【BCN-モスクワ】多分、美しいものに囲まれていれば人間は勝手に美しくなる。
バルセロナで開催されたイベントを経由して、モスクワの名所「赤の広場」に来た。本当はトレチャコフ美術館(と、その近くで営業している謎の丸亀製麺モスクワ支店)に行きたかったのだけれど、月曜日は休館日とのことで愕然とした私達は、何もすることがないので非常に観光っぽいことをしている。
モスクワが晴れた…!! pic.twitter.com/F19jFJbuLv
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015年9月21日
モスクワのひとびとの仏頂面はたまらなくぶっきらぼうだけれど、べらぼうに可愛い。ヘルシンキの雰囲気とも似ている為に、北欧に興味のあるひとは是非足を運ぶ価値があると思う。バルセロナに行く便などは、モスクワを経由していく便が多いために、トランジットビザを取得して日帰りの観光を楽しむには最適の場所だ。寒い国独特の個人主義が蔓延っている。
海外までの渡航費は想像よりも高くない。
今回のモスクワ経由のバルセロナにかかった交通費は、東京からの往復で六万円程度だった。航空券を調べてみると、たとえば今年の年末の時期でさえも、いまならスリランカが往復五万円、ドバイが往復六万円程度である。格安航空券の発達により、たとえばドイツからタイまでが片道一万円の時代になった。世界を一周するのに、金はあまり問題ではなくなっている。それでは何が問題になるのか。おそらく、それは遊び心とかアイデアとか愚かさとか、そういうものになるのだろう。
寒い国の人間は頭がおかしくなる。
バルセロナ経由でロシアに入ったために、ロシアの寒さが身に沁みる。明け方の気温は10度に満たない。しかし、この気温が非常に心地よかったりもする。たとえるなら、バルセロナが温泉で、モスクワは温泉のあとに入る水風呂の魅力がある。要するに、身が引き締まるような感覚を覚える。
(ロシアのハロウィン。はっちゃけ方に軽い狂気が漂っている)
ロシア人は背が高い。南国の人は背が低い。私のふるさとである新潟県民も身長が高く(日本一らしい)、180センチを超える男性が大量にいる。そして、ロシアやヘルシンキや新潟県には変態が大量にいる。寒い国の人間は、冬場、雪で閉じ込められてしまうために精神世界が良くも悪くも充実する。モスクワがとても魅力的に見えるのは、何かしらのシンパシーを抱いているからなのかもしれない。
モスクワに英語は少ない。
モスクワに英語表記の看板は少ないために、駅などの表示を見ても謎の暗号にしか見えない。まるで意味不明で、容易に迷うことが可能だ。しかし、現在はWi-Fiが発達している。空港や駅やカフェなどにはWi-Fi環境が充実しているために、iPhoneさえあればどうにでもなる。素晴らしい時代に生きているのだと思う。
(モスクワのスターバックス。ロシア語が可愛い)
(モスクワのマクドナルド。ロシア語がべらぼうに可愛い)
ロシア人の表情は厳しい。何か怒っているように見える。しかし、本質は人懐っこさにあるらしく、何かあると意外と気軽に話しかけてきたりする。それが嬉しい。そのぶっきらぼうさが嬉しい。私はブルドッグが愛される理由について思い出していた。私は(頭が良いことよりも仕事ができることよりも金や名誉や社会的地位があることのりも)かわいさが重要であると思っている。それはチワワ的なかわいさもあれば、ブルドッグ的なかわいさもあり、ゴールデンレトリバー的なかわいさもある。
多分、人間は美しいものに囲まれていれば勝手に美しくなる。
誤解を恐れずに言えば、私は、常に何かに怒りの感情を抱いているような人が苦手だ。各種SNSを開けば、常に職場や上司の不満を口にしたり、自分の正義感に反するひとを見てはブチ切れている人達が日本にはたくさんいる。そのエネルギーが勿体無いと思う。どうすることもできない他人の気持ちよりも、どうにかすることのできる自分の気持ちに集中すればいいのに、と、当たり前のことを思ってしまう。
多分、人間は美しいものに囲まれていれば勝手に美しくなる。同じように、醜いものに囲まれていれば勝手に醜い存在になってしまう。他人の悪口や自分の嫌いなひとにエネルギーを注いでしまうと、いつの間にか醜さは感染し、そのひと自身が醜い存在に成り下がってしまう。
海外に足を運ぶ良さのひとつに、自分の想像を超えた美しい何かと出会える可能性がある、というものがある。まったく馴染みのなかったモスクワという街には、美しい景色がたくさん転がっていた。そういうものに触れることができた時、私の感情は楽しさと嬉しさで高鳴り、誰かと喜びを共有したくなる。そして、ひとつのことを思い出す。私が共有したいと思っているものは、憎しみではなく「喜び」だ。自分という人間を、憎しみを広げる媒体にするのではなく、喜びを広げる媒体にしていきたいということだ。そのことを、忘れる度に思い出すことができる。
美しいひとと一緒にいれば、自然に人間は美しくなる。醜いひとと一緒にいると、その醜さは感染する。職場や政府の愚痴を言ったり、常に何かに怒っているようなひとは、多分、その人自身が「醜さ」に既に汚染されてしまっている。自分の内面を維持するためにも、醜いものとは距離を置くこと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015年9月19日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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