いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

一夫多妻制を凌駕するネオ概念「一夫八百万妻制(通称『やおよろぷ』)とは何か。

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今回の記事は基本的にギャグなのであまり深刻に受け止めないでください(でも本人的には結構真面目です!)。クラウドファンディングの支援金額が300万円を突破して「これはいよいよ来るところまで来たな」的な気持ちになっている。今日は菊名の物件を、明日は大阪の物件を見る予定になる(長野県松本市にも自由に使わせていただける家の話が舞い込みました!)。何かをすると何かが起こるというのは世の常で、この企画を立案していなければ絶対に出会うことのできなかった数々の感動的な瞬間に立ち会うことができている現状を、いま、非常に気に入っている(春ですね!)。

 

 

前回の記事で「13日は菊名の物件を、14日は大阪の物件を見ます!」的な投稿をしたら、ブログ読者の方々から「もしよろしかったら同行をさせてください!」という非常にありがたいご連絡を立て続けにいただいた。結果的に、菊名の物件は総勢10名で、大阪の物件は総勢20名(車を出してくださる方も5名集まりました!)で内覧をすることになった。なんというか、もう、この時点で謎の軍団が形成をされつつあることがとても嬉しい(なんだか「大人の遠足」に行く前みたいな気持ちになる)。わたしの場合、新しい家が欲しかったというよりも「家を通じてこれまでにはなかった人間的なつながりが発生したらうれしい」などと思っていたので、あれ、あれ、あれ、これはもうすでにゴールをしているんじゃないだろうか(それ以外はおまけだよ【さあ、いよいよボーナスタイムのはじまりだよ!】)みたいな気持ちになる。

 

【過去記事】百点満点のテストで、一万点くらい取りたいんだ。 - いばや通信

 

みんなで母親になり、みんなで父親になる。

昨日、一夫多妻制を超える「一夫八百万妻制(いっぷやおよろずせい【通称・やおよろぷ】)」という新時代を生き抜くネオ概念を発明した。内容的には一夫多妻制(あるいは多夫多妻制)と同じになるのだけれど、わたしは大袈裟な言い回しを好むタイプの人間なので「わたしは生きとし生けるもののすべての父親【母親】である」的な意味を込めて、八百万(やおよろず)という言葉を採用した。一夫八百万妻制でも一妻八百万夫制でも別にどちらもでいいのだけれど、わたしは、この『やおよろぷ』という言葉の響きを気に入った(多分、やおよろぷと言いたいだけなのだと思う)。どうしても重く考えがちになることの多い恋愛や結婚や家族というものの在り方を、なんとなく、気分的に軽やかなものに変えてくれる力が言葉にはある。

 

先日、クラウドファンディング支援者の方から下記のような連絡をいただいた(ご支援いただいているみなさま、ほんっっっっっっっっとうにありがとうございます!わたしがクラウドファンディングの管理画面をまったく使いこなせていないために、直接ご連絡をいただいた方にしか返信をできていないことをお詫びいたします!ごめんなさい!!!!!【何かしらのご連絡を希望される方はkeigosakatsume@gmail.comかLINE『ibaya(電話番号「07055527106」で検索!)』まで直接ご連絡いただけましたら幸いです!特別ご連絡のなかった支援者の方々には、クラウドファンディングの募集期限が終了次第こちらからご連絡をさせていただきますのでご安心ください(多分五月以降になると思います!!!】)。

 

圭吾さん 遅くなりましたが、とっっても嬉しいお返事ありがとうございました。

 

そして突然ですが、、、、ごちゃまぜの家のことと、”家族とはなんぞ?”が、ふと頭をよぎりまして。

 

私は、今の一般的な結婚と育児のスタイルが、直感的に言うと、本当の幸せとは真逆に向かっている気がしてます。(前提として、子供も夫もいないくせに言える口ではないのですが)結婚する→核家族になる→閉鎖、執着、束縛、密室的になるイメージで、特にその閉じられた家での子育てって根本的に難しく感じます。

 

単純に、みんなで母親になり、みんなで父親になって、みんなの子供を育てる、そんなゆる〜い場所ないかな、と思う時がありました。圭吾さんがごちゃまぜの家の話をしてくれて、あ…ちょっとこれなのかな?と、支援に至った次第です。

 

”他人の子だけど自分の子”的な感覚とか、”あなた=わたし”的な感覚が時々あります。なんだか、その関係性とか境なしにみんなでハグすればいいじゃないって思う時があるのです。そんなハグのような家、もっとあったらな〜なんて勝手に思いました。ともあれ、どんな場所になっても面白くなりそうですね。

 

長くなりました! めちゃんこ平凡ですが心をこめた手料理ならできますので、圭吾さんがゆっくりできそうな時に改めてご招待させてください^^。

 

大好きです! ✨素敵な1日を!✨

 

