問題の9割はコミュニケーション不足。
鉄砲玉48の活動の一環として、みなさまからいただいたお米一号で生き延びることを目指す『ライスワーク(仮)』なるものをはじめました。もしも、こちらの記事をご覧の方のなかに「お米あげるよ!」的な神様がいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡をいただけたら嬉しいです!!どういうこっちゃ、と思われた方が9割だと思うのですが、もしもよろしければ以下の音声配信を聴いていただけましたら僥倖でございます。
鉄砲玉48の活動の一環として、みなさまからいただいたお米一合で生き延びる『ライスワーク(仮)』をはじめました。もしも「お米あげるよ!」的な神様がおりましたらば、お気軽にご連絡ください。坂爪は三軒茶屋に、稲村と保科は西荻窪にいます!!
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年1月16日
ライスワークの音声解説https://t.co/mXgXiw0IYH https://t.co/P2YmOJ3dty
鉄砲玉の反省として「なんでも無料でやりますなどと言ったところで、見ている側からしたら『なにを頼めばいいの?』ってなるよね!これは重要な発見だ!では、俺たちがお願いを待つばかりではなく、俺たちからもお願いをすることによってコミュニケーションのきっかけをつくっていけたらいいのではないか」ということに気がつきました。<社会との接点を作るジャーニー>ということではじまった鉄砲玉48の真髄は「みなみなさまとコミュニケーションをとりたいです!」と恥ずかしげもなく言えることにあるのだと、それならばやれることはなんでもやろう!的な心持ちで活動三日目を迎えることができました。
ライスワーク初日の感想「一合一会の出会いを大切に」
ライスワークをはじめるきっかけになったのは、昨日、綱島在住のN様から「来月末に引越しをするので、いろいろと不要な荷物があります。もしよかったらごちゃまぜの家で使いませんか??配送費用などはこちらで負担をします!!」というご連絡をいただいたことにあります。メールを読んだだけでも、そのひとの人柄といいますか「このひとはいいひとなのかな、わるいひとなのかな??」みたいなものは誰だって敏感に感じ取っているものだと思うのですが、N様からのメールを読んだ瞬間に「ああ!N様はいいひとに違いない!」と直情的に感じました。ので、不要な荷物どうのこうのよりも「実際にN様にお会いしたい!お会いして『N様はほんとうにいいひとですね!』と伝えたい!」という直情のままに昨日は綱島まで(我々三人みんな暇だったので一緒に)行きました。
実際にお会いさせていただいたN様は最高すぎる方で、なんだかもう、笑顔がモーレツに可愛いかったです。N様は「みなさまを見ていると『なんだかこのひとたちには栄養をつけさせなくちゃいけない!』と思っちゃって」と、最終的に私たちをスープカレー屋さんに連行してくれました。お土産に大量の冷凍食材やお米や果物や布団一式(!)までもたせてくださり、なんだこれはと、我々は「なんでもやります!」とか言っておきながら、実際のところはなんでもやってもらっちゃっているばかりではないかと、それでもいいのだろうかということをNさんに話したら、Nさんは最高のお返事をくれました。
いつも坂爪さんのブログを読みながら、いろいろともらっています。自分も何か力になれることがあればと思っていたけれど、逆に迷惑になってしまうんじゃないだろうかと思うとなかなか声をかけることができませんでした。でも、今回、こうして実際に会ってこんなによろこんでもらえたことが、わたしとしてもとてもうれしいです。多分、これはわたしだけじゃないと思うのですが、誰にでも『誰かの力になりたい』とか『誰かの役に立ちたい』とか、そういう風に思っているひとはたくさんいると思います。ただ、迷惑にならないかなとか、押しつけになっちゃわないかなって考えちゃうから、なかなか連絡がとれないのだと思います。老婆心っていうのかな、おせっかいを焼きたい欲求っていうのは誰のなかにもあると思うから、その辺の感情がうまいことまわる世の中になったらいいですね。
Nさんのこの言葉のなかには大切なことが108個くらい詰まっていると思うのですが、もう、本当にその通りだなあと。誰だって「なにかいいことがしたい」的な感情を抱くことはあるとは思うけれど、なかなかそのぶっつけ先が見つからなくて、人々のこころの中に眠る『善意』のようなものが開かれることなく消えてしまうことは多いのではなかろうかと。と、それならば!我々鉄砲玉48が!!みなさまの『善意の受け皿』として!!!まずは「お米一合を与えてください」という提案をさせていただこうではないかと、それを通じてコミュニケーションのきっかけを生み出していけたらよいではないかと、そのようなことを感じて『ライスワーク(仮)』は生まれました。もしも、この文章を読んで「それならお米をあげちゃおうかな」と思ってくださった方は、是非、どなた様でもお気軽に我々三人の誰かにご連絡をいただけましたら幸いです(ご連絡をいただき次第、あなたのもとまでこちらから駆けつける所存です!!)
