多分、すべての出来事はベストなタイミングで起きている。
『多拠点生活のススメ』という記事を更新した翌日、東京都在住の女性N様から「こんにちは。流れに任せた結果、来月、熱海に引っ越すことになりました。(中略)坂爪さんの貧乏性最強説についてのブログの一文『もっと好きに生きなよ。感じる心がもったいないじゃないか』というのがちょうど目に飛び込んできて、ひとつドミノを倒してみたら、こうなった次第です」という連絡が届いた。
「ご近所さんとして、よろしくです」という言葉で締め括られたメールを読んで、私は、人知れず「よっしゃ!これで遊び仲間が増える!」と家の裏の畑でガッツポーズをした。先日、T様のお父様が山口県で狩猟した猪肉を一緒に食べて以来、N様とは懇意(?)にしている。今度、薪ストーブで一緒に簡単な料理をする約束をしていたのが、早くも実現することになりそうで非常にうれしい。
自分をオープンにしている限り、人間は死なない。
私の信条のひとつに「自分をオープンにしている限り人間は死なない」というものがある。余計なプライドを捨てて、金も家も仕事もないことをオープンにするようになってから、たくさんの奇跡が自身に舞い込むようになった。このような現象を「奇跡は余白に舞い込む」と名付け、いつしか、何かがあることだけではなく『何もないこと』も楽しめるようになった。
私のスケジュールを見てくれた、まだ、会ったことのない女性から「もしよろしければ、箱根まで一緒に車で出かけませんか?」と連絡が届いた。箱根神社を経由した後に、箱根彫刻の森美術館に行きたいのだと、女性は話した。私は快諾をして、はるばる熱海まで迎えに来てくれた彼女と一緒に、美術館を探索した。ピカソ館に充溢するエネルギーが素晴らしかったので、是非、皆様も足を運んで見てください。
すべての出来事はベストタイミングである。
火曜日、京都在住の女性T様が遊びに来てくれた。「冬休みだから、ゆっくりしたいと思って来ました」と話すT様の要望を完全に無視して、物置の壁塗りと棚作りを(およそ5時間も!)手伝ってもらった。おかげさまで、自宅裏の物置に人間がひとり眠れるスペースが出来た。非常時の際は、ここに寝泊まりすることも可能だ。小さな家がひとつ増えたようで、T様と共に静かな達成感に酔いしれた。
作業後「腹が減った!」と話す私のために、T様は贈り物でいただいていた山梨名物ほうとうを(家にある食材を駆使して)振る舞ってくれた。手作りの料理は最高である。これで薬味もあれば最高なんだけどな、などと話していたら、驚いたことに佐賀県から大量の米と野菜が届いた。その中にはネギもはいっていて、私たちは目の前で起きた奇跡に身を震わせた。
1985年生まれのピンボール「出張!わたり文庫@札幌」
26日(金)から、数日間札幌市内に足を運ぶ。その間、家の留守番をしてくれる女性もあらわれた。これは「家を持たない生活」をしていた頃から痛感していたけれど、女性の優しさには何度も支えられている。困った時に、損得勘定を抜きに助けてくれるのは女性が圧倒的に多かった。自宅に荷物を届けてくれるのも、本や手紙を贈り届けてくれるのも、そのほとんどが女性(女性性の強い男性)である。
「奇跡は余白に舞い込む」を合言葉に、札幌市内で暇な時間を、皆様の自由に好き勝手に使っていただく内容の企画を用意した。坂爪圭吾は、26日(金)から28日(日)の数日間、札幌界隈で暇を持て余しています。所持金が1万円程度であるために移動出来る幅に限界があるのですが、本の交換のみに留まらず、何かありましたらいつでもお気軽にお声かけください。
『アルケミスト』
今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、鎌倉在住の女性Yさんが持ってきてくれた『アルケミスト』です。第一印象では30代にしか見えないYさんには、実は、私と同じくらいの年齢の息子さんがいるのだと聞いてアゴが外れた。ひとは、こんなにも美しく年齢を重ねることができるのだという生きた証明は、希望になる。「人生において無駄な事は一つも無い。夢を追う限り、運は味方する」ー わたり文庫無料郵送をご希望される方は、坂爪圭吾(さかつめけいご)までご連絡ください。
※※※ こちらの本は、徳島県にわたりました ※※※
【わたり文庫&わたり食堂HP】わたり食堂・わたり文庫
神のなさることはすべて、時にかなって美しい。
聖書の中に「神のなさることはすべて、時にかなって美しい」という言葉がある。多分、すべての出来事はベストなタイミングで起きている。暇な時は、暇になるべくしてなっている(暇の中から、何かを見出すためにそこにある)のだと思う。現在の状態ではとても受け入れられないようなことでさえ、後になって見れば、必要なタイミングでそうなっていたことがわかるということがある。
大事なことは「すべての出来事はベストなタイミングで起きている」ということを信じることなのだと思う。いまはまだ信じられないとしても、いまはまだ苦しみや悲しみに傷ついてしまうことがあったとしても、いつの日にかそのように思える時が必ず来ることを、苦しみも、悲しみも、舞台で活かせる時が来るということを、ぼんやりとでも構わないから信じてみようとすることだと思う。
過去もなく、未来もなく、あるのはこの瞬間だけ。それならば、いま、この瞬間に「最大限の心を込める」ということが、何よりも大事なことになるのだと思う。特別なことはしないでもいいから、自分を磨り減らすような努力はしないでもいいから、自分が出来ることを、自分が出来る範囲内から、どれだけ小さなことだとしても心を込めて行うことが「日々を丁寧に生きる」ということになるのだろう。
この世の中で一番大切なことは「どれだけ心を込めたか」なのだと思う。仕事にしろ、家事にしろ、人間関係にしろ、目の前にあることに心を込めている瞬間は、誰であれ、何であれ、幸せな瞬間なのだと思う。ひとに優しくあろうとすることは、そのまま「自分が感じる幸福」になるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年2月21日
天の下では、
何事にも定まった時があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、
植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、
石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、
抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、
縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
働く者は労苦して何の益を得よう。私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、神に行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
(旧約聖書 伝道書)
人生は続く。
静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
MAIL keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://goo.gl/s6F9wE