いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

咲き誇り、散り誇る。

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まだ一月だと言うのに、春だ。早咲き日本一の静岡県熱海市では、桜が既に満開を迎えている。私の生まれ故郷である新潟県が桜の満開を迎えるのは四月の末頃になるために、およそ三ヶ月もの時差がある。桜が美しいのは、多分、散り際だ。美しく咲き誇ることが素晴らしいように、美しく散ること(有終の美を飾ること)の中にも、同等の素晴らしさは宿る。


2月28日(日)の昼過ぎから、札幌でゲスト講師(?)として登壇する予定がはいった。雪の影響による遅延を警戒して(去年、欠航のためにひとつのイベントが廃止になった)2月26日(金)の17時には新千歳空港に到着する航空券を取得した。戻りの飛行機は29日(月)の朝発の便になるために、金曜日の夜、土曜日の終日、日曜日の朝と夜、北海道で時間がある。この間、宿も未定である。もし、何かしらの形でイベントなどを企画してくださる方がいらっしゃいましたら(最近、誰かと話をすることが楽しい)、気軽にご連絡いただけたら嬉しいです。

わたり花壇のはじまり。


前回の記事で「無料の花屋さんをやりたい!」的な投稿をしたら、様々な方々からレスポンスをいただき、また、心優しい方々から「是非使ってください!」という言葉と共に、貴重な花の種や苗が届いた。非常にありがたいことに、(私には何も園芸的な知識がないけれど)我が家は敷地が広い。土をいじっていると、無心になる。命が踊る。童心にかえる。無料の花屋さんがこれからどのような展開を迎えるのかはまるで謎になるけれど、自分にできることから(そして周囲の皆様の協力を全身で浴びながら)、ゆっくりとはじめたいと思っている。


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このブログの読者の方々は、心の優しい方ばかりで構成されている。数日前の記事でサティシュ・クマールさんの言葉を引用した。すると、それを見てくれた読者の男性が「私もサティシュさんが大好きなので、彼の他の著作を送ります」と、(大量の切手と一緒に)本を届けてくれた。男性の気持ちがほんとうに嬉しかった。内容も素晴らしいものなので、ご希望される方にわたり文庫っていきたい(「循環させていく」的な意味)と思っています。サティシュさんの言葉を、再度、引用します。わたり文庫られたい方は、非常に雑な案内ではありますが何かしらの形で坂爪圭吾までご連絡ください。

※※※ こちらの本は、愛知県にわたりました ※※※

わたしたちが暮らしたい世の中、それはすべての人が詩人である、ひとりひとりがアーティストである、そんな社会です。あるインドの偉大な芸術家は、こういっています。アーティストというのは特別な種類の人間ではない。すべての人が特別なアーティストなのだ、と。現代社会はわたしたちから、詩を、音楽を、芸術を、美術を奪い去ってしまったのです。なぜならわたしたちには時間が残っていないからです。わたしたちは大きな機械だとか、テレビや、便利さといわれるものに取り囲まれて、それに忙しくて芸術家であることができなくなってしまっているのです。
(中略)その時にわたしは、この世界に立ち向かって行く勇気をもらったのです。自然を愛し、人を愛し、人を信頼し、そしていかなる結果も期待せず、すべきである正しい事を実践し、その実践を続けていくということ。それが大切なのです。わたしたちが何かの結果を導き出そうとすると、かえって力を削がれることになります。逆に自分の行いに対するいかなる結果も成果も望まない時に、そしてその行為に全ての力を集中する時に、正しい結果が生まれてくるのです。本当の力が湧いてくるのです。ですから、わたしはこのようなアドバイスをさせていただきたいと思います。結果がどうなるのかをくよくよしないでください。とにかくすべき実践を行い、正しい生き方を続けていってください。そのように正しく生き、行動し、考える時に力が自分の中から噴水のように湧き出るようになるでしょう。逆に自分の行動の結果に囚われていると、その行動はより限られたものにしかならないでしょう。それがマハトマ・ガンジーの遺した教えであり、ダライ・ラマが示し続けている教訓であり、わたしが後に続こうとしている道であります。自分のようなちっぽけな人間に何ができるであろうか?力も影響力もない、自分には何もできないじゃないかといったことを絶対に考えないでください。決して自分を過小評価しないでください。わたしたちは誰しも自分に与えられた、自分の持っている能力の範囲内で正しい行動をすることができるはずです。それが力の源泉です。

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植物に関心を抱くようになってから、道端に咲く草花や、店舗に置かれている生花の装飾に、自然と視線が向かうようになった。花はすごい。この模様の美しさはなんだ、この香りの良さは、この静けさと激しさを同時に持ち合わせた生命力はなんだ。意味がわからない。最高の表現は「語らずして語る」ことだと聞く。サティシュ・クマールさんの言葉を借りれば「自然について学ぶのではなく、自然から学ぶ」ことが大切であり、愛する吉井和哉風に言えば「雑草みたいにさりげなくアスファルトを突き破りたい」心境になる。


神との対話

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、特別編になります。『神との対話』という本の著者であるニール・ドナルド・ウォルシュの数々の著作がある。これらは、尋常ではない水準でお世話になっている女性から「素晴らしいので是非!」と贈っていただいた。非常にありがたいことに、いまでは全国各地から『無理やりにでも誰かに読ませたい本』が届く。私の役割は、届いた本を怒涛の勢いで循環させることである。ご希望される方に、ニールの著作も含めた「スピリチュアル書籍の大量無料郵送(約30冊相当)」を無料で配送いたします。

※※※ こちらの本は、滋賀県にわたりました ※※※

咲き誇り、散り誇る。


私は自然が好きだ。海や空が大好きで、花も風も虫も雲も太陽も動物も人間の赤ちゃんも「生きている!」と思わせてくれるものが大好きだ。朝、太平洋から登る太陽を眺めていると「太陽は何の見返りも求めずに照らす」ということを思う。鳥が鳴く。踏みにじられた花も、虫も、草木も、恨み言を言うような真似はしない。ただ、芳香を残すだけだ。「自然は偉大だ」と思う。そして、本来であれば『人間も自然の一部である』という当たり前のことを思う。


自然のままの姿が一番素晴らしい。そう感じることが多い。他人を蹴落としてまで優劣を競う必要はなく、ただ、自分が自分のままで咲き誇ることが素晴らしいのだ。桜を眺めていると「散り際の美学」という言葉が頭をよぎる。咲き誇ることが美しいように、散ることの中にも美しさはあるはずだ。それならば、咲き誇るという言葉だけではなく『散り誇る』という言葉があってもいいじゃないかと、そういうことを思う。

一度だけの人生である。ひとりだけの自分である。自分が自分のままで咲き誇り、そして、自分が自分のままで散り誇る。私は其処に『有終の美』を見る。自分の人生なんだから、やりたくないことはやらなくていいし、やりたいことはどれだけ馬鹿にされたとしてもやった方がいい。多数の無理解に苦しむことがあったとしても、そのままでいいから、誰の目も気にしないでいいから、思う存分、自分が咲きたいように咲き誇れば(自分が散りたいように散り誇れば)百点満点のはなまる一等賞なのだ。


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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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