連絡先・坂爪圭吾【牡羊座】
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
連絡先・稲村彰人【双子座】
LINE ID 0reaki10
akito.inamura@gmail.com
連絡先・保科亮太【蟹座】
LINE ID hoshina6
hoshina2906@gmail.com
保科さんのブログが面白かったのでリンクを貼っておきます。
わたり文庫『思うとおりに歩めばいいのよ』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ターシャ・テューダー著作『思うとおりに歩めばいいのよ』です。ターシャさんの本は言葉も素晴らしいのですが写真も素晴らしい・・・眺めているだけでもこころ穏やかであたたかな時間が流れる、さかつめおすすめの一冊になります。ガーデニングは人生の癒し。土をいじるとこころが落ち着くという体験をされたことのあるかたは、多分、たくさんいらっしゃるのだと思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※
みんなが本当に欲しいのは、物ではなく心の充足です。幸福になりたいと言うのは、心が充たされたいということでしょう。わたしは、ここの何もかもに満足しています。家にも庭にも、動物達にも天気にも、バーモントのすべてに。
家族でおもしろ半分に、スティルウォーター教という宗教を作りました。スティルウォーター(じっと動かない水)と名づけたのは、ストレスのない平安な生活を信捧する、という意味。スティルウォーター教徒は、生活を楽しみます。重荷にしてはいけません。第一の戒律は、フラ・ジョバンニの言葉「世の中の憂鬱は影に過ぎない。その後ろ、手の届くところに喜びがある。喜びをつかみなさい」
これまで、よくやってきたと思いますが、みなさんにお伝えするようなメッセージはありません。もし、わたしに人生哲学のようなものがあるとすれば、ソローの言葉がいちばんよく代弁しています。「夢に向かって自信をもって進み、思い描いた人生を生きようと努力するなら、思わぬ成功を手にするだろう」まったくそのとおりです。この言葉は、わたしの人生そのものです。
ターシャ・テューダー『思うとおりに歩めばいいのよ』【メディアファクトリー】
問題の9割はコミュニケーション不足
今後の個人的な予定としては、今日は東京(ちょっと話を聞いてよ的なご依頼)、明日は名古屋(ちょっと話をしませんか的なご依頼)、明後日は兵庫県(逆立ちをマスターしたいから練習するときに足を支えてください的なご依頼)、明々後日は大阪(ダイアログ・イン・ザ・ダークに一緒に行きませんか的なご依頼)に足を運ばせていただく流れになりました。基本的に足を運んだ先でヒマをしていることが大半なので、お近くにお住いの方はなんだってお気軽にご用命いただけましたら僥倖です!!
