いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

多拠点生活のススメ「タンポポの綿毛のようなフットワーク!」

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最近の趣味は『ひとさらい』で、自分が好きなタイプのひとを見つけては「熱海に来い!」と勧誘をしている。別に移住をする必要はなく「巷で話題の『多拠点生活』のひとつに、是非、熱海を」的な、適当な勧誘をしている。近所に知り合いが増えると何かと楽しいし、海も山も温泉もある熱海は、品川駅から新幹線で40分程度と都心からのアクセスも良い。そんなことを方々で話していたら、驚いたことに、熱海市の副市長(36歳!若い!)と数日後に話をする機会を与えられた。

「無拠点生活」から「多拠点生活」

およそ2年間、家のない生活をしていた私は「無拠点生活(なにそれ!)」を送っていた。現在、熱海の生活をはじめてから、およそ二ヶ月の月日が流れた。多分、いままで私が暮らす家に遊びに来てくれたひとの数は、300人を超えていると思う。そして、2016年を迎えたいま「無拠点から多拠点!」を合言葉に、いろいろな場所に複数の拠点を持てたら、単純に楽しいだろうなあと思っている。

「移住」より「移動」

どれだけ僻地に住んでいても、また会いたいひとがいれば、人間は何度でも足を運ぶ。多分、これからは『場所』ではなくて『ひと』が、観光や移動の動機になる。現在、様々な地方都市が「若者の移住促進」に力を注いでいる。私は、正直に言えば「移住」という言葉があまり好きではない。理由は単純で「(言葉の響きが)重い」からだ。移住が「固定」なら、移動は「流動」だと思う。

移住とか転職とか結婚とか、人生の大きな決断的な要素を帯びているものには「重苦しさ」が宿る。だからこそ、当然、行動を起こすための「腰」が重くなる。場合によっては、考え過ぎて動けないままに、無駄に月日だけが流れてしまう。多分、移住も転職も結婚も『そこにずっといなければいけない(それをずっとやらなければいけない)』という強迫観念があり、それが行動を鈍らせているのだと思う。移住よりも「移動」の方が、私は、言葉の響きが軽やかで好きだ。

労働時間は、週に3日(1日4〜5時間)が人間の限界

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大袈裟に「人間」という主語を使ったけれど、完全にこれは「坂爪圭吾(自分)」の限界です。でも、同じように感じているひとは、きっとたくさんいるのではないだろうか。1日9時間労働を週に5回は、私の場合、過労だ。割と早い段階でノイローゼになる(精神的に死ぬ!)と思うし、土日も「平日の疲れを取る」だけで終わってしまう。鬱病自律神経失調症になるのも、多分、時間の問題だ。

労働時間は、週に3日(1日4〜5時間)が人間の限界だと思う。残りの4日は、自分のやりたいこと(もしかしたらお金になるかもしれないし、まるでお金にはならないかもしれないこと)をやる方が、多分、楽しい。これはとても大切なことだと思うのだけれど、仕事はつらいものだという認識が世の中には蔓延しているが、金を稼がなくてもいいとなると『仕事は最大の娯楽』になる。

仕事は最大の娯楽になる。

私は、過去記事で「お金を稼ぐのがとても苦手だ」と書いた。過去に30種類程度やっていたアルバイトはどれも長続きせず、八方美人な性格であるために面接は受かるものの、働き始めると「こいつは意外とクズだな」ということが、割と早い段階で露骨に露呈する。タウンワークなどを開いても「俺のやりたい仕事はひとつもない…」と3秒程度で鬱になるし、何かしらで金を得られる場所にいても「生活のために生きるのは虚しい…」などと、すぐ、ダメになる。

ダメなものは仕方がない。ダメならダメなりに「潔く生きる!」と思っていたら、尋常ではない出逢いに恵まれた。「さかつめさんは『お金を稼ぐのは苦手』と言っていましたが、多分、私はお金を稼ぐのが得意です!」と、家を用意してくれた女神さまが降臨した。それが、私の愛するムラキテルミさんです。誤解を恐れずに言うと、多分、人間は自分が好きなことに(中途半端ではなく!徹底的に!)集中した方が幸せになる。足りない部分は、お互いに補い合えばいいのだ。

【過去記事】人生とは「(自分自身を使った)人体実験」である。 - いばや通信

現代社会を生き抜く「何かしらのご縁」

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現代社会において、人間の行動を鈍らせている最大の要因は「金」だと思う。そこで、何が起こるかわからない世の中を生き抜くひとつの無骨なアイデアを綴りたい。これは、多分、私が2年間の「家のない生活」をしていた際に、自分の身体を使って実際にやっていたことと重なる。ひとことで言えば「身売り」をすればいいのだ。自分の身体を張りまくって、地域住民のために徹底的に生きまくればいいのだ。

