いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生きとし生けるもののうえに幸いあれ。

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ごちゃまぜの家にはWi-Fiがない。その為、わたしは最寄りのデニーズまで無料Wi-Fiを拾いに、えりか姫は自宅から徒歩10分弱の場所にあるファミリーマートまで毎回無料Wi-Fiを拾いに行く『Wi-Fi乞食』的な生活をしていた。その暮らし振りを見るに見かねた東京都江東区在住の女神K様が「それはあまりにも大変でしょ!Wi-Fi代金程度ならわたしが出すから一刻も早く導入しちゃいなさい!インターネットはあなたたちの生命線でしょーが!」 ということで、ごちゃまぜの家に高速Wi-Fiを設置してくださることになった。神様はいるのだと思った。そして「生かされている…」と思った。ごちゃまぜの家の基本コンセプトは「必要とされる限り続き、必要とされなくなった瞬間に散る【生かされる限り続く】」というものになる。

 

 

生かされている限り続くというこの在り方を、わたしは、結構気に入っている。無理をしてまで続けない。延命措置に未来はない。誰かに必要とされる限り、多分、(宇宙的なサムシングの力が働いて)何かしらの形で我々は生かされるであろう、逆に言えば『生かされない』ということはいまの世界に必要ないということなので、その際は自然の摂理に従って散りたい(新しい別の何かを試すことにしたい)と思う。あとはやってみなければわからないということで、一ヶ月の月日が流れた。非常にありがたいことに、現状、ごちゃまぜの家は「みなさまに生かされまくっている」状態の中にある。ありがたすぎて血反吐が出る。自分の中でバランスをとる(自分にも何かできることで恩廻しをしなければ壊れてしまう!壊れてしまうよ!と思った)ために、おはなを配ることにした。おはなが欲しい方はお気軽にご連絡をください。おはなは最高だと思います(おはなのある生活は素晴らしい!)。奇跡的にタイミングさえ合えば、小生、あなたがお住いの場所までおはなを届けにあがります!!

 

【イベント情報】おはなをあげに、いかんばなんね。

 

延命措置に未来はない。必要とされる限り生かされる。 

「もてなさないことがおもてなし」をモットーに、ごちゃまぜの家が誕生して一ヶ月の月日が流れた。来客があっても特段何もしない。ごちゃまぜの家は、別名『好きにやっちゃっ邸(ダサっ!)』でもあるために、やりたいことがあればストレートにそれをやればいいし、やりたいことがなければ何もしないでいればいいのだと思う。そのため、来客があっても(自分のこころが「何かをしたい!」と思わない限り)基本的に放置をする。この瞬間、それなりに我々のこころはざわついている。もっと話した方がいいのかなとか、もっとおもてなしをした方がいいのかななどと考える頭意識を一回無視して、自然な流れに任せる。「何かをした方がいい」と考える頭意識ではない、自分のこころが「何かをしたい」と前のめりになれるあの感覚を大切にしている(たとえば、話したいと思ったら喜びと共に話しかけるけれど、なんとなく『話さなくちゃいけない』的な雰囲気にはなるべく流されないようにしている)。5分で帰る人もいれば、24時間滞在をするひともいる。どのような気持ちなのかは当の本人しかわからない。もしかしたら謎に傷ついたひともいるのかもしれない(いないかもしれない)。ただ、はるばる関西から遊びに来てくれた方からこんな感じの連絡をもらった時は嬉しくなる。

 

坂爪さん

 

おはようございます。

 

昨日お邪魔させていただいた◯◯です。

 

良い空気を感じさせていただいて、
本当にありがとうございました!

 

「何をしなくてもいい」ということが
ごちゃまぜの家の空気を感じることで初めて実感できました。

 

そういえば、本当に久しぶりに、人前で横になって休んでいたような気がします。

 

本当にありがとうございました!!!

