いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

すべての恐れがなくなったら、人は愛することしかしなくなる。

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新潟から熱海を経由して横浜に立ち寄り、東北新幹線で岩手県一ノ関駅に到着をする。宮城県気仙沼市岩手県奥州市で開催されたイベントに登壇(?)したのちに、いま、仙台駅構内にあるカフェからこの記事を更新している。連日の移動で頭がイカれたのだろうか、季節の変わり目だからなのか、最近はさみしさを覚えることが多い。さみしさだけではない、自分の生き方に対する「このままでいいのか」感も強く覚えている。

 

私は有名になりつつある。街角で声をかけられる場面や、書籍出版や各種メディアへの出演依頼も増えた。有名になることと「幸せになること」はまったくの別物で、有名になればなるほどにイメージが一人歩きをするようになる。出会う人々の多くは「目の前にいる坂爪圭吾」ではなく「イメージとして先行をしている坂爪圭吾」と話をする。これも仕方のないことなのだなと思いながら、誰もおれのことを見てはくれないのだなと湿っぽい気持ちになることもある。しかし、冷静に考えて見ると「有名になる前から、お前は人と話をしていても『人と話している』と思えていないことが何回もあったじゃないか」ということを思い出す。

 

さみしさを溜め込み過ぎた。

最近はさみしさを覚えることが多く、瞬間瞬間に生まれては消えていくさみしさもあれば『ああ、このさみしさは昔から無意識に溜め込んできてしまったものだな』と感じるものもある。さみしさの正体はなんなのだろうかと思いながら、いまだに突き止めることはできていない。そして、おれはいつまでこのさみしさを抱えて生きるつもりなのだろうかと、死ぬまでこれを抱えて生きるつもりなのだろうかと、否、さみしさを抱えていることを悪いことだとは思わないけれど『そろそろこのさみしさにケリをつけにいこう』と思っている自分もいる。

 

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己をぶちまけて輝け。

昨夜、こんなメモ書きをした。 

 

もう、こんな生き方はやめよう。大衆に迎合するような生き方は終わりにしよう。必要としてくれる人に自分を合わせる生き方はやめよう。これで死んでしまうなら仕方がない、その時は死んでしまおう。媚びることはできない。愛想笑いも作れない。この先に見たいと思える景色があるとも思えない。ダメになるかもしれない。破滅するかもしれない。それでも、仕方ない。俺はどうしようもなく俺なのだと思う。それならば、己をぶちまけて輝け。祈るように、歩みを進めていこう。

 

生き方を変える時期が来ているのだと思う。他人の必要に応えるのではなく、自分の必要に応える時期が来ているのだと思う。様々な人々が、様々な形で自分のことを形容する。他人だけではない、自分自身も「自分はこういう人間だ」と、自分のことを決めつける。しかし、どれだけ多くの形容をされた(してみた)ところで、自分の中にある部分は「それだけじゃない」と叫んでいる。この「それだけじゃない」と叫んでいる部分を、自分さえも知らなかった自分の部分を、しっかりと外側に出してやるということ。

 

ー それが、表現をするということだと思う。

 

すべての恐れがなくなったら、人は愛することしかしなくなる。

自分を説明したりだとか、説得したりだとか、正当化してみたりだとか、多分、そういうものの一切は不要なのだと思う。自分でもまるでわかっていないほんとうの自分を、誰か【自分や他人】に説明なんてできるはずがない。説明をした瞬間に、自分の中にある部分が「それだけじゃない」と叫び出す。自分の中にある矛盾、自分の中にある弱さ、自分の中にあるグチャグチャな部分を、統合するでもないままにまるごと前面に打ち出すこと。醜いなら醜いまま、ダメならダメなまま、自分を外側に打ち出すということ。

 

 

溜め込み過ぎたかなしみを、溜め込み過ぎたさみしさを、外に出してやる時期が来ているのだと思う。自分のことなんてわかってもらえなくてもいいなどと突っ張りながら、実際は「わかってもらいたくてたまらなかった」のだと思う。愛しているとか愛していないとか、そういうものを飛び越えて、ただ、そのままであることを許して欲しかったのだと思う。期待されている枠の中に自分をあてはめることで「生きる許可」を得るのではない、ただ、自分はどうしようもなく自分であるということを、誰かに許して欲しかったのだと思う。

 

 

岩手県奥州市で開催されたイベントの後に、参加者の方から「心の奥にある隠しても隠しきれないほんとうのことを言われると、涙が出る」と連絡が届いた。なぜ、涙は流れるのだろうか。すべての恐れがなくなったら、人は愛することしかしなくなるという言葉を聞いた。愛することを恐れる時、愛されることを恐れる時、生きていくことを恐れる時、自分はなにを恐れているのだろうか。許せない何かを「許す」方向に舵をとる。そのための戦いを、いま、この瞬間も多くの人々が人知れずおこなっているのだということ。自分の歌を歌うということが、いつの日か「自分を許す」ことにつながればいいと思う。 

 

 

 

坂爪さん

 

今日はリアルでお会い出来て嬉しかったです。ありがとうございます。

 

前ならえが得意です。
だけど生きづらいです。
わたしは人と繋がりたい

 

と、おはなしされていた女性のことばに泣きそうになりました。
今更ながら、ハグすりゃよかったと後悔してます。

 

自分の心の奥にあることをえぐられたと思いました。心の奥にある隠しても隠しきれないほんとうのことを言われると、涙が出ますね。帰りの車の中で、あたたかい涙が垂れました。

 

嫌っていいし、
お前くそだなって罵ってもいいし、
罵らなくてもいいし、
誰かに合わせなくてもいいし、
合わせてもいい、
好きなことしまくって、
罪悪感を抱いてもいいし、
いい子でいなくてもいいし、
いい子でいてもいい。

 

愛されなかった(と思ってる)自分、
我慢して好かれようとしてた自分、

 

もうどんな自分でも大丈夫だからね。と、自分を抱きしめております。

 

『すべての恐れがなくなったら、人は愛することしかしなくなる』

 

坂爪さんのツィッターを見て、心にずんずん響いてきました。

 

わたしが、分かち合うことができる得意分野は、風俗という世界なのですが、あぁこれでいいのだと、自分に対し頼もしい気持ちになりました。

 

目を通してくださって、ありがとうございます。
自分のことばかり書き連ねて、スッキリしました(笑)

 

今度は、熱海か菊名に馳せ参じたく存じます。

 

追記
お花を差し上げたときの坂爪さんのキラキラした眼差しに、やられました。すごく美しく、なんて可愛らしいのだろうと。

 

 

 

 

 

 

 

 

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すべての恐れがなくなったら、人は愛することしかしなくなる。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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