いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【DPS-スミニャック】恩は返すものではなく「次の人にまわしていくもの」ー 自然の摂理は「等価交換」ではなく「循環」で成り立っている。

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バンコク経由の便でバリに入った。途中、バリ界隈の火山が噴火して空港が閉鎖される憂き目にあったものの、奇跡的に2時間程度の遅延で済み、無事にインドネシアへの入国を果たした。バリは南半球にあるために、季節は冬になる。


奇跡のロイヤルシルク(ビジネスクラス)体験

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私をバリに招待してくださった女性の名前はナンシー。ナンシーのご好意により、タイ航空のROYAL SILK(所謂ビジネスクラス)に乗せていただいた。このような体験をするのは生まれてはじめてのことだったので、私は非常に舞い上がってしまった。座席は全面リクライニングで、マッサージ機能も備わっている。

添乗員が「ウェルカムドリンクは、シャンパンとオレンジジュースのどちらがいい?」と英語で尋ねてくる。私にはシャンパンがシャーペンにしか聞こえなかったので、シャーペンよりはオレンジジュースが良いだろうと思って、意気揚々とオレンジジュースを注文しておきながら、あ、あれはシャンパンのことだったんだなと気がついて、ひとつのラグジュアリータイムを逸したことを知った。

「自分の知らない世界がたくさんある」ということ。

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5時間程度のフライトを終えて、関西空港からバンコクに着いた。バンコクで乗り換えて、4時間程度のフライトでバリのデンパサール空港に到着する。ここでもまた、ビジネスクラスに乗ることができる。一回目のビジネスクラスはとにかく緊張をしすぎて、楽しむというよりも『必死で食らいついていく』という感覚が強かった。正直に言えば、英語で話しかけてくる添乗員の存在が恐怖だった。

しかし、2度目となれば話は別だ。自分の中にも余裕が生まれ、笑顔で「シャンパンをください」と答えることが出来た。確実な成長を感じた。「さも、私はビジネスクラスに乗り慣れてますよ感」を醸し出すことに成功した。そして、金も何もない自分がこのような非常に豪華な時間を味わえていることの奇跡を思った。機内では、まだ会ったことのないナンシーに何度も感謝をした。

そして、いつかビジネスクラスに自分の両親を乗せてやりたいと思った。世界には、当たり前のことだけれど自分の知らない世界が大量にある。ともすると『すぐに知ったつもりになってしまう(そして勝手に幻滅したり絶望してしまう)』所が私にはあるが、世界にはまだまだ知らないことが大量にある。

連続する非日常な体験と、広がる世界の幅。

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デンパサール空港でナンシーと合流し、海辺で夕日を眺めたり、自宅で夕食を囲んだり、様々な話をした。翌朝は自宅の近くにある豪華なホテルでブランチブッフェに招待していただいた。ただただ豪華で、私は戦慄した。



絵に描いたようなリゾートである。ほとんどの人が、プールで泳ぐか、飯を食べるか、日光浴をしているか、とにかく全身全霊でのんびりしている。ナンシー曰く「皆、バリには羽を伸ばすためにきているから、吹いている風もとにかくのんびりしているのよ」とのこと。まさに、と思った。




従業員が総出でお客さんの誕生日をサプライズで祝っていた。見ているこちらまで楽しい気持ちになってしまうような、良い感じの雰囲気が漂っていた。ナンシーがいろいろなことを教えてくれる。バリは西洋人よりもオーストラリアからバカンスで来る人が多い、元々オーストラリアの人たちには自由な気風があって、街中やスーパーを普通に裸足で歩いている女性もたくさんいる、スーパーでも陳列している飲み物やお菓子を買う前から食べちゃうこともザラだし、レジではお金だけ払って「袋は捨てておいてね」みたいなことを言うひとも結構いて、日本だったらこういうことって絶対にあり得ないよね。

非日常な体験をしよう。


数ヶ月前まで、ナンシー自身も精神的に落ちている時期があって、その時はYAHOO知恵袋のようなもので『鬱っぽい時はどうすればいい?』みたいなものを調べたりしていた時期があるのだと話してくれた。すると、そこには「南の島に行けば、小さな悩みなんて吹っ飛びますよ」というコメントがあって、それを見たナンシーは『南の島で落ちている時はどうすればいいの!』と思ったのだという。

ただ、現在のナンシーは非常に元気で一緒にいるだけでも嬉しくなる。ナンシー曰く「南の島がどうとかじゃなくて、多分、自分にとっての非日常な体験をすることが大切なんだって思ったの。非日常な体験を通じて『世界には知らないことがたくさんあるんだ!』っていうことがわかるでしょ?そういう体験を通じて、自分がいかに小さな世界で生きていたのかっていうのを知ることが、きっと大切なんだね」

恩は返すものではなく「次の人にまわしていくもの」

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私はその言葉に強い共感を覚えた。私自身、ビジネスクラスに乗る体験や、豪華ホテルでのブランチブッフェなど、目に余る恩恵を受け続ける日々を送っている。このような日々を過ごしていると、ひとつの壁にぶち当たる。それは『自分にはそれを受け取る価値があるのか?』という、自分自身に対する根本的な疑問だ。要するに、恩が負担になるのだ。


ナンシーとの会話の中で、恩は返すものではなく「次の人にまわしていくものだ」という言葉が出てきた。多分、私たちは、生きている限り必ず何かの恩恵を受けている。それは自分を産んでくれた両親やご先祖様の存在であったり、家や車や服や食料をつくってくれる人たちの存在であったり、目の前にいる人の存在であったり、必ず何かしらの恩恵を受けることによって、いまを生きることができている。

自分が受けている恩の存在を思うと、とてもじゃないけれど『恩は返し切れるものではない』ということを知る。だからこそ、恩を相手に返そうと思うからこそ、自分の非力さや無力さが浮き彫りになり、受け取ることを阻止させるような感情も湧いてくる。しかし、本来であれば恩は『次のひとにまわしていく』ものなのだ。自分が与えられてきたように、自分から周囲の人達に与えていくものなのだろう。

だからこそ、何かを他人にしてもらった時は、それを拒もうとするよりも、しっかりとそれを受け取り、受け取ったものを次のひとにまわしていくこと。それが大切になるのだろう。自然の摂理は『等価交換』ではなく『循環』で成り立っている。自分がしてもらったことを相手に返すのではなく、自分がしてもらったように、次のひとに循環させていくことが大切になるのだと思う。

自分が受け取るのは『自分のため』ではなく『次のひとのため』であり、それが『世界のため』になるのだと思う。自分の所で独り占めをするのではなく、受け取ることを拒むことで流れを止めてしまうのでもなく、まわしていくこと、循環させていくことが重要になるのだろう。

これからスミニャック地方の都心部を離れて、ナンシー曰く「けーちゃん(注・坂爪圭吾)にはバリのAtoZを味わってもらいたいから、これからバリのどローカルを味わえる場所に行くね」ということで、大人10人と子供20人が暮らしているインドネシアの大家族のご自宅にお邪魔する。

ここでは隠し事が一切なく、あらゆることがオープンになっているのだと聞いた。「本当の意味での豊かさがあるのよ」とのこと、何が待っているのだろう。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya  keigosakatsume@gmail.com