いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

執着を捨てると、ジュテームが残る。

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わたしの信条のひとつに「1日1F」というものがあり、ここで言うFとは『FEAR(恐怖)』を指す。1日1回は自分のコンフォートゾーンを超えて積極的に自分のこころをざわつかせていきたい(自分が恐れていることをやりたい)と思っているのだけれど、ざわついたらざわついたなりにそれなりのダメージをくらい続ける日々を過ごしている。数日前、女性K様から「わたしは坂爪さんのことが好きで、でも、それは恋愛的な『わたしのものだけになって!』的な好きではなく、坂爪さんと会えたひとは幸せになると思うからどんどんいろんな女性に会って欲しいなって思うし、極論、誰と寝てもいいって思っているんです」的な言葉をいただき、わたしは非常にざわついた。非常にざわついた旨を直接お伝えすると、K様も「わたしも、まさかこんな心境に自分がなるとは思わなかったので感動をしています」と話してくれた。このあたりのことは、まだ、うまく言葉にできないために時間を置いてから(機会があったら!)まとめます。

 

 

わたしの友達M様(女性)には、現在、自分の家がない。いま、M様は友人カップル【どちらも20代】の家に居候をしている。居候をしながら、M様は友人カップルの男性と意気投合をしてなんだかいい感じになった。その後、非常に驚いたことに、いまでは友人カップルの女性側も公認で「三人で付き合っている(?)」という稀有な状態が生まれている。わたしは、この話を聞いた時に「拡張している…(友人カップルの女性側は偉大だな!)」と思った。恋愛も結婚も職業も家族も住居も、これまでは「ひとり【ひとつ】に集中するもの」というスタイルが王道だったけれど、それによって生まれる『窮屈さ』に押し潰されそうになっているひとは大量にいる。わたしはこれからごちゃまぜの家なるものをやろうとしているけれど、ごちゃまぜ(ある種のカオス)という言葉の響きの中に、何かしら『未来の在り方【可能性】』なるものを勝手に感じている。

 

【過去記事】家族は音楽になる。プレイリストを作るように家族を作ろう! - いばや通信

 

南国の島では「こどもを共有」する。 

ニュージーランドの北にあるフィジーという南の島は、過去に世界幸福度調査で一位になったことがある。フィジーの国民性は「とにかくテキトー」で、北欧のように社会福祉が充実している訳でもなければ、ブータンのように国策として幸せを追求する訳でもない。とにもかくにもなんでもかんでも共有をするために、モノやお金に困ることはない(と聞いた)。共有をするものはモノやお金に限らず、自分のこどもでさえも「(こどもができなくて困っている夫婦から)こどもをください」と頼まれた時など、即決であげちゃうということもあるのだと聞いた。日本の常識に照らし合わせて考えると「なんだか非常にざわついてしまう」ようなことを、海の向こう側では日常的にやっているひとたちがいる。そのような現実に触れた時、ああ、人間の可能性ってすごいんだな(なんでもありなんだな)ということを思う。

 

ただそこに揺るぎなく在ること。

前回の記事で「父親の不在と女の沼」にまつわる内容を書いた。それを読んでくれた方から、昨日、一通のメールが届いた。その内容があまりにも素晴らしいと思われたために、長くなりますが引用をさせていただきます。わたしは、なんだか重苦しい表現になるけれど「現代社会は父親が不在である」と感じることがある。肩書き的な意味での父親は各家庭にひとりはいるのだろうけど、真の意味で『父親役を務めている』ひとは、もしかしたら極端に少ないのかもしれないと思うことは多い。そして、父親の役割を父親以外の母親やこどもたちが必死で埋め合わせようとはしてみるものの、どこかしらに無理が生じて「結果的に集合体全体が磨耗をしてしまう」ことは結構多いんじゃないのかなと思うことは多い。

 

坂爪さん、こんにちは!

 

更新されていたブログを読んで沢山思うことがあったので、長くなってしまうかも知れませんが、書かせて頂きたいなぁと思い、メールを送らせて頂きます。

 

今月の12日(金)、岡山市でお話をさせて頂いた、◯◯◯◯です。

 

坂爪さんとお会いした日、沢山泣いて、凄く安心した後に、「今の自分の中で、坂爪さんってどういう人なんだろう?」ということを考えていました。

 

沢山言葉は出てくるのですが、「サッと吹いてサッと去っていく、けど強烈な問いの竜巻みたいな人」、そして「お父さんみたいな人」という言葉が、一番しっくりくるなぁと思いました。

 

