いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【BCN-マドリード】孤独を身につけた人は、誇り高い。

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バルセロナを経由してマドリードに入った。空が青く、気候は温暖で、爽やかな風が吹き抜けている。街を歩く人々の表情も緩やかで、若者からお年寄りまで、赤や緑や黄色など、カラフルな服装をしている9月のスペインはベストシーズンなのかもしれない。


散歩をしながら空を眺めているだけでも、幸せな気持ちになる。マドリード最大の目的はバルセロナアトレティコマドリードの試合を観戦することだったのだけれど、驚いたことに前半戦は客席で寝てしまった。しかし、後半戦はネイマールとメッシのゴールを眼前で目撃することができたので、非常に良かったのだと思う。

世界三大美術館「プラド美術館

スペインにはピカソやダリやゴヤクリムトなど、著名な画家が大量にいる。世界三大美術館のひとつでもあるプラド美術館は、日曜日の午後からであれば無料で入場できる。半端ない広さに度肝を抜かれた。この規模で無料は半端ないな、日本は何で立ち向かえばいいのだろうか、無理だ、みたいなことを思った。

近くにはソフィア王妃芸術センターという立派な建築の美術館もある。こちらも日曜日の午後からは無料で入場することができる。通常であればどちらも10ユーロ以上の入場料がかかるのだけれど、曜日指定で入場が無料になる海外のシステムは素晴らしい。ソフィア王妃芸術センターには、ピカソの「ゲルニカ」や「泣く女」なども展示されていて、その迫力を真近で体感することができる。

静けさと激しさが同居したもの。

様々な作品を眺めながら、わたしは「静けさと激しさが同居している」ようなモノが好きなのだと思った。これは芸術に限らず、その他の自然や人間や物事に対しても共通して抱く感覚であり、無駄に元気なだけのもの(ポジティブシンキングとか過剰なテンションの高さとか地に足の着いていないスピリチュアルなど)は苦手だけれど、静謐にして苛烈なものを見ると、自分の内側から「おおおおおおお」と湧き上がる何かを感じることができる。

そして、孤独について考えていた。孤独という言葉から、ポジティブな印象を受けるのか、ネガティブな印象を受けるのか、どちらの印象を抱く人が多いのだろうか。一般的に、孤独は「あまり歓迎すべきものではない」ものとして捉えられることが多いように見受けられる。言い換えれば、この世の中にある様々なイベントやサービスやソーシャルアプリケーションは「孤独をごまかすため」に存在しているように感じることがある。

孤独な時、それはきっと、自分に必要な何かに対峙をしている時だと思う。孤独をごまかせば一時的な苦しみからは逃れることができるけれど、同時に、自分自身を取り逃がす。多分、孤独な時にひとは「ほんとうの言葉」を見つける。それは、他の誰でもない自分自身の内側から湧き出してくる言葉であり、誰にも汚染されていない、純粋な熱情が含まれている。

孤独を掘れば、みんなと出逢える。

鋭い視点でいつもわたしを驚かせてくれる素晴らしい女性がいる。彼女の名前をNとする。Nは言う。「私には『ひとつの大きな命』を、みんなで生きている感覚がある」。この言葉を思い出していた。人間はふたつの命を生きている、自分自身のこの命と、全体で生きている『ひとつの大きな命』の、ふたつの命だ。

わたしには「孤独を掘れば、みんなと出逢える」という感覚がある。徹底的に自分を掘れば、最終的に行き着く場所で、同じように掘り続けていた『みんな』と出逢う。それは地球という球体をどこまでも深く掘り続けていけば、必ず最終地点で巡り合うことができるように、ひとつの山を別々の場所から登ったとしても、最終的には山頂付近でみんな(登り続けたひと・掘り続けたひと)と出逢えるように、続けることで出逢える多勢の『みんな』の存在を感じている。

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孤独を感じる時期は辛いが、自分の気持ちを誰かに理解してもらおうとか、寂しさを紛らわすために投じる時間は、充実よりも虚しさに繋がりやすい。理由は単純で、表面的だからだ。表面的な繋がりは、自分の内側から湧き出してくる「ほんとうの言葉」を引き離してしまう。

マヤ語の挨拶には「あなたはもうひとりの私です(私はもうひとりのあなたです)」という意味が含まれているらしい。目の前にいる誰かは『まったくの他人』ということではなく、それを『もうひとりの自分自身』だと捉える。言い換えるならば、ひとりひとりが独立した木であるいうイメージではなく「ひとつの大きな木の幹があり、そこから派生しているひとつひとつの枝や葉が、ひとりひとりの人間である、要するに、根本は同じなのだ」ということになる。

孤独を身につけた人は、誇り高い。

どれだけ遠くに足を運んでも、どれだけ多くの経験を積んでも、自分の中にある孤独を掘り続けることがなければ、自分の根幹を定めるほどの言葉を獲得することはできない。

孤独はごまかすためにあるのではなく、まだ何にも汚されていない、誰にも汚染されていない「ほんとうの言葉」を獲得するためにあるのだろう。そして、ほんとうの言葉は、橋を架ける、自分はひとりだなんていうことを吹き飛ばしてくれる。

孤独を掘れば、みんなに出逢う。ほんとうの言葉を手に入れた瞬間から、多分、そのひとは既に「ひとり」ではない。孤独を身につけた人は、誇り高い。他の誰でもない自分自身の内側から湧き出してくる言葉の中には、誰にも汚されていない、純粋な熱情が含まれている。

孤独を身につけた人は、誇り高い。

マドリードの空は青く澄み渡っている。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya  keigosakatsume@gmail.com