最近、頻繁に感じているのですが、誰かとコミュニケーションをとりたいときは「コミュニケーションをとりたいです!」と真っ直ぐに伝えることが重要なのではないだろうかと思います。人間関係の問題の9割はコミュニケーション不足なんじゃないだろうか、とさえ思うほどに・・・昨日、夜の9時過ぎに東京都文京区在住の方に会いに行きました。その方は非常に素直な方で「最近は仕事も忙しいし体調も悪いしでこころに余裕がなく・・・ハグしてください〜!!」と伝えてくださり「っしゃーー!!かかってこいやーーー!!」と全身全霊でお応えをさせていただく(?)ことができました。自分がしてもらいたいことを真っ直ぐに言葉にする、相手に真っ直ぐに伝えること、など、恥ずかしいと感じる瞬間もあるけれど非常に大切なことであるように思いました。
ありのままの自分を表現することは、怖いことかもしれない。ただ、自分を取り繕ったままで生きることのほうが、よっぽど恐ろしいことだと思う。誰かに嫌われないためとか、迷惑をかけないためとか、負担にならないようにという消極的な理由だけでは、自分が潰れてしまう。それよりも「すみませんけどわたしはこういう人間です!どうですか!」的な感じで、前のめりに、消極的なあれではなく積極的なあれとして、ひとと関わっていけたらいいなあなどと思います。乱暴にまとめると「ぶつかっていきましょう!!ぶつかって生じる諸々の摩擦熱によって、自分も相手も世界もまるごとあたためて逝きましょう!!」ということになるのだと思います。拙い表現力ではございますが、最後までご静聴いただきありがとうございました(今後とも鉄砲玉48の活動をよろしくお願いいたします!!)。
ありのままの自分を表現することは、怖いことかもしれない。ただ、自分を取り繕ったままで生きることのほうが、よっぽど恐ろしいことだと思う。勇気と呼ばれるもの、自分の中にあるものを「出す」と決めたひとを、神様は見捨てたりはしない。出すほどになにかを得るということは、多分、真実だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2018年1月16日
坂爪さん
初めまして、こんにちは。
いつもブログ拝見させて頂いております、◯◯◯◯と申します。
坂爪さんてほんとうに素敵な言葉を自由に巧みに綴る方だなぁと、常々思っていたのですが
今日は直近2日間のブログを読み、唐突にふと「あぁ、そろそろ坂爪さんに私の考えも聞いてもらいたい」と
思いましたのでご連絡いたしました。
坂爪さん、私は人生で一番大事なことって「人とのつながり」なのではないかと思うのです。
【人間はひとりでは生きられるようにはつくられていないように思う】まさにその通りなんじゃないかと、私も思うのです。
逆に言えば、人は誰かと、何かとつながりを感じる瞬間にこそ最高の幸せを感じるのではないか、と。
人と人とのつながりがあってこそ、人が成立ち、温かい循環がうまれ、世界がそれこそ平和になるのではないか、と。
「つながり」って「人間本来の純粋無垢な喜び」ではなかろうかと、そう感じています。
人ってもしかしたら、常に誰かのために自分の何か(坂爪さん的にいうサムシング!)を渡したいと思っていて、
(それは物質的な何かでも、目に見えない大切な何かでもどちらでも良いのですが)
それが相手に渡ったときに嬉しくなり、相手の笑顔や感情に触れた時には自分の心にもじわっと温かい心地よい気持ちが生まれ、
その温くて心地よい気持ちは自分を満たし、喜びを、幸せを感じ抜くのだと思うのです。
これは「つながり」からしか生まれず、むしろ、誰かと何かの「つながり」があるからこそ生まれる、とっても純粋な何かなのでは、と。
これがこんなにも沢山の人が溢れる世の中で、人と人とがつながりあう根本的な大事なことなのではと思う訳です。
極端に人のよいところにフォーカスしてしまっているかもしれませんが、本来の人ってきっと、
「善きこと」(相手の為が、廻り回って自分の為になるようなこと)を行うべき動物なのではないでしょうか。
そう思うと、恐らく多分神様は、人に「悪いこと」をする能力はもともと与えてないのではないか、とも思うのです。
だから、自分の行為は相手の迷惑になるのではないかとか、これをしたら嫌われるのではないかとか、
そういったギスギスした感情を持つ必要って一切なく、自分が相手のためにしたいことを純粋に誠意をもって行うことが
結果相手も自分も幸せする究極の方法の1つなのではと感じます。
「世の中にいい感じの風を吹かせる」
だからきっと、坂爪さんの行動は幸せをいい感じに循環させているのだと思います。
沢山のつながりを生み、人を想い、何気なく言いだしっぺになっている活動全てが既に【いい感じの風を吹かせてる】のだと思います。
つらつらと思うがまま言葉を羅列してしまいました。読みにくく、理解に乏しい文章でしたら誠に申し訳ございません。
だけど、私もこうに思っているよ!ということをどうしても坂爪さんにお伝えしたくて文章をつづったのだと、
それだけ感じていただければ私はとても嬉しいです。
いい感じの面ばかり書きましたが、勿論私も人間なので、人のつながりから生まれる行動に理解に苦しみ
「この人は何をどうしてあの行動をしたのか」など悶々とすることも勿論あります。
だけれど今年は、だからこそ「人の不完全さを愛する」ことを目標にしたいと思っています。
人は善いことで溢れていながらも、不完全だからこそ愛おしい。
多くのネガティブなニュースがあっても、人の善いこと、不完全さを見れる人間に私はなりたいと思います。
これからも坂爪さんの幸せを生む行動、楽しみに応援しています。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました(^^)
◯◯◯◯
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu