いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【HKD-ヘルシンキの空】自分を表現できる人間は、自分しかいない。ー 大切なのは「このひとと同じ時間を過ごしたいと思うかどうか」になる。

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函館から新千歳経由で成田に着き、原宿での用事を終えたら金沢に向かう。道中、ヘルシンキで暮らす女性から空の写真が送られてきた。大勢のひとたちと会う日々を過ごしていると、それが楽しい時間だったとしても避けられないストレスは発生する。偉大なる自然の圧倒的なスケールは、何かを楽にさせる力がある。

1・「いまいる場所が世界のすべてではない」ということ。


音楽でも自然でも精神的な思想でも、圧倒的なスケールに触れると「何かが解き放たれるような感覚」を覚える。これは「芸術」の役割とも似ている。限定的な世界の中で生きていると、自分でも気がつかない内に思考や発想は狭く閉ざされたものになってしまう。「自分のいる場所が世界のすべてではない」ということを忘れてしまうが、圧倒的なスケールに触れることで何かを取り戻すことができる。

2・「実際には体験したことがあるひとにはわかるけれど、実際に体験したことがないひとには永遠にわからない領域がある」ということ。


函館から新千歳まで車で向かう途中、大沼公園に立ち寄った。「空気がうまい」ということを全身で実感した。実際に体験したことがあるひとにはわかるけれど、実際に体験したことがないひとには永遠にわからない領域というものがある。わたしは、いままで「空気がうまい」ということが、どのようなことなのかを知らなかった。自分は何も知らなかったのだということを知る瞬間には、よろこびがある。

3・「世界はこんなものだ」と簡単に諦めないこと。


水芭蕉の花を眺めながら、どうして自分はこのような「移動する生活(家を持たない生活)」を続けているのだろうかと考えていた。それはきっと、簡単に「世界はこんなものだ」と見定めてしまう自分自身に向けて、もうひとりの自分が「そんなことはないぜ。世界には素晴らしいものがたくさん溢れていて、それはいまのお前の想像力をはるかに凌駕するレベルの、胸を踊らせてくれるものがたくさん転がっているんだ」みたいなことを言っているからなのだろうな、と思った。

4・「自分の感情よりも他人の感情を優先すると、知らないうちに自分自身を酷く傷つけてしまう」ということ。


北海道では幾つものトークイベントに出演した。イベント終了後などに、行列に並んでまで話しに来てくれるひとたちもいる。時には、自分の話をしながら涙を流すひともいる。一見するとしっかりしているように見えるひとほど、内面には強い何かを抱えている。大勢に向けて何かを話している瞬間よりも、ひとりの人間としっかり対面して話している瞬間の手応えの方が、わたしは好きなのだと思った。

5・「おかしいと感じる自分がおかしいんだ」と自分の感情を否定して我慢を続ける日々を送ったら、おかしくならない方がおかしいということ。


自分の感情よりも他人の感情を優先してしまうと、人間は簡単に「自分自身」を見失ってしまう。「おかしいと感じる自分がおかしいんだ」と自分の感情を否定して我慢を続ける日々を送ったら、誰だっておかしくならない方がおかしいに決まっている。「こんなことを言ったらなんて思われるだろう」とか「空気の読めないやつだと笑われてしまうかもしれない」などと考え込んでしまうと、吐き出されなかった感情が自分の内側で腐敗し始め、最悪の場合は取り返しのつかないレベルで精神を蝕んでしまう。

6・どのような状況でも「自分を出す」のか「周囲に合わせる」のか、基本的な選択肢はこのふたつしかない。


「自分がどう思うか」よりも「他人がどう思うか」が重要視されてしまう社会的な背景には、いまの自分のままでは通用しないと多くの人々が思い込まされている『何か』がある。ほんとうは自分の気持ちを声に出して伝えたいのに、何処かで「思ったことを思ったように言ってはいけない」という謎のブロックが発生して、結果的に自分の感情を押し殺して『周囲に合わせる』ことは多い。

7・自分を表現できる人間は、自分しかいない。


自分を表現できる人間は、自分しかいない。

8・言いたいことを言う、やりたいことをやる、それだけのことで人間は清々しく生きることができる。


問題なのは「みんなと仲良くしなければいけない」という空気感に縛られて、ほんとうはやりたくないことをやり続ける日々を送ったり、嫌いな相手に媚びる日々を続けてしまった結果、自分の中から「誇り」と呼べる部分が消えてなくなってしまうことである。

9・世界に向けて「これがわたしです」と宣言するということ。


自分を殺して他人に好かれるよりも、自分を出して他人に嫌われるほうがずっと良い。皮肉なことに、誰かに媚びて(自分を偽って)他人から好かれようとするひとほど、結果的には嫌われている場合が多い。理由は単純で、その人自身の『実体が見えない』からだ。嘘は見抜かれる。必ずツケを払わされる瞬間が訪れる。自分自身を突き出した時に生まれる結びつきの中には、圧倒的なリアルがある。

10・大切なのは「このひとと同じ時間を過ごしたいと思うかどうか」になる。


わたしが「あの人に会いたい」と思うとき、それはそのひとが『正しい』からではない。正しいとか正しくないとかよりも、大切なのは「このひとと同じ時間を過ごしたいと思うかどうか」になる。どれだけ正しいことが言えるひとでも、楽しくなければ一緒にいたいとは思えない。結局は『人柄』が何よりも重要であり、そのひとが『模範的な人生を送っているかどうか』みたいなものはどうでもよくなる。

嫌いなひとにエネルギーを使うよりも、自分が好きなひとにエネルギーを注ぐこと。自分が嫌だと思うことには、はっきりと嫌だと言う。同じように、自分が好きだと思うことに対しては、周囲の人間が何と言おうが「自分はこれが好きだ」と宣言する。周りがどうあれ自分自身は、言いたいことを言う、やりたいことをやる、それだけのことで人間は清々しく生きることができる。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya  keigosakatsume@gmail.com