たとえば、熱海には富裕層の高齢者がたくさんいる。高齢化が進んでいるために、要介護認定を受けることが出来ず、介護一歩手前の状態で自宅でひとり暮らしている高齢者が、熱海にはたくさんいると聞いた。そこで、若者が身体を張って「散歩に付き合います!」とか「電球を替えます!」とか「買い物に行きます!」など、無料で(あらゆる収益性などは度外視して)行い続ければ、必ず、何かしらのご縁を生む。多分、重要になることは『能力』よりも『人柄』だ。

何かしらのご縁の力をあなどってはいけない。私は、これだけで生きてきたといっても過言ではない。最大のポイントは「(対象は誰でもいいから)無料でやり続けること」だと思う。もしかすると、頑張るあなたの姿を見て、食料を提供してくれるひとがあらわれるかもしれない。畑を与えてくれるひとがあらわれるかもしれない。空き家を無償で提供してくれるひとがあらわれるかもしれない。知り合いを紹介してくれるひとがあらわれるかもしれない。何が起こるかわからないのが、現代社会の最大の強味だ。

「お金(仕事)がなければ生きていけない」のか。

お金については、出会う人々から様々な質問を受ける。私は、現在、一般的な意味での仕事をしていない。毎月決まってはいってくる給料のようなものは1円もない。そのため、来月の今頃は、もしかすると熱海駅前の足湯で溺れ死んでいるかもしれない。しかし、金がなければ生きていけないと思っていた私は、2年間の家のない生活を通じて「金がなくてもどうにかなる(どうにかなるばかりか、場合によっては金があるときよりも豊かになる)」ということを、肌感覚で実感した。

たとえば、去年の私は15カ国程度に足を運んだ。自力でこれらの国に行こうとすると、三ヶ月程度はアルバイトをして、(自分をすり減らしながら)お金を貯めなければいけない。しかし、非常にありがたいことにあらゆる旅費は呼んでくれた方が負担をしてくれた。ポルシェを与えてくれるひと(これは、乗りこなせない為に返却をした)や、家を整えてくれるひとまであらわれた。そして、私は、いろいろなことがわからなくなった。金がなければ生きていけないと思っていたけれど、金がなくなってからの方が「生活が豊かになっている(体験の幅が如実に広がっている)」のだ。

多分、これは「どこまで自分でやろうとするのか」という程度の問題なのだと思う。稀に「呼ばれた国には行けるけど、自分が行きたいと思った国には行けないじゃないですか」などと言われるが、根本的に、私には「何があっても絶対に行きたい!」と思える場所がない。ハワイやラオスキューバアイスランドや南米やアフリカ大陸などの行ったことがない国には行けたらいいなあと思っているけれど、行けないのであれば、それはそれで仕方がないとも思っている。率直に言えば、あらゆることが「どっちでもいい」と思っている。


【補足】私は「どこにも行きたくない!」という訳ではなく、真逆で、誰かから「わたしもちょうどハワイに行きたかったのですが、一緒に行ってくれるひとがいないので、あらゆる費用は負担をするので一緒に行きましょう!」などと言われたら、多分、よろこびと共に駆け出します。私は、そういう人間です。

要するに、俺が家を拾えばいいのだ。

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話が長くなってしまったけれど、要するに、坂爪圭吾が何かしらの方法によって熱海で家を獲得すれば「誰でも気軽に来ちゃいなよ!」という風に言える。家賃がかからなければ、生活のハードルは一気に下がる。これは、家を拾いたい。育児の問題は『わたり子育て』に委ねたい。家はどこに落ちているのだろうか。家を拾って、皆で遊びながら(諸々の身体を張った試みを続けながら)生活をしたい。

また、現在気になっている都市は「四国」と「マレーシア(クアラルンプール)」です。これはただの直感でしかないのですが、四国はほんとうに素晴らしく、また、マレーシアの多国籍国家的な風を浴びると「人生は何でもありなんだな」という適当な人間になれます。特別な観光の必要は何もなく、ただ、常夏の夜にテラス席のレストランでスイカジュースを飲むだけで幸せになります。

スリー・カップス・オブ・ティー(1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族)

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、昨日、熱海で開催された『わたり大学』に、はるばる大分県から遊びに来てくれた大学生の女の子が持ってきてくれた『スリー・カップス・オブ・ティー(1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族)』です。フットワークの軽さがGOOD!!こちらの本のサブタイトルに「ピン!!」と来た方は、坂爪圭吾(さかつめけいご)までご連絡ください。

※※※ こちらの本は、岐阜県にわたりました ※※※

タンポポの綿毛のようなフットワーク!「Don't be serious!(深刻になるな!)」

合言葉は「Don't be serious!(深刻になるな!)」である。人間は、多分、ほおっておくと勝手に深刻になる生き物だと思う。そして、自身の経験上、深刻になってもロクな結果にはならない。自分の未来に不安を覚えたり、こうでなければいけないという思いに囚われてしまっている時は、思考も重く、行動も重く、身体も重く、大切な何かを見失ってしまっている。

多分、日々に大切なことは『軽やかさ』だと思う。たとえるなら、タンポポの綿毛のようなフットワークで、風に乗り、空を舞い、見知らぬ大地に足を運ぶ。そこで花を咲かせることもあれば、また別の場所に、風と共に運ばれていくこともある。頭で考え過ぎるのではなく、自分のこころが「いいな」と感じる方向にふらっと漂う軽やかさは、時に、運命的な実を結ぶことがある。

こうでなければいけないということなんて、ほんとうは何ひとつないのだ。最後に、大分県から来てくれた大学生の女の子から届いた連絡を転載します。心のこもった言葉に触れると、とても嬉しい気持ちになる。命が踊る。タンポポの綿毛のようなフットワークで、風に乗り、空を舞い、軽い気持ちで遠くに行こう。日々に大切なことは、多分、軽やかさだ。


坂爪圭吾様

坂爪さん、今日はありがとうございました!

わたり大学があるということを知ったタイミングも良く、これだー!!と思い、ジェットスターのセールも本当にタイミング良く、これだーーーー!!!!と思い、一月末に飛行機のチケットを取りました。
しかし、チケット取る前から長いこと、ズーンと沈んだ感じで、チケットを取る瞬間だけは元気だったんです(笑) が、チケットを取り終わり、「チケット取ったし行かなきゃなー」的な雰囲気が自分の中に立ち込め始めた後からは、いろいろ重なり、さらにズーンで。自分の内側に意識が集中して、常に考え事をしていて、体が重く、息をするのも苦しいような、そんな状態が続いていました。

正直、昨日の成田行きの飛行機に乗ることさえ、(前日ほぼ完徹状態だったこともあって)躊躇いました。坂爪さん宅の最寄りバス停で降りたときも、まだ躊躇ってました、「まだ引き返せるぞ…」と(笑)

けど、バス停から迷いながら進み、坂爪さんらしき人を見つけ、坂爪さんとも確信できないまま、「あ、あっちです」と坂爪さんらしき人に言われた瞬間、ふっと意識も考え事も消えました。そして、足元の下駄を見て、坂爪さんだと確信しました。

この、意識も考え事も消えた瞬間から、余計なことは考えず、ただそこにいた、「そこにいる」ことを存分に味わった、という感じです。いろんなことを考えて身構え、躊躇っていたことも、坂爪さんや他の方と初対面だということも、気にならないくらいでした。

不思議な時間の流れと雰囲気で、うまく言えませんが… 一番似ているのは、普段自分が会いたくて話したくて大好きな人と過ごしているときの感覚のように思います。

わたり大学のタイミングが良かったのはもちろんですが、何もないときに一人で坂爪さんを訪ねるのもかなり気が引けていて、だから、わたり大学に便乗して来たというのも確かでした。でも、帰りには「全然一人ででも来れたじゃーん」と思いました(笑) 

人が増えてからは、時折、不思議な感覚が消えかかったりすることがありましたが、思うままに、外に出たり本に触れたりすると、不思議な感覚へと戻って行けました。心で感じたり動いたりってこういう感じなんだろうなぁ〜とぼんやり思っていました。来る前は、頭で考えすぎて、心では何を感じているのかわからなくなっていたので。自分が心地よいと思うことや、楽しいと思うこと、やりたいことさえ、わからなかったんです。

途中、坂爪さんに躁鬱病のことや本のことを尋ねたときも同じです。よく、何話そう?とか、何質問しよう?とかすごい考えちゃって、結果、全然声も出てこないみたいな状態になるんですけど、ポンって出てきた感じでした。心地よすぎました。

躁鬱病の話の最後、「イージーイージー!」の返しも最高でしたよ(笑) そう言われてホッとしたとか、面白くて笑えたとか、そういうことではなくて、ただただ、最高でした。ナイスでした!

一人でも来れたじゃーんと思いはしましたが、わたり大学に来たからこそ、たくさんの人と出会えましたし、おいしいお菓子やベンガル料理も食べれたし、おいしい紅茶も飲めたし、黒板で遊べたし(本当にたったあれだけで心底楽しかったですw)、これだーーー!!!!と思ったタイミングがベストなんだなと、思いました。

今日坂爪さんのところへ行って、心の直感が戻って来たというか、冴えたというか。なんだろう。「元気」の一言では全然表しきれないんですが、元気出ました!\(^o^)/

帰りに少し熱海をフラッとしましたが、熱海は別府に似ている気がします。海沿いだということも、山の傾斜に沿った町になっていることも、温泉があることも、太陽や月が海側から昇り山側へ沈むことも。でも、夕焼けは、熱海の方が鮮やかでした。帰る頃には雲が晴れて、綺麗な月も見れて、本当に満足です。来てよかった。また来ます、熱海^ ^

今日、熱海に、坂爪さんの家に、居れたことに感謝です。

私は裁縫苦手なので、作れませんが、砂袋、届くといいですね。私、自分で砂に埋もれたこともなければ、別府に砂湯があるのに行ったことないんで、まずはそこから行ってみます(笑) 
では、また*(^o^)/*

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人生は続く。

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