絶望的に残酷な質問をする人達
義務教育を受けずに虐待を受けて育ったみっつと行動を共にしていると、行く先々で「何をしている時が楽しいの?」とか「応援してます!」とか「両親はどんな人なの?」とか好き勝手な事を言う人達に遭遇する。それは残酷な程に失礼な発言だということを微塵も感じていないのが不思議だ。
— 坂爪圭吾 3/20-21@高知-松山 (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 9
みっつ曰く「応援してます!と言われると、きっとこの人は何もしてくれないんだろうなと思います(別に何かをして欲しい訳ではないけれど)」
その通りだと思いました。
— 坂爪圭吾 3/20-21@高知-松山 (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 9
今日は坂爪さんが死んだらどう思いますか?という質問を受けて、今までと変わらないと思います、と答えた時にどっと笑いが起きたのが何よりも個人的に怒りを覚えました。勇気を振り絞った発言だったので。
まぁ何より坂爪さんにみっつと一緒にいるのは好きだと言われたので、もう死んでもいいっす。
— みっつ (@mitzparty) 2015, 3月 11
嫌いな人間に投下する時間を減らす
三十三間堂の「大切な人のために祈りましょう」ではないけれど、自分が嫌いな人と如何にコミュニケーションをとるかを悩むより、自分が好きな人に投じる時間を如何に確保するかの方が800億倍重要だなあと思いました。
— 坂爪圭吾 3/20-21@高知-松山 (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 11
絶望的な時間を過ごした後に、逃げ去るように会場を立ち去った私とみっつは「今日はひどかったな!」などと話していた。そして、私は単純に「あんな人達とは友達になんてなりたくない」と思っている自分の正直な気持ちを強烈に痛感していたので、それをみっつに話したりしていた。
正しいとか正しくないとかではなく、大切なのは「この人と同じ時間を過ごしたいと思うかどうか」になる。
正しいとか正しくないとかよりも、大切なのは「この人と同じ時間を過ごしたいと思うかどうか」になるのだと思う。どれだけ正しいことが言える人でも、楽しくなければ一緒にいたいとは思えない。結局は『人柄』なんだなと思いました。
— 坂爪圭吾 3/20-21@高知-松山 (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 11