なんて素晴らしい文章なのだろうかと小刻みに震えた。誤解されると困っちゃうのだけれど、わたしは、決して現在の婚姻制度をまるごと否定したい訳ではない(ご連絡をいただいた方も、きっと、同じような気持ちだと察する)。既存の何かを否定するのではなく、単純に「もうちょっといろいろな在り方があってもいいよね!」ということを思っていて、従来通りの結婚がしたいひとは従来通りの結婚をすればいいし、従来通りの生き方は息が詰まっちゃう部分があるからちょっとだけ新しい形にチャレンジをしてみたいひとはちょっとだけ新しい形にチャレンジをしてみればいいだけの話で、わたしは後者の人間(ちょっとだけチャレンジをしてみたい側の人間)だから、このメールをもらった時はなんだかちょっと(実はかなり!)嬉しくなってしまった。自分のこどもとか、自分の奥さん【旦那】とか、自分の家族とか、そういうある種の垣根を飛び越えて『(ひとりひとりの人間は)みんなの父親であり、みんなの母親であり、みんなのこどもである』というように捉え直すことができた時、果たして、世界はどのような見え方をするのだろうかと思うことがある。

 

まなざしに宿る力。

広島県在住の支援者の方からは、このようなメールをいただいた(支援者の方とメールや電話【やっぱり電話は最高!電話をしたからこれでおしまいという一時的な関係性ではなく、これからも続いていくものであればうれしいと思う】で直接連絡を取り会えることがいまはとても楽しくて、わたしはまだ子育てを経験したことがないのだけれど、絶賛子育て中のお母様の方々とお話をできることが半端なく勉強になる。たとえば「洋室よりも和室の方が子育て的には楽!(床に直接座れるから)」などという、一見するとささいな情報ほど「うおー!そうなのか!非常に勉強になります!!!」とあがる。世の中のお母様方はわたしの大大大先輩である。ご指導ご鞭撻のほど、今後ともよろしくお願いいたします!!!)。

 

圭吾さん

 

こんばんは!
お久しぶりです、広島の◯◯◯◯です。

遅ればせながらお誕生日おめでとうございます(*^^*)

 

件名のとおり、ごちゃまぜの家、支援しました!
クラウドファンディングのページに載っている圭吾さんと
チビちゃんの写真がほほえましすぎてこれまたいいですね~(´∀`)

 

「ごちゃまぜの家」、なんて素敵なアイディアなんでしょう。
つながって、はなれて、流れるようにゆるゆると、人と人とが過ごす家。
ああもう想像するだけでワクワクが止まりません!

 

去年わが家に来てもらった時に、「子どもを他人に預けられる??

この人なら大丈夫。この人は不安、、、の境目って何??」
という話をした気がするんですが・・・

 

「圭吾さん、まゆさん、ちあきさんなら信頼して預けられると思う」と、その時答えたと記憶しています。
今思うに、子どもたちへのまなざし、が大きいと思います。
まなざしにポジティブな感情を宿してくれている人には預けても大丈夫、という気がします。

 

ごちゃまぜの家を訪れる人は子どもたちにどんなまなざしを向けるんだろう?
キラキラした目で見てくれる方がたくさんいる、そんな予感がします。
完成したら長女も次女も連れて遊びに行きたいです♪

 

楽しい化学反応がいっぱい生まれますように!

 

素晴らしすぎる御言葉の数々に「ああ、このひとは神様や…八百万の神様や…」と崇拝をした。メールの文中にもある通り『まなざしにポジティブな感情を宿してくれている人には預けても大丈夫』という感覚は、まだこどもを育てたことのないわたしでさえも、なんだか物凄いわかるような気がする。こども達を観察していると「ああ、こいつらは視聴率さえあれば勝手にテンションがあがりまくって騒ぎまくるのだな」ということを思うことがわかる。この感覚は多分、こどもに限らずおとなも同じだ。自分のことを見ていてくれてるひとがいる、ただ、それだけのことが生きる力を与えてくれることがある。

 

今回、クラウドファンディングを通じてご支援をお願いして本当に良かったと思う。支援者の方々から応援のコメントを観れるページがあるのだけれど(実はこのページの存在に気づいたのは数日前の出来事で、確認が遅れに遅れまくっていてごめんなさい!!皆様からのコメントの数々に気づいた瞬間は震えました!!)、支援者の方々は、絶対に成功することを企画者のわたしに求めているというよりも「この企画に関われたことを一緒によろこんでくれている」ように感じられて、ああ、自分はなんて幸せな人間なのだろうかと強く思った。社交辞令を言いたい訳ではなく、心底「いいひとばかりが集まっているなあ!」と胸が震える。みなさま、ほんとうにありがとうございます!!(引き続き、ご支援いただいた方々へのスペシャルえこひいきグッズの作成に励みます!!)。

 

【過去記事】ちゃんとしなさいの「ちゃんと」とは何か。 - いばや通信

 