 

私のことはほとんどお話しできませんでしたが、
あのごちゃまぜの家の空気を作っているのは間違いなく坂爪さんだと思いますし、
本当に感謝しております。

 

なのでというか、一方的にメールを送らせていただきましたので、返信は不要です。

 

これからも関西から陰ながら応援しております。
自分自身もやりたいことに向けて命を燃やしていこうと思います。

 

◯◯◯◯

 

一歳五ヶ月の赤ちゃんと来てくれたお母様からも、後日、うれしい連絡をいただいた。この前の土日は(土日ということもあって)大量の来客に空間はごちゃまぜった。来客のみなさま、大小様々な差し入れを持って来てくださるものだから、現状、ごちゃまぜの家の食材は豊富だ。我々管理人(えりか姫&つるの仁美)を含めた住人は滅多に料理をしない惰性的な人間なので、このままだと貴重な食糧を腐らせてしまう。これではいけない。どなた様か、えりか姫かつるの仁美さんに料理を教えてくださる方がおりましたら、彼女たちに直接コンタクトを取ってみていただけたら猛烈にうれしいです。文面だけだとなかなか伝わらない部分もあるとは思いますが、えりか姫もつるの仁美さんも、性根は素直でとっても優しい女の子(美形!)です。彼女たちの連絡先は、ひとつ前の記事『頭がいいってことは、ひとの気持ちがわかるということ』をご参照ください。

 

圭吾さん

 

こんばんは。

 

昨日、今日はありがとうございました!
◯◯(こどもの名前)はすんなり寝てくれました。

 

出向く場所があって、迎えていただけて
ありがたい気持ちでした。

 

◯◯(こどもの名前)と遊んでいただけて嬉しかったです。


さっきツイキャス聞いてました。

 

圭吾さんが全部過去のことと言ってたの、いいなと思いました。

 

私が最近ハマってるのは
1秒1秒新しい自分に生まれ変わってるって意識して生活することです。

 

ごちゃまぜの家に居たら めちゃめちゃ細胞が生まれ変わってる気がしました。

 

普段の家にいる時と思考回路が変わっちゃうようです。

外出たほうがいいですね。
しかも気持ちいい人がいると。
気持ちいい場に来られて気持ちよくなったので、まわりの人にもちょっとでもそれがうつればいいなと思います。


自分の話はする価値がないと思ってる人が多いと思うというくだり、まさに!でした。

 

言っても意味ないかな、面白くない人だと思われるのが嫌だな、話すのがこわいなーとかそんなふぅに思って言えなかったことがありました。

 

話しながらも自分、いい人に思われようとしてんなーー!とかこんなこと言ったら嫌われちゃうかもしれないからよしとこー!とか
思ってたなー、そんな気づきがありました。


このような場をありがとうございます!!

 

あでゅー!

 

◯◯◯◯

 

小さなこどもと長い時間一緒にいると、蹴り飛ばしたくなる瞬間もあると思う。こども1人に対して、大人は3人は必要である(ように思う)。ごちゃまぜの家を通じて、お母さんの負担が少しでも軽くなれば嬉しい。これは余談になるけれど、先日、えりか姫とつるの仁美さんと『真夜中のツイキャス音声配信』をした。えりか姫は現在14歳、この前、実の母親とのバトル(?)に同席をする機会に遭遇をさせていただいたのだけれど、えりか姫がお母様に向かって「わたしのことはもう大丈夫だから、わたしのために生きないでいいよ。お母さんは、お母さんのために生きて。」と伝えた瞬間には、なんだか感動をしてしまった。腹を割って生きれば、多分、毎日はドラマになる。母親と娘という関係性は、母親と息子という関係性とはまるで異なる性質を帯びたものになるのだろう。是非、勇猛果敢に突破をしていただきたいと思う。

 

【音声配信】Recoded Radio ごちゃまぜの思想 - いばや #384328615 - TwitCasting

 

わたり文庫『梅原猛の授業 仏教

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、梅原猛著作『梅原猛の授業 仏教』です。お釈迦さまの言葉には非常に素晴らしいものがいくつもあると思っているのですが、とりわけ、こちらの本の中で紹介されているお釈迦さまの言葉の訳が超絶素敵だったので、僭越ながら(ちょっと長くなりますが!)引用をさせていただきます。説教臭いところがたまに疵ではありますが、梅原さんの言葉は非常にわかりやすい。この時期の梅雨の夜長、雨音を聞きながらひとり静かに仏道入門をするなんていかがなものでしょうか。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、埼玉県にわたりました ※※※

 