私は自分の育った家庭に、ずっと「お父さんが居ない」と思ってきました。
肩書き的なお父さんは居るけれど、いわゆる大黒柱と呼ばれるお父さんは、居ない。
だから、母や兄弟、私が頑張って、柱抜きのこの家を支えなければならない。
父も、自分に果たせない役割を背負って毎日家に居て苦しかったと思うので、父を責めるつもりは微塵もないのですが、私も家に居るのがとっても苦しかったです。

 

今は、兄弟も私も家を出て、両親は数年前から別居をしていて、今、実家で暮らしているのは母だけで、実家に帰っても、父と暮らしていた頃の重苦しさやプレッシャーは無くなって、ある意味ラクにはなりました。

 

でもその代わり、「父親が居なかった、父親が居ない」という寂しさだけは、私の中に強く残っていました。

 

そういう寂しさを抱えていたから、きっと坂爪さんにお会いしたとき、話したくない言葉以外、きっと話されていない、口にしたい言葉、必要な言葉(だと私は感じました)だけをキチンと、ストレートに言葉にしてくれる、ただそこに揺るぎなく在ってくれる、そんな坂爪さんに対する『柱(お父さん)』のような感覚に、心底安心したのだと思います。

 

◯◯さん(その時一緒にお茶をしていた女性)は、泣いている子ども(私)をあやしているお母さんみたいで、「ああ、私は本当に子どもだったし、今本当にMAXで子ども(赤子)なんだなぁ」ということを、坂爪さんと◯◯さんとお茶をしているときは思って、あの場所にただ居ました。

 

心境を言葉にすると

「沢山、沢山、苦しかったけれど、私にお父さんは居るよ、お母さんも居るよ、ちゃんと全部在るよ、大丈夫だよ」

という言葉になるのではないかと思います。

凄く凄く救われました、ありがとうございます。


あと、吉備団子、喜んでもらえたみたいで嬉しいです。


「もしよろしければ津山の支援者の方に」とお話をさせて頂いたとき、「押し付けがましいかなぁ」「迷惑かなぁ」と思っていのですが、お子さんにとても気に入ってもらえたとのことで、本当に嬉しいです。

 

苦しい思いをしながら育った場所が私にとっての津山だったので、私は、津山が嫌いでした。
でも、きっと多分、ずっと許したかった場所でもあったのだと思います。


ブログに引用されていた津山市の支援者の方からのメールを読んで、何だか津山に恩返しができたような気持ちになって、許せた気がして、そして『幸せの置き土産』という支援者の方の言葉に許された気持ちになって、また涙が出てきました。嗚呼、私にも繋ぐことの出来る幸せがあったのか、って思って、安心しました。

 

渡して頂けて、そして津山の方に受け取って頂けて、喜んで頂けて、本当に嬉しいです。ありがとうございます。

 

坂爪さんにお会いしてから、道端に咲いている花や、建っているビルや、道行く人々や、空、今私の周りにあるものをただ眺めているだけで、じんわり嬉しくなって、何故だか泣けてくる日々を過ごしています。


とっても幸せです。


私は、もっと人を、そして自分を大切にしても良いのだ、大丈夫なんだと思えています。

 

頂いたお花も、『◯◯は黄色がよく似合うね、可愛い!』と、黄色の髪留めを使って髪を結ってくれたときの母の言葉と、そのときの嬉しい気持ち、お気に入りだった黄色の髪留めを思い出しながら、毎日愛しくお世話させて頂いています。

 

何度も言いますが、ありがとうございます。

 

菊名のお家も、こうして幸せが繋がっていく、凝り固まっていたものが、どんどん溶けて、溶け合って、まざりあって、新しい色が生まれていく、そんなお家になれば、訪れる人の幸福がどんどん増えるお家になればと、心よりお祈りしています。頑張って下さい!

 

(もしご迷惑でなければ、私で何か出来ることがあれば、お手伝いさせて下さい)

 

とりとめのない長文になってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

坂爪さんに幸福あれ。

 

今日がステキな一日となりますように。

 

いま、改めて読み直して「素晴らしい文章だな!」と感動をした。大黒柱という言葉に、わたしは「ああ、必要なものはこれなのかもしれない」と思った。これまで、家庭の大黒柱になるということは「家の外で必要なお金を稼いで家庭を支えること」を意味していたのだと思う。要するに『経済的な大黒柱』になることを指すのだと思うのだけれど、多分、これから必要になるものは『精神的な大黒柱』なのだと思う。これは、特別な男性が特別的に担うものではなく、ひとりひとりが、ひとりひとりの中に「精神的な大黒柱を築くこと」が大切であるということだと思う。うまく言葉にすることができないけれど、そのためのヒントが「ただそこに揺るぎなく在ること」という言葉に凝縮をされているような気がする。

 

 【過去記事】生き方を間違うことはあったとしても、生まれてきたことに間違いはない。 - いばや通信

 