宇宙船地球号操縦マニュアル』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、バックミンスター・フラー著作『宇宙船地球号操縦マニュアル』です。こちらの本は、諸悪の根源は「専門分化」にあると喝破するバックミンスター・フラー先生の世界的にもあまりにも有名な一冊になるのですが、Amazonのレビューの中に、この本の内容を見事に要約されていらっしゃる方がおりましたので、下記にまるごと引用させていただきます(A・Y様素晴らしい要約をありがとうございます!!)。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、千葉県にわたりました ※※※

 

人間の失敗には多くの要因があるが、最も大きな要因のひとつは、専門分化が包括的な思考を妨げ、社会が専門分化こそが成功の鍵だと考えている点である。

 

専門分化とは、事実上、奴隷状態のおしゃれな変形にすぎない。そこでは、専門家は社会的、文化的に見て好ましくて、生涯続く安全な地位にあると幻想を持たされて、その奴隷状態を受け入れることになる。

 

学校の始まりとは、大航海時代に、王様が自分の部下に専門分野を学ばせるために試験を課して、その勉強をする場所として始まった。王族や貴族は、この手法によって各分野のエキスパートの人材を養成し、自分は全体の頭脳となることで自分の領土内でさらに大きな権力を手に入れた。

 

1960年代、フィラデルフィアで開かれた全米科学復興教会の年次学会で、二つの論文が異なる分野で発表された。1つは人類学で、もう1つは生物学。人類学者の方は、絶滅した種族について、知られている全ての事例史を調査していた。生物学者の方は、絶滅した生物種について知られている全ての事例史を研究していた。この二つの論文は、異なる分野で別々の研究をまとめたものだが、その結論はほとんど同じだった。つまり、絶滅したのは過度に専門分化したのが原因であった。(Amazonより「A・Y」様のカスタマーレビューより引用)

 

バックミンスター・フラー宇宙船地球号操縦マニュアル』【ちくま学芸文庫】 

 

【参考HP】わたり食堂・わたり文庫

 

世界の優しさを信じること。

今回の企画の肝は「なんでもひとりで背負い込み過ぎないこと」にあるのだと思う。菊名の物件も、大阪の物件も、自分ひとりだけで内覧をして、自分ひとりだけでどのような使い方をするのかを考え、自分ひとりだけの力で整備をしたり環境を整えるような真似をしていたら、多分、ぶっ倒れてしまうのは時間の問題になるのだと思う。 わたしの役割は、多分、0から1を生むことだ。1を100に育てることまで自分の力でやろうとしてしまうと、多分、簡単に崩れる。アフリカの諺に「FAST ALONE,FAR TOGETHER【速く行きたければひとりで行け、遠くまで行きたければみんなで行け】」というものがある。自分の身の程を自覚して、どれだけひとに頼ることができるのか、どれだけひとを信頼することができるのかが、今回の活動の成否を決めるような予感がしている。

 

なんのための他人なのか。時折、そういうことを考えることがある。多分、人間はひとりで生きられるようにはつくられていない。自分ひとりだけの力でできることなんて程度が知れていて、いま、こうしてブログ記事を書くことができているのも「ブログを発明した先人の知恵」「スマホを発明した先人の知恵」「Bluetoothキーボードを発明した先人の知恵」「インターネットを発明した先人の知恵」「(遡れば)日本語を発明した先人の知恵」の肩に乗っている(乗らせていただいている)からこそであり、何よりも「この記事を読んでくれているひと【ITS YOU‼︎‼︎‼︎】」の存在がなければ、このブログ記事にはなんの意味もなければなんの価値も宿ることもない。わたしの価値を決めるもの、それは自分自身の能力ではなく他人の存在であり、改めて、自分は「無限の網の目【無限の関係性】の中で生きているのだ」ということを思う。

 

ごちゃまぜの家を通じて、わたしは「世界は信頼に値する」ということを目に見える形で立証したいと思っているのかもしれない。自分のすごさを立証するためではない(ほめらえるために生きている訳ではない)、でも、自分を含めた「人類全体のすごさ」を立証するためならば、何度でもそれを試してみたいと思う。自分が思うほどに世間は冷たいものではないのだということを、自分を閉じれば世界も閉じるが、自分を開けば世界も同じように開いてくれるものだということを、目に見える形で示したいのだと思っているのかもしれない。そういうことを考える時、ああ、人間はひとりで生きられるようにはつくられていないのだなあということを思う。必要とされているものは、自分ひとりだけの力で生き延びるためのスキル【他人を出し抜いてでも現代社会を生き抜くスキル】ではない、そんなことよりも、お互いにもっと助け合っていくためのスキルであり、必要とされているものは『明るくて楽しい、且つ、センスを感じる(比較的鋭利になることも多いけれど)優しいアイデア』なのだと感じている。

 

 

https://www.instagram.com/p/BSzUvfkD1E8/

春ですね!

 

人生は続く。

 

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