いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【KUL-クアラルンプール】多分、これが希望だ。希望は良いものだよ、多分いちばんのものだ。良いものは決してなくならないんだ。

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マニラ経由でマレーシアのクアラルンプールに来た。多民族国家だからあらゆるジャンルの人種がいて、非常にカオスだ。歩いているだけで嬉しくなる。インド人の赤ちゃんがべらぼうに可愛い。日本のいじめられっ子たちは、ここに来れば自分の悩みなんてどうでも良くなるだろう。物価も安いので、日本で引き篭もるよりもマレーシアで引き篭もる方が経済的だ。両親も喜んでくれるかもしれない。

今年の頭頃にふとしたきっかけで出会ったMIKI(仮名)は、現在クアラルンプールで生活をしている。彼女は数年前までは公務員だったが、仕事を辞め、いまは語学留学を終えてマレーシアで就職活動をしている。彼女と話したことが印象深かったので、10カ条(?)の備忘録として残します。

1・「絶対にこいつみたいになりたくない」と思うこと。

海外で働きたいという思いがあったMIKIは、その可能性がある(海外支部がある)職場に新卒で勤めた。しかし、直属の上司に半端なく嫌味ったらしい男がいて、飲み会の席などで「君は仕事を舐めているのか?嫌なことに耐えるのが仕事なんだ。給料はそれに対する見返りで、いわゆる我慢料なんだ」みたいなことを非常に下品な口調で話す。それを見たMIKIは「絶対にこいつみたいになりたくない」と思った。

しかし、周囲の人間も「あの人を怒らせると面倒なことになるから、余計なことは言わないでね」という感じで釘を刺す。要するに、上司を黙認することで(周囲の人間も現在のシステムを)容認している。それが耐えきれず「ここにいたらダメになる」と思った彼女は仕事を辞めて、海外に飛び出した。

「海外に行きたいので会社を辞めます」と上司に告げたとき、上司ははっきりと「君は失敗するに決まっている」と言った。いまでも、稀に夢の中でそのシーンが再現されるという。しかし、MIKIは頭で考えるだけの時期を突破して、実際に行動を起こした。

2・「失敗ってなんだろうね」と彼女は言った。


昨日の晩、一緒にビールを飲みながら「失敗ってなんだろうね」とMIKIは言った。あの時の上司は、私に向かってはっきりと「お前は絶対に失敗する」と言った。それでも私は現在も元気に暮らしていて、もちろん貯金は当時よりもずっと少なくなっているけど、海外に出たという選択を後悔することはない。公務員を辞めてはじめて「それ以外にも生きる道はたくさんあるんだ」という、当たり前のことを知った。もちろん最初はこわかったし、不安もあった。お金が足りるのか不安だったけれど、母親が「お金を貯めようとするのも、執着しているってことだよね」と言ってドキッとした。お金をなくしても、経験はなくならない。

私の家の近くにひっそりとやっているお洒落なカフェがあって、最近は毎朝オレンジジュースを飲んでいる。私はオレンジジュースが大好きだから、それを飲んでいる時間は「それだけで幸せ」ってなる。マレーシアの生活リズムは非常にゆっくりとしていて、語学留学のときに『最近の出来事を英語で表現する』みたいな時間があって、そこで、私は「金曜の夜に飲み過ぎて、翌日は二日酔いになった。結局昼過ぎまで眠ってしまって、私は何をしているのだろうかと思った」みたいなことを発表した。

すると、それを聞いた外国人のクラスメイトは「OMG!(オーマイガッ!)」と言った。「MIKI、意味がわからないよ。君は金曜の夜に素晴らしい時間を過ごしたんだろ、それは素晴らしいことじゃないか。素晴らしい時間を過ごした代わりに、翌日はゆっくりとしていただけじゃないか。それだけのことなのに、どうして自分を責めるような考え方をするんだ。それがわからないよJAPANESE!」

3・人生のゴールは「他人よりも優位な立場に立つこと」でも「死ぬまで安定していること」でもない。

日本人は休むのが下手だと言われている。私も「何かをしなければいけない」という焦燥感に駆られることが頻繁にあり、せっかく海外に来たのに『何もしない』時間を過ごすなんて、どうかしてるぜ…みたいな気持ちになる。この「せっかく」とか「もったいない」という感情は、(合理主義が行き過ぎた現代社会においては尚更)危険に作用する場合がある。

「せっかく公務員になったのにもったいない」とMIKIは周囲から言われまくった。しかし、この『もったいない』という感情が、新しいステップを踏み出す時の足枷になる場合も多い。せっかく良い大学に入ったのにもったいない。せっかく結婚したのにもったいない。せっかく資格を取ったのにもったいない。このような理由で、どれだけの人が新しいステップを踏み出すことを諦めて来たのだろうか。

人生のゴールは「他人より優位な立場に立つこと」でも「死ぬまで安定していること」でもないと思う。どのような状態に置かれているとしても、其処から生きている手応えや、感動を掬いあげることができなければ味気ない。仕事が楽しい人間は幸福だ。人生の半分以上の時間は仕事に費やされる。その時間が「辛く厳しいもの」になったら、人生全般が辛く厳しいものになってしまう。

