろと考えていけたらと思います(本日はこれから兵庫県明石市を経由して大阪方面に向かいます!!)。
稲村彰人さんのブログが面白かったのでリンクを貼っておきます。
わたり文庫『木を植えた人』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ジャン・ジオノ著作『木を植えた人』です。自然って、いいですよね。静けさって、いいですよね。そんな「いい感じ」な感じを与えてくれる感じのものって、いいですよね。こちらの本は、まさにそんな感じの一冊なのではなかろうかと、坂爪圭吾は太鼓判をおしたい気持ちでいっぱいです。まだ読んだことのない方は、是非、一度どこかで読んでみていただけたらうれしいです。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をさせていただきます。
※※※ こちらの本は、兵庫県にわたりました ※※※
ある人が真になみはずれた人物であるかどうかは、好運にも長年にわたってその人の活動を見つづけることができたときに、初めてよくわかる。もしその人の活動が、たぐいまれな高潔さによるもので、少しのエゴイズムもふくまず、しかもまったく見返りを求めないもの、そして、この世になにかを残していくものであることが確かならば、あなたはまちがいなく忘れがたい人物の前にいるのである。
ジャン・ジオノ『木を植えた人』【こぐま社】
1日1回、自分が恐れていることをやりなさい。
私の信条のひとつに「1日1F」というものがありまして、このFは『FEAR』のFを意味します。強さを持ちたいと思うなら・・・面白い人生を送ってみたいと思うなら・・・現状を打破してみたいと思うなら・・・1日1回、自分が恐れていることをやりなさい。そんな風に自分自身に言い聞かせながら、毎日これができているかというとまったくできていない現状ではありますが「もしもこれができたら結構な人生になりそうだなあ」と感じています。
抱き締めたいときは「抱き締めたい」と言う。ひとを好きになったときは「あなたのことが好きです」と言う。恥ずかしくてなかなか言えない言葉を口にした時、人生は新しい展開を見せてくれる。恥ずかしいことを言おう。勇気を出して、自分のプライドをぶち壊そう。多分、その先に未来はあるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年1月9日
自分を出すことで相手に拒絶をされたり周囲から嫌われてしまうこともあるかもしれません。でも、そんなことよりも「自分を取り繕ったまま一生を終える」ことの方が、よっぽど恐ろしいことであるように思います。誰かに嫌われないためとか、周囲と問題を起こさないためという思いは「不安」とか「恐怖」に支えられているような感覚を覚えるので、即刻却下。人生は苦行でもなければ修行でもない。人生はボーナスタイムだと思っています。自分で自分を押し殺し、自分で自分に制限を加え、自分で自分を許すことなく罰を与え続けることで、神様的なサムシングが世界中に散りばめた無限の喜びを体験することなく終わってしまうのはなんだかちょっと残念ではありませんかなどと思います。
生きているだけでいいんだよ。それ以外はおまけだよ。有名になるとか、金持ちになるとか、立派な功績を残すとか幸福な家庭を築くだとか、そういうものの全部はおまけ。それができないからといって、自分に価値がないなんてことはない。こうでなきゃいけないことなんて、本当はひとつもないのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年1月8日
なぜ、恐れていることをやるのか。それは「恐れを手放すため」とも言えます。楽になれる道、それは「あらゆる思いを手放した」先に広がるものだと感じています。結果に執着をするのではなく、ひとつの感情に捕まって精神的な視野を狭くしてしまうのではなく、まず、自分のなかにある感情を一旦全部手放すイメージをすること。「あらゆる思いを手放しなさい」と、おまじないのように脳みそのなかで唱えること。すると、不思議なことに、それがうまいことできた瞬間には『自由』を取り戻せるような感覚を覚えます。そして、さらにさらにさらに不思議なことに『真性の自由が与えられたとき、ひとは、ほっておいても勝手に愛しはじめる』的なことを、静けさと共に感じることができるものだと思っています。
あらゆる人間関係は「いかに諦めてもらうか」が肝心だと思っていて、良い子を演じて好かれ続けるよりも「ダメな部分を早目に晒して、そこを愛してくれるひとと相互補完的に付き合う」方がストレスレスだと思う。自分のダメな部分を見せる瞬間は恐いけど、許された瞬間の爽快感はたまらないものがある。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年1月17日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu