いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

仕事は好きだけど労働は嫌い。

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マウイの朝は早く、早朝5時から営業をしているカフェも多い。夜の8時には営業を終了してみなさま眠りにつかれるみたいで、日の出と同時に活動をはじめ、日没と同時に活動を終えるライフスタイルは素敵だな(ひととして自然だな)と思う。今回のマウイ滞在の裏目的のひとつに「極上の珈琲を探す!」というものがあり、マウイ島で栽培されている珈琲を提供してくださるお店を転々とする「コーヒー・ビーンズ・ホッピング」なるものを敢行している。ごちゃまぜの家が実現をしたあかつきには、世界各国の「これは美味しい!」と感動したもののレシピをかき集めて再現をする時間があっても、賑やかになりそうだなと思う【マウイ島アサイーボウルは最高でした!!】。

 

 

暇さえあれば海に向かっている。海にはいると体調も好調になるばかりか、傷や湿疹や精神的な疾患さえも治癒が早まるような感覚を覚える。数年前の夏、新潟の海に一ヶ月で50回くらい突撃していた時期があった。あの頃は「海に入らない日は調子が悪い!」みたいなことになって、どうしても海にはいれない日は水筒に海水を詰めて普通に飲用水として常用していた。昔、どこかの国のひとが飼い犬の血液を全部抜いて海水に入れ替えた(!)ところ、それ以降も、普通に庭を元気にピンピンと走り回っていたというマッドなエピソードを耳にしたことがあるけれど、海水にはおそるべき効果があるのかもしれない。人間の免疫力を高めるのは「日光浴・月光浴・海水浴・温泉浴・森林浴」の五つだと聞く。自然から遠く離れた生活を送るのではなく、できることならば、自然に近い生活を送りたいものだと思う。

 

LOVE&CHAOS!【ごちゃまぜの愛】

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マウイ島のハイクという街にある小学校で「フラワーフェスティバル」なるものが開催されていた。マウイ島の小学校は半端なくおしゃれで、遊具の種類も豊富でカラフルで、土地にも余裕があり、ああ、こんな場所で育ったらそれはもう健やかにお育ちになられるに決まっているではないですかという気持ちになった。庭の花壇には、多分、生徒が手作りをしたのであろう手書きの文字で「ALOHA」と書かれている。他にも、周囲には「LOVE LOVE LOVE」とか「WE ARE MADE FROM LOVE!」とか、見るもののこころを活気づける言葉の数々が並んでいた。

 

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顔面ペイントにこどもが群がる。

 

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尋常ではないかわいさに悶える。

 

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天使過ぎて「降参です…」みたいな気持ちになる。 

 

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悔しくなったためにわたしもココナッツミルクで対抗をしてみたものの、所詮、一匹のイエローモンキーに過ぎない坂爪圭吾が醸し出すことのできるカラフル感には限界があった。もうちょっと髪の毛が伸びたら、限りなく真っ白に近い金髪に染めてやりたい気持ちになる。前回の記事でも書いたけれど、わたしは根本的に「カラフルであること【ごちゃまぜであること・ある種のカオスであること】」が好きなのだと改めて思う。どうしたって画一的なものになりがちな日本社会(こんな書き方をすると固くなる!けど!書いちゃう!)において、つむじまがりな異端児の存在、周囲に溶け込むことのない独特の色あじの持ち主の存在、個性的でカラフルな個体の存在は、うまく言葉にすることができないけれど「人類全体の生き方に幅を生み出す」役割があるように思う。逆に言えば、みながみな同じ色であることを強制される(それが普通とされる)世の中になってしまったら、それを全体主義とまでは言わないにせよ、単純に「そんな世の中はつまらないよなあ」と思う。

 

【過去記事】カラフルでご機嫌な世界を生きるために。 - いばや通信

 

エコでもいいし、エコじゃなくてもいい。

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マウイ島の街並みは本当にカラフルだなと思う。わたしの大好きな小沢健二さんの曲の中に「僕のアーバンブルーズへの貢献」という歌詞があるのだけれど、それに対抗をしない形で「僕のアーバンカラフルへの貢献」というものをやっていきたいという気持ちになる。アーバンカラフルとは何か。それは「どうしたって画一的なものになってしまいがちな都市(とりわけガストとかマクドナルドばかりが立ち並ぶ日本都市!) の中に、忽然と【神出鬼没的に】、ある種の異物感を醸し出すもろもろの営み」を指す(ことにします。正直に言うと、ただ、アーバンカラフルって言いたかっただけです!!)

 

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エコとか持続可能性とかアーバン・パーマ・カルチャーとか、新しい言葉はどんどんと生み出され続けていくけれど、わたしは「アーバン・パーマ・カルチャーに対抗をしない形で、『アーバン・パーマ・カラフル【URBAN PERMA COLORFUL】』という概念なんてどうでしょう!!」ということを思った。「地産地消」とか「持続可能な社会」とか「地球にやさしい生き方」など、こういう言葉はちょっと真面目に過ぎる(自分の場合、真面目スタートで何かをはじめたり、ある種の正義感を掲げてしまった瞬間に押しつぶされる傾向があります!)ので、なんだろう、もうちょっと軽いスタンスでいろいろなことに取り組めたらいいなあということを思った。エコでもいいし、エコじゃなくてもいい。カラダにやさしくてもいいし、カラダにやさしくなくてもいい。合理的(効率的)であってもいいし、合理的(効率的)じゃなくてもいい。正義をひとつに固定するのではなく、カラフルであることをお互いに楽しむことができたら、精神的な余裕も生まれる(結果的にいい感じの世の中に収まっていく)のではないだろうかと思う。

 

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頭が小難しいことを…

 

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考え始めた時は海へ…

 