4・「いまいる場所が世界のすべてではない」ということ。


日本を離れることで、客観的に自分の状態や自分が置かれている環境を眺めることができる。乱暴な言葉で表現すると、私は「日本はイカれている」と思っている。日本という親からドメスティックバイオレンスを受けて育ったこどものように、誰もが『自分がいけないんだ。自分がダメだから愛されないんだ』みたいな感じで、自信をなくしているように(もちろん自分自身に対しても)感じている。

虐待を受けて育った知り合いの女性は、ご飯を食べる前には必ず両親に向かって土下座をしなければいけなかった。そうしなければ、ご飯は食べられないものだと思っていた。しかし、やがて彼女も「他の家庭では土下座をすることなんてなく、両親の機嫌が悪いときは金槌が飛んでくることもないんだ」という事実を知る。自分にとっての常識が、他人にとっての常識であるとは限らない。

世界を見ることのメリットは「いまいる場所が世界のすべてではない」ということを、自分の身体を通じて実感できることにある。LCC(格安航空券)も普及している。台湾や香港は片道一万円を切っている。街に買い物に出掛ける感覚で気軽に海外に足を運ぶ『週末アジア』は、きっとこれから流行るだろう。

5・これからは色々な枠組みが溶け出すから、会社よりも「家族」をつくる方が面白い。


これからは色々な枠組みが溶け出すから、会社よりも「家族」をつくる方が面白い気がする。現状の法律とは別次元で、勝手に自分たちで「私たちは家族です」と名乗る拡張家族のようなものが各地に生まれて、家も食も銀行口座も家事全般も共有し、ひとりが複数個の(広い意味での)家族を持つようになる。

これは極端かもしれないが、要するに「何かあったときに戻れる場所」が複数個(最低でも一個)あれば、人間は何度でもやり直せる。日本に足りないのはホームベースだ。戻れる場所がひとつもないから、立ち直ることが出来ない。立ち直ることが出来ないから、失敗は許されない。失敗は許されないから、人生全般が萎縮する。新しいことに挑戦する気概や精神的な余裕など、入り込む余地はない。

6・情報を仕入れ過ぎると不安になる。


これはマニラで痛烈に感じた。マニラの治安は悪いから気をつけろ、拳銃を突きつけられて「ホールドアップ!」と怒鳴りつけられ、一切合切の身ぐるみをはがされて最悪の場合は殺されるぞ、みたいな投稿がインターネットには無数に転がっている。この投稿を見て「マニラは危険だからやめておこう」と思っていたら、現在の私はクアラルンプールにいない。現実的に、世界が拡張することもなかった。

7・お金とかじゃなく、勇気を失くしたくない、勇気が失くなる事を1番避けたい自分がいた。


勇気を失くしたらアウトだ。

8・「やってみなければわからないことを、やる前に理解しようとする」という不可解さ。


現実にダイブすることで、自分の限界がわかる。自分はこの程度で疲れるのか、自分はこういう時に精神が非常に磨耗するタイプの人間で、自分はこういう瞬間に「いままでの疲れが一気に吹き飛ぶような」まるで自分の人生がまるごと肯定されるようなよろこびを得るのか、自分はこれなら何時間でもやっていることができて、自分はこういうことにはあまり興味が持続しない、ということを知る。

9・「正解なんてない」ということ。


誰かのお手本になれるような人間はいない。誰もがどうしようもない部分を抱えながら、同時に「捨てたもんじゃない部分」を持っている。重要なのは(自分が出来ないことではなく)捨てたもんじゃない部分になる。公務員をやめてクアラルンプールで働こうとしている人間もいれば、良く分からない生き方を続けながら所持金も限りなくゼロに近い状態でスイカジュースを飲み明かしながら「最高に幸せだ」とクアラルンプールでほざき続けている人間もいる。

間違いだらけだと言われたら、何も言い返すことは出来ない。もっとしっかりしろと言われたら「すみません」としか言えない。MIKIに向かって「俺はどうしようもないままに30歳になってしまった」と言ったら、私もだよ、とMIKIは答えた。青二才だと言われることもあるけれど、そういうひとたちには、自分の生き方を通じて若さを分けてあげているんだって考えればいいんだよとMIKIは笑った。

10・良いことばかりではないが、悪いことばかりでもない。


生きていれば不安になることもある。自分には何もないとか、自分の未来に不安を覚えることもある。そんなときは、これから悪いからことばかりが起きるような予感がする。これから先に、自分には何も良いことは待っていなくて、自分はひたすら苦渋を舐めながら、誰にも見向きもされず、人知れず底辺を這いつくばって生きるのだろう、みたいな気持ちになる。

それでも、見上げた空が綺麗だとか、耳にはいってきた音楽が美しかったとか、ひとの優しさに触れたという些細な出来事が『良いこともあるに違いない』という予感を生む。ショーシャンクの空にという映画の中で、小柄で気弱そうな主人公の青年・アンディーが言う。

ー Hope is a good thing, maybe the best of things. And no good thing ever dies.(多分、これが希望だ。希望は良いものだよ、多分いちばんのものだ。良いものは決してなくならないんだ)

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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