よく教えの道理を会得したるものが

自由の境地をえてのちに為すべきことはこれなり

有能、率直、そして端正なること

よき言葉を語り、柔和にして、高慢ならざること

 

足ることを知りて、養い易きこと

雑事にかかわらず、簡素に生きること

五根を清らかにして、聡明、謙譲なること

檀越(施主)の家におもむいて貪りなきこと

 

卑賤のわざをなして識者の批難をうくることなかれ

ただ、かかる慈しみをのみ修すべし

生きとし生けるもののうえに

幸いあれ、平和あれ、安楽あれ

 

目に見えるもの、また見えざるものも

遠くにあるものも、また近きものも

すでに煩悩尽くるものも、また尽きざるものも

生きとし生けるもののうえに幸いあれ

 

あたかも、母性がそのひとり子を

おのが命に代えてまもるがごとく

生きとし生けるもののうえに

かぎりなき慈しみの思いをそそげ

 

また一切の世間にたいして

かぎりなき慈しみの思いをそそげ

上にも、下にも、また四方にも

うらみなく、敵意なく、ただ慈しみをのみそそげ

 

梅原猛梅原猛の授業 仏教』【朝日文庫

 

生きとし生けるもののうえに幸いあれ。

昔、ボロボロの状態で京都にある三十三間堂に足を運んだことがある。その時のわたしは家のない生活をしていて、呼ばれた場所に移動を続ける日々を過ごしていた。家がない生活はそれなりにエキサイティングで軽快な部分ももちろんあれど、体力的に厳しいと感じる瞬間も頻繁にあった。いいひとと出会うことが大半だったけれど、稀にボロクソに扱われる瞬間もあった。京都にいた時は、多分、ボロクソに扱われた直後だったのだと思う。まともに横になれない日々が続き、精神的にも肉体的にも疲弊をしていた。 そんな時、足を運んだ三十三間堂の奥の方に、小さな看板が掲げてあった。その看板には「大切なひとのために祈りましょう」と書かれていた(ように記憶をしている)。

 

 

大切なひとのために祈りましょうという言葉に、わたしは心臓はドキン!と鳴った。疲弊を言い訳に、わたしは、自分のことばかりを考えてしまっていた。誰かに自分の気持ちをわかってもらいたいとか、誰かに寄り添ってもらいたいとか、誰かに何かをして貰うことばかりを求めてしまっていた。大切なひとのために祈りましょうという言葉は、その瞬間のわたしに「自分のことばかりを考えているんじゃないよ」と言っているように思えた。大切なひとという言葉を通じて、家族の表情、友達の表情、自分が好きだと思うひとたちの表情が目に浮かんだ。そして、疲れていたはずのココロやカラダが元気になるのを感じていた。多分、自分のことばかりを考えている時にはなかなか湧き出すことのないパワーが、この世界【人間の奥底】にはあるのだと思う。その力は、大切なひとを思う瞬間に発揮をされて、結果的に「勇気百倍、自分でもびっくりをするような力になる」のだと思う。

 

 

仏教における重要な概念は『慈悲』だと聞く。お釈迦様は『(西洋的な)愛』ではなく『(東洋的な)慈悲』という言葉を使う。大切なひとを通じてだけではなく、動物や昆虫や植物や自然界のあらゆるものを丁寧に扱うことができた時、それは『自分自身を大切に扱っている』ことに繋がるのだと、多分、そういうことを言いたかったのだと思う。誰かに自分のことを好きになって貰うということは、自分のコントロールの範囲を超えている。しかし、自分から「何かを好きになるための自由」は、常に掌の中に残されている。大切なひとのために祈ること。愛されたいと願う前に、まずは自分から愛すること。マザーテレサは「人間にとってもっとも悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない、自分はこの世に不要な人間なのだと思いこむことだ」と言う。そしてまた、原世の最大の悪は、そういうひとに対する愛が足りないことだと言う。自分のことを愛してくれる誰かを見つけることではなく、自分から愛していける『何か』を見つけること。矛盾するような話になるけれど、自分から先に愛していきたいと思う時、ああ、自分はとっくの昔から愛されていた【すべては優しさで織り成されていた】ことを理解するのだと、そういうことを考えていた。

 

 

人生は続く。

 

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