『世界でいちばん非常識な幸福論』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、永崎裕麻著作『世界でいちばん非常識な幸福論』です。こちらの本は、昨夜代々木上原でお蕎麦をご一緒させていただいた方から譲り受けた一冊になるのですが、フィジーの話を聞いていたら「フィジーツアーなるものを企画したら、自分ひとり分の渡航費くらいはどうにかなるものなのかなあ」などとふざけたことを考えはじめるようになってしまいました。フィジーに行きたい!!(坂爪圭吾は、6月以降の予定はほぼほぼFREE!です!)。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

ある時、私もフィジー人と出会い、彼らが「世界でもっとも幸せを感じている民族」であることを知りました。そして共に暮らすことで、日本人の私たちからすればあまりにも非常識だけれど、着実に幸せを引き寄せる習慣をフィジー人は持っていることも知りました。

 

1・モノもお金も子どもでさえも「共有」すること

2・「テキトー」に生き「テキトー」を許すこと

3・過去と未来のために生きることをやめて「現在に集中」すること

4・他者との「つながり」に価値を置くこと

 

フィジー人に教えてもらった「幸福の習慣」を彼らに代わってお伝えをしたいと思い、書いたのがこの本です。フィジー人の幸福の習慣は一見すると、非常識なものばかりです。たとえば、財布から勝手にお金を抜かれることがあります。しかし、借金したお金さえ物乞いに渡してしまう親切な一面もあります。多くのお店の店員がマニュアルを守らずテキトーです。その代わり、お客さんもテキトーなのでモンスタークレーマーも存在しません。過去と未来をあまりにも気にしないので同じ失敗ばかり繰り返します。けれども、そのおかげで小さなことにクヨクヨすることがありません。

 

永崎裕麻『世界でいちばん非常識な幸福論』【いろは出版

 

【参考HP】わたり食堂・わたり文庫

 

執着を捨てると、ジュテームが残る。 

誤解を恐れずに言うと、愛と呼ばれているものは「自分を使ってそのひとを幸せを願うもの」ならば、執着とは「そのひとを使って自分の幸せを願うもの【要するに自己愛】」なんじゃないのかな、歌謡曲とかメロドラマで語られる愛の9割は「ただの執着【要するに自己愛】」なんじゃないのかな、と思うことがある。いや、愛情のすべては自己愛に過ぎないのだと言ってしまえばそれでおしまいになるのだけれど、乱暴にまとめると「ひとに自由を与えるものが愛ならば、結果的になんだかいろいろ面倒くさいことになるものが執着」だと思う。執着や束縛や依存の度合いでお互いの愛情を測るのは、なんだかとっても不健全だ(それで一番つらくなるのは当事者だ)と思う。

 

冒頭で「(女性K様から)誰と寝てもいい」という言葉をいただいた、という旨の出来事を書いた。わたしは、この言葉に触れた瞬間に「ああ、このひとには敵わないな」というある種の敗北感を覚えた。この敗北感には、説明することの難しい『ひれ伏すことの嬉しさ』がある。うまく言葉にすることはできない。ただ、敗北することは悔しいけれど、完敗することは嬉しいのだ。まるで途方もなく大きな愛に触れたような、そういう気持ちになって逆に『K様は偉大すぎてやばい!』みたいな気持ちになって震えた。なぜに自分は震えたのだろうかと考えてみた時に、多分、K様には「一切の執着がない」からなのだと思った。執着がまるでないひとを目の前にした時、自分の中にある「自分でも意識することのなかった執着や固定観念」が浮き彫りになって、ああ、おれは、ああ、おれは、みたいなことになるのだと思う。

 

自分がやりたいと思うこと、自分のこころが「こっちに行きたい」と思う時、それでも『一般的な常識が邪魔をしてなかなかうまく進めない』と感じることは往々にしてある。ただ、自分のこころが「いろいろあるけどこっちでしょ!」と思うのであれば、ひとと同じであることよりも「自分のハートがいいなと思う方向」に、舵取りをしていきたいとわたしは思う。いまはまだ理解者は少ない道だとしても、数十年後の未来には、ね、やっぱりこっちだったでしょ的な感覚で一緒に笑うことができたなら、それは素晴らしいことだなと思う。少しだけ未来を先取りするということ、そして、数十年後の未来に「ね、やっぱりこっちだったでしょ」とみんなで一緒に笑うこと。理想の未来が訪れることを願うのではなく、未来を先取りして「勝手に早速生き始める」日々を過ごして生きたいと思う(これから東南アジア諸国に向かいますので、現地のみなさまはよろしくお願いいたします!!)。

 

 

https://www.instagram.com/p/BUN3rghjsHN/

完敗だよ。。。

 

人生は続く。

 

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