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正しさよりも「わがまま」を掲げよう。正しさを掲げてしまうと、あとから苦しくなってしまう。わたしは思う。ひとの心を動かすものは正しさよりも「楽しさ」だ。自分の場合、正しさを掲げた(掲げられた)途端に息苦しくなってしまう。正義感は、それを他人に押し付けた瞬間に「暴力」になる。わたしは、だからこそ「正しさではなく、わがままを掲げたい」と思う。正しいから何かをやるのではなく、ただ、自分がそれをやりたいと思ったから(自分史上最高に「これが最高だ!」と思ったから)という究極的にエゴイスティックな理由から、すべての物事に手を出していきたいと思う。わがままと呼ばれても結構。自分勝手と呼ばれても結構。わがままであること、自分勝手であることが、結果的に「僕の【そして、私たちの】アーバンカラフルへの貢献」に繋がるのだと思っている。

 

仕事は好きだけど労働は嫌い。

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「仕事と労働は別物だよな」と思う。仕事は好きだけど労働は嫌いだと思う。わたしの場合、世間的な意味での仕事と呼べるもの(これで定期的な収入を得ています!と誇れるもの)は何もないために、社会的には「完膚なきまでの無職」ということになる。しかし、たとえばブログ記事を更新したあと(他には「おはなをあげたあと」とか「誰かとこころを通わせることができた瞬間」など)には、「今日もいい仕事をしたなあ」という非常に爽快な気持ちを覚える。逆に言えば、どれだけ大量のお金をもらったとしても、自分が好きでもなんでもないことをやっている時は、「ああ、いまの自分はクソだ!」みたいな気持ちになる。過去記事で「仕事なんてしている場合じゃない、遊べ!」などと豪語をしておきながら早速矛盾をするのだけれど、多分、わたしは(労働が嫌いなだけで)仕事は好きなのだと思う。

 

【過去記事】仕事なんてしている場合じゃない、遊べ! - いばや通信

 

ちょっと前から、いばや界隈で「レインボーアンサー【たとえるならば『問題を問題視しない生き方』】」という言葉が飛び交っている。この世の中にあるあらゆる問題は、それを問題と思うから問題になるのであり、逆に言えば「問題だと思わなければ問題にならない!」ということを思う。たとえば、わたしの場合、自分の家がなくなるという体験を通じて「いろんな場所に泊まれる場所が増える」とか「海外に呼ばれる機会が増える」とか「結果的に熱海に家を用意していただく」とか、問題を問題視しないでそのまま問題のど真ん中を生き続けることによって、白でもない、黒でもない、まったく新しい「レインボーアンサー」を手に入れることができた(なんて書くと偉そうで恥ずかしいけれど、ニュアンスだけでも伝わってくれることを祈ります!!)。世の中的に正しいかどうか、白か黒か、善か悪か、正解か不正解か、そういう一般的な尺度を飛び越える「レインボーアンサー」を叩き出すこと。それが、多分、最近のいばや界隈のひとたちの興味になるのだと思う(ような気がしている。少なくとも、わたしは、いまのところそんな感じです!!)。

 

フィリピンのマニラから一通のメールが届いた。繰り返しになるけれど、わたしは「先に行きたい」と思っている。現在の常識にはあまり興味がなく、これから常識になっていくもの【言うなれば未来!】に興味がある。時代が大きく変わろうとしているとき、多分、激しく拮抗をする『ふたつの大きな力』が働くものだと思う。ひとつの力は「変わることを拒む力【いまいる場所に引き戻そうとするもの・押しとどめるもの】」であり、もうひとつの力は「変わることを推し進める力【自分が行きたいと思う場所まで高めてくれるもの・引き上げてくれるもの】になる。ひとびとが口にしている言葉を注意深く観察してみると、多くの場合、このどちらかに分けることができる。いま、目の前にいるひとは「わたしが変わることを拒んでいる」ものなのか、それとも「わたしが変わることを推し進めてくれる」ものなのか 、これらを注意深く観察すること。(限られた範囲内ではあるけれど)自分の意識は自分で選べる(ものだと思う)。自分を過去に引きずり戻すような考え方ではなく、未来に推し進めてくれる考え方を、自分が行きたいと思う場所まで高めてくれる考え方を、引き戻すような考え方ではなく『引き上げてくれる考え方』を、採用していきたいと思う。

 

 

さかつめ けいごさん

 

こんにちは!先月のわたり食堂に参加しなかった、◯◯◯◯◯◯◯です!


ハワイからの投稿、お疲れさまです!
美しい自然に囲まれて、素敵な滞在をされているようで羨ましい限りです!


実は僕もいま、海外、それもフィリピンのマニラにいるのですが、海外に滞在しているから余計そう感じるのでしょうか、自分の好き、嫌いを明確に表明する勇気は、本当に本当に大切だなあと共感し、思わずけいごさんにメールを送信する心境に至りました。


マニラで現地の方々といろいろ話してみてわかったのですが、彼ら彼女らは陽気で素直な人たちが多くて、うまく言葉に出来ないのですが、ああ、日本人もこういう風に自然な感情を表に出せたら、もう少し生きやすくなるのかなあと、けいごさんの仰っていることを当地で反芻しています。


「旅は人に希望を与える」という言葉が僕は好きで、知らない土地に赴いて、知らない人と出会い、そこに身を置く、それらすべての瞬間が、生きることに勇気を与えてくれる、そんな意味あいの言葉ですが、僕自身、この言葉通り、希望を見いだして生きれたらなあと、午後のスコールに打たれながらぼんやり思っております。


個人的なお話、失礼しました。

ハワイでの滞在、ぜひこころゆくまで楽しんでくださいね!

僕もマニラ周辺で(暴漢に怯えながら)来月半ばごろまでステキな日々を送ります!

 

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人生は続